見出し画像

閉鎖病棟と水依存症についての話

私が入院していた閉鎖病棟の患者の1割が水依存症になっていた。
看護師は水を過飲してしまう患者にはコップを取り上げて一度に沢山飲まないようにしていた。
なので患者は歯磨きの時も手酌。食事の時だけコップを渡されるけど、1杯だけでおかわりはできない。

私の大好きな患者のHさんは水が大好きで、いつも看護師の目を盗んでは飲んでいた。水を出しっぱなしにして顔を横にしてゴクゴクと美味しそうに飲んでいる姿を何度も見た。
その時、私は水依存症という言葉を知らなかったので、水くらい好きなだけ飲ませてあげればいいのにとコップを取り上げた看護師に腹を立てていた。

Hさんにとっては夜は天国。看護師の見回り(ラウンド)の時間を把握しているので、ゆっくりのんびり水を飲める。私とHさんはそれを「夜のドリンクバー」と呼んでいた。

たまに看護師と出くわして叱られていた。いや、叱るというよりも感情をむき出しにして怒っていた。
Mという看護師はHさんにやたら厳しく、でもそこには思いやりがなかった。ただHさんを嫌っているだけ。
Mは比較的症状の軽い私ともう1人の女性に対して目がなくなるほど笑顔で話しかけていた。
「○○さん、おはようございます。よく眠れましたか?」って。その顔とその口調でHさんに話しかけたことあるの?ないでしょうね。あなたは見かけだけで判断する人ですもの。

 Hさん以外にも水依存症の患者が増えた事に対して病院側は水道の出を悪くした。思いっきりひねってもチョロチョロとしか出ず、故障していると看護師に苦情を言ったら「実はね」と口を開いた。
「あなたみたいに普通に水が飲める人に対しては申し訳ないんだけどこうするしかないの。まったく水ばっか飲んでる人達は何考えてんだか」
その言葉を聞いてびっくりした。何その言い草。水依存症の人に対して口頭で注意しても聞かないから「何考えてるんだか」って。水を飲み過ぎないように水の出を悪くするのは多分正しい。
けれど、閉鎖病棟という空間で何年も何年も過ごしている人達の気持ちは無視?水に依存してしまう心理的な原因を探って今後どうやって患者に接していけばいいのかは一切考えないで、物理的な方法にだけ目を向けている。それって違うと思った。

それから数日後にMがHさんに2人きりの時に怒っているのを見かけだけた。「何で水飲むの?ダメって言ったよね。あのさ、俺が注意するの何回目?本当困るんだよ。ねえ、聞いてんの?え?ねえ、何回目言わせれば気が済むの?ねえ」
 Mは私の前や他の看護師、助手、医師、作業療法士の前では絶対に俺とは言わない。いつも僕。
この人なんなんだろうと腹が立ってので間に割り込んだ。
「Hさんは確かに水を飲み過ぎてしまうけど、彼女なりに頑張って量を減らしているんです。Mさんから見たら分かってないと思うかもしれませんが、私から見たHさんは努力しています。それは分かって下さい」
と言うと
「あはは。僕は怒ってなんかいませんよ。ただHさんの身体を心配して注意しているんです。ね、Hさん、僕、怒ってないよね?」
ニヤニヤするMの問いかけにHさんは目を逸らしていた。私がHさんでも同じことをする。目なんか合わせたくない。だからといって言い返したら後で何されるか分からない。
でもその後に水を飲みすぎるとどうなってしまうのか等の水依存症という言葉の教えてもらった。
ああ、そうだったのか。命の危険があるのか。だったらダメだね。と納得した一方でもやっぱり、精神的なサポートが必要なのではないかと疑問に思った。

別の日にHさんとは別の水依存症の患者に対して看護師と助手が怒っていた。叱っていたのではない。怒っていた。
「あのね、分かる?水飲みすぎると死んじゃうの。死んじゃうの。この前、水飲みすぎて倒れたでしょ。本当にやめてね。もうね、私たちあなたが死んじゃうのかと思ってすごく心配だったの。ね、あなたにはずっと元気でいて欲しいから言うのよ。お願いね。水飲んじゃだめよ。あー、だめだこりゃ、全然話聞いてない。もー、やだー」肩をすくめてあはははと笑う看護師と助手。
 この人達、何なんだろう。患者に「死んじゃう死んじゃう」という脅しのようなひどい言葉を投げかけて最後には「だめだこりゃ」「もー、やだー」あははって看護師というより人間として終わってる。

