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人生の良し悪しは、自らの“意味づけ”によって決まっていく
仕事や勉強をするうえで、「正しさ」ってどうやって決まるのだろうか。
テストで100点目指して勉強することが、本当に万人とっての「正解」なのか。
ネームバリューのある大企業に就職することが、本当に誰しもにとっての「幸せ」なのか。
世間に一般的な「正解」「幸せ」「成功」の基準はたしかに存在する。
しかしだからといって、自分の意思とは関係なく存在するそれらの基準に自分をあてはめて、それで万人が納得できて幸せになれるだなんて、よく考えてみればそんなわけがない。
しかし私たちは無意識に、吸い込まれるかのように社会の基準に自分をあてがってしまう。
世間に染まらず自分を保つということは、それほどにきっと難しいことなのだろう。
一体、どんなふうに生きることが「幸せな人生」なのだろうか。
健康であること?
お金があること?
それとも容姿がいいこと?
「幸せな人生」を、何をものさしにして測ることができるのだろうか。
1960年頃から提唱され始めた古典的なエイジングの理論に、「サクセスフル・エイジング」というのがある。
サクセスフルとは、直訳すると「成功」だ。
つまり“幸福で豊かな人生”の実現は、一体何によって決まるのか。その客観的な基準を示した点が、こちらの理論の画期的なところだったそうだ。
その基準とは、
①病気や障害がないこと
②身体機能・認知機能を維持していること
③人生への積極的な関与
の3つである。
たしかに歩けないより歩けた方がいいし、認知症になるよりならない方がいいし、積極的にあれこれ行動していく人生の方が、より幸せなのかもしれない。
だけど、だったら歩けなくなった瞬間に自分の人生は幸せじゃなくなるのか、認知症になったらそこで人生終了なのかというと、決してそうとはいい切れないような気がする。
むしろ困難なことがあったとき、何か大きな挫折経験をしたときに、その状況からどうにかサバイブしようともがく過程で新しい目的を見つけたり、自分がより成長できるような気がする。
つまりどんな状況が、どんな状態でいることが「幸せな人生」なのかという一般的な基準を科学的に示すことは、残念ながら永遠に不可能なのだと思う。
示すことがてきるのは、せいぜい「傾向」くらいではないだろうか。
なぜなら「幸せな人生」とは、自分が「この人生でよかった」と満足し、納得できることなのであり、同じ一つの出来事に対しても、そこにどう“意味付け”をしていくかで、満足できるかどうかのさじ加減が変わってくるからだ。
先生によると、AIにはできないことがこの“意味付け”であり、「意味付けをしていくのが人間だ」という。
なぜ私はこんな不運に見舞われたのか。
どうしてこんなに突然の家族との別れを、悲しみを、神様は私に与えたのだろうか。
その「葛藤」を「納得」に変えるとき、“意味付け”の作業がなされる。
そしてその意味付けには、おそらく自分がもつ価値観が大きく影響する。
どんな人生が幸せかは、自分の価値観をものさしにして決めればいい。
多くの人に納得してもらうより、自分一人が納得できる人生を送ることこそが、きっと幸せなのだから。
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