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【ショートショート】 年の瀬に、行き先をもたないボクと コーヒーショップ

コウジは、仕事帰りにコーヒーを飲んでいこうと
電車を降りてすぐの、
コーヒーショップに立ち寄った。

電車がついて間もない店内には、
たくさんの利用客がいた。


いつものようにカウンターで
ブレンドコーヒーを頼むと、
店員が
「こちらをどうぞ」
と、”年末クーポン”と印刷された
ショップカードサイズの
割引くじを渡した。


―ああ、もうこんな時期なのか……



飛ぶように過ぎ去っていく日々に、

ふと自分がいる場所を確認させられたような感じがした。


コーヒーを受け取り、
コージはガラス張りの窓際
カウンター席に
座った。


そして、湯気が立つ
淹れたての深い香りがする
コーヒーを一口飲み、
ガラス窓の向こうに
目をやった。


日が落ちかかった街には、
多くの人々が行き交っている。


窓ガラスを通して見る人々は、
どこか求められている場所があり、
そこに向かって
歩いているようにもみえる。


求められる場所―
そのようなところが、
自分にはあるのだろうかと考える。




コウジの親はすでに亡くなっていて、
以前家族で暮らしていた家は今はなく、

どこか帰るところがあるわけでもない。


なにか縁があって、年末に一緒に時間を
すごすような
ひとがいるわけでもない。


とくに急ぐ場所もないコウジにとって

人々が黙ってどこかに力強くすすんでいく
ようすは

すこし取り残されたようなきもちを呼び起こさせる





年末か―。
コウジは、思う


あの人たちはこれから
たくさんの思い出に残るよていが
あるのだろうか

なにかしなければならないことがあって
それを成し遂げることで
よりよい日々を送っていけるのだろうか


なにかに求められていて
そのものといっしょに
楽しく笑顔でかけがえのない
日々をつむいでいくのだろうか




コウジの中には、その人たちの
たいせつな年末が数多く連想された。


なんとなく、じぶんだけが
ずっと同じ透明なまま
この先日々をすごしていくのだ、
と思えてしまうのだった。



コーヒーショップの窓越しに、
横を向いて足早に過ぎ去る人々の顔を、
一人ずつながめてみる。

表情のうかんでいない彼らの顔は、
特にしあわせそう
というわけでもなかったが、
実はそういう人も
家に帰ると、幸せな家庭の中で
過ごしているのではないかと
思った。


自分の知らないとても幸せで
あたたかな関係を築き、
たのしい時間を
当たり前のように享受する人生なのではないか、
と勝手に想像してしまう。



そうこうしているうちに、コーヒーカップの中の
漆黒の液体は残りわずかとなった。

体温より、かなり冷たくなってしまった
コーヒーの
最後の一口を飲み干し、
コージはポケットから
名刺サイズの年末クーポンを
ふたたび取り出した。


そして、少しそれをながめてから
またコートのポケットにしまい、
席を立つ。



空席がちらほら目立ってきた店内では
何か作業をしたり
読書をしたり、
軽食をとったり
人々が思いおもいに時を過ごしていた。




重いドアをあけ、外に出てみると
風は強く、空気はキンと冷え切っていた。
日はすっかり落ち、
あたりは街灯に照らされている。

冬の空気特有の、枯れ草が焼けたような
表面上だけ、あたたかいふりをするような
においがする。

空気のつめたさが、匂いでもわかる気がした。



少し通りをあるいていくと、
さっき眺めていたような人々の群れがあり
あっという間にコージはその波に呑まれていった。


たくさんの人の中で、
コージの鳶色とびいろのコートは
徐々にとけこんでゆくように見当たらなくなっていった。


明かりにほんのりと照らされる街に
数々の服の色が浮かび上がる。

せわしなくそれらは、
行きかっているようにみえる。




あと数時間くらいその波は続き


やがて、街も深い眠りに入るだろう。



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