この病棟はひどいなと思った。昔、入院していた解放も相当ひどかったけど、同じくらいひどい。
今回入院しておかしいと思った事は全て師長に伝え、その度に師長が「貴重なご意見をありがとうございます。看護師等の失言、失態は全て私の責任不届きのせいです。不快な思いをさせてごめんなさい」と頭を下げていた。
そうじゃない。あの人達は師長が個人指導した所で変わらない。師長が悪いんじゃない。
それも伝えたけど師長は「いえ、彼らの責任は全て私の責任です」とまた頭を下げた。
立場上、そう言うしかないのか。仕方がないのか。

退院して2ヶ月近く経って、改めて水依存症について考えていた。「水依存症」と検索すると命に関わる危険な症状と書いていて、やっぱりそれしか書いてないのかと思ったところで、あ、違う、と。
「水依存症 統合失調症」で検索するとああ、やっぱりそうだったんだな、という記事を見つけた。
以下はコピペ
↓↓↓

https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=12106

精神科診療における多飲症・水中毒の意義と対処法は?

精川上宏人 (慈雲堂病院精神科副部長)

精神科診療で,特に慢性期の統合失調症患者に多い病態に「多飲症・水中毒」があります。要因は幻覚妄想や強迫症状,抗精神病薬の影響など単純ではないようです。最近,「多飲症は閉鎖的な治療環境に置かれた患者が,その環境下で選択することに追い込まれる行動で,閉鎖的環境での治療が少ない国ではほとんどみられない。北欧などではめったにない」という話を聞きましたが,本当でしょうか。(新潟県 H)

【回答】【閉鎖的環境というよりはストレスが主因であり,入院中であっても病棟の環境や処遇を見直すことで,軽減することができる】

今回のお話を受けて,私も10年ほど前に似たような話を聞いたことを思い出しました。北欧に視察にいった人が,どこかの施設で「ここには水中毒の人はいますか?」と聞いたところ,「そんな人はいない」と言われて驚いた,というような内容であったと思います。

気になったので,海外での多飲症や水中毒についての疫学研究をいくつか見直しましたが,地域差に言及した文献はありませんでした。また,Pub Medで“water intoxication”“schizophrenia”と“psychogenic polydipsia”の用語を用いた検索も行ってみました。どちらも200前後ヒットし,ファースト・オーサーが在籍している医療機関の所在地をざっと調べたところ,米国やドイツなどに混じってフィンランド,スウェーデン,デンマークなど北欧諸国の文献もいくつかありました。

つまり,「閉鎖的」な環境でも無用な行動制限を見直したり,不要な薬物を減らしたりすること,日中の活動範囲を拡げ,従事できる作業の種類を増やすなどの取り組みで「開放的」な環境にすることは十分可能で,実際にそういう取り組みの結果,多飲行動が目立たなくなったという報告はたくさんあります。


↑↑↑
それ、私が言いたいの。グランド解放のないこの病棟で外に出られない、外の空気を吸えない、風を感じられない、日光も浴びられない。10cmだけ開けられる窓から空気を吸うだけ。
息を切らして走れない、寝っ転がれない、植物に触れない。面会が出来るのは親族だけ。友達とは会えない。毎日会うのは病院の人間だけ。
いくらきれいな病棟でも窮屈で堪らなかったし、私にとって辛かった。

私に出来ることはなんだろうと寝る前に考えてたら朝になってしまった。
病院側に話しても通じないので今住んでいる都道府県の代表に電話しようか。
「水依存症になる患者が多すぎる。物理的な処置も大切だけど、それ以上に患者の不安、怒り、悲しみなどの気持ちを理解する方が先。例えば心理カウンセラーを24時間ナースステーションに居させる。患者1人に対して5分でいいので毎日話しかける。看護師等全員で人との関わり方(人格を否定するのではなく間違った行動を注意する)、アンガーマネジメントを取得させる。患者の言葉をすぐに否定したり話を切り上げるのではなく傾聴するように指示する」
ここまで考えて、こりゃ無理だなと思った。せめてもの妥協案は「看護師の数を増やす」だろう。でも「検討します」で終わりかなと。ですよね。

正解は分からない。きっと誰にも分からない。
けれど、けれどそれを考える事はすごく大切で、患者にとっても看護師達自信にとってもプラスになる。ただの理想論だとしても、私は強くそう思う。

人を大切に想う気持ちは忘れてはいけないんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?