マイノリティが存在しない、「なめらかな社会」
今、『なめらかな社会とその敵』という本を読んでいる。
先生にオススメされて読んでみたものの、思った以上に難しくて、今のところ正直二割くらいしか私には理解できなさそう(笑)
それでも本書から学んだことを、なんとかnoteにつづってみたい。
まず、タイトルにある「なめらかな社会」とはなんなのか。
こちらの本では社会の状態を、ステップ、フラット、なめらかの3つに分類して説明している。
そうなのです。
この数学を用いて社会を説明しているところが、私のようなバリバリ文系には難しいのです(笑)。
ただこちらの関数については、私にも分かりやすいと感じた(ほぼ図のようなもんなので)。
以前に、“言語と文化は密接に関係していることから、仮に言語が英語一つになってしまうと、文化も一様化してしまうのではないか” ということをこちらのnoteに書いた。
私たちは、「グローバル化する現代では、公用語は英語一つに絞ってしまった方がきっとコミュニケーションが円滑になる」とか、そういう極端な立場をとりがちだ。
しかし上記の引用部分にもあるように、フラットであることは、同時に “多様性を否定する” ことにも実はつながりかねない。
では、どうすればいいのか。
そこで筆者が提案するのが、「なめらかな社会」なのである。
なぜだか社会は、“中間的な状態” であることに寛容ではない。たとえばこれまで性別は、男か女のどちらかだと考えられてきた。それが今ではLGBTQという言葉が社会に浸透し始めている。
この一例にもみてとれるように、一昔前に比べれば今の時点でも、社会は少しずつ「なめらか」になってきているのかもしれない。
今の社会では、“中間的な状態”にある人や、“少数派”である人たちはマイノリティになっている。
それは、“中間的な状態” でいられる選択肢が今の社会には存在せず、そうした “少数派であることに寛容でない社会” が、マイノリティをつくり出しているからだといえそうだ。
しかし、万人がマイノリティであるような世界、つまり今はマイノリティ(少数派)である人たちがマジョリティ(多数派)となるような社会では、例外が例外ではなくなる。
本当の意味で多様性を尊重している社会とは、意外と「フラットな社会」ではなくて、「なめらかな社会」なのかもしれない。
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