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日記

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日記

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ピアノ教室の帰りにすこし遠まわりをして分譲地になる予定の場所を見にいった。そこはこれまで畑をやっていてビニールハウスがあったのだけれど、もうなくなっていて、掘り返したりまだ手をつけていなかったりで濃淡がまだらになっている地面の上でショベルカーがぽつねんと雨に打たれていた。そういえば中学生のころに通っていた塾の前を通ったはずなのに見当たらなかったことに気がついて、Google Mapで調べてみたら閉

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きみの若さはわるい若さ、と言われて十一年が経つ。先生、お元気ですか。わたしは相変わらず焼肉の肉を義母に焼かせるし、たべるのがなんとなく面倒くさくって夫がまわしてくるチシャ菜を拒みます。ほんとうはソーセージを焼いたのがすきだけれど言えないでいる。おまえほんとうに気のきかない子だな、とわたしがいっぺんに焼きすぎた肉を皿にあげながら先生が呆れていたあの日も夏で、あのときはひどい恋愛を、ひどいとわかりなが

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早起きできたので青空文庫で横光利一の「純粋小説論」を読んだ。純文学と通俗小説を兼ね備えた純粋小説(なんやねんそれ)が文藝復興の一手となるんでないかというはなし。わたしが通っていた大学のコースの、一期生の卒業制作講評会でライトノベルは小説なのか小説じゃないのか議論が勃発したのだけれど(それは二〇一一年二月のことで、いまのコースはライトノベルに対してすごく寛容になったとおもう)、これは小説でこれは小説

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やっているのかいないのかよくわからない近所のコンビニがなくなった。ぐずぐずとしたなんでも屋ゆえにぼんやりとしたブティックも併設していたドラッグストアという名前のコンビニは、電気がついているのはわかるものの薄暗くて、とても儲かっているようにはみえなかったしよう潰れんとやってんなあとさえおもっていたのだけれど、いざなくなってしまうと惜しい気がしてくる。コンビニのマークだった蛙は外壁から撤去されて、蛙の

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定期入れに付属していたびよんびよんのチェーンをびよんびよんしていたら切れた。大学に入学したころに買った靴下にゃんこの定期入れ、おもえば十年近く使っていたわけで、いままでよく千切れなかったなとおもう。靴下にゃんこ、は足先が白いのが靴下にみえるからそう名付けられているのだけれど、わたしが持っている定期入れは顔の部分しかないのでサンリオのタグがついていなかったらただの黒猫になってしまう。チャックがついて

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言えない、のではないとおもう。言わない、のだとおもう。
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京都シネマさんで『異端の鳥』を観た。悪魔の子だと、ユダヤだと責められて、ひとつの場所に身を落ち着けては居場所を追われて放浪する少年のはなし。異端の、は原題だとpaintedで、白い塗料を塗りたくった鳥を仲間の群れに帰して袋叩きに遭わせて死なせるシーンとリンクしている。焼き殺されたフェレットや仲間についばまれて死んだ白く汚

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ここのところ天気の急変が多くてびくびくしてしまう。すごく暑い夏の年はこうなることが多い気がする。そして暮れゆく空の碧さがひときわ美しく感じられる。さいきんは涼しくなってきて、蚊にとても刺される。足首のあいているズボンを履くとぜったいにやられて、痒みの膨らみで皮膚がぼこぼこになる。このあいだは職場のベンチでiPhoneもいじらずに視線を宙に放りだしていたら指先をかまれた。そういった日記らしい日記を、

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「夏井いつき俳句チャンネル」の存在に気がついて、潜りこむように視聴している。こいつは毎日二十一時ごろにYouTubeのアプリをひらいている、とiPhoneに把握されているくらいにYouTubeを見るという行為は生活に溶けこんでいて、だからいまのいままで知らなかっただなんて不思議だった。ちなみに二十一時というのは東海オンエアが動画をアップロードする時間だ。
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美しき手に触れたく思

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写ルンですを買った。八月のあいだはこれと、鞄に余裕があればチェキを持ち歩くつもりでいる。丁寧でいたい。朔日ということばは綺麗だな。長くて息苦しい梅雨が終わってみるとここは夏でびっくりしてしまう。時が解決する、という常套句があるけれど、いまはもっともっと長い目でみる必要があるのだなとおもう。ネットやツイッターでこまめに情報を得られるようになって、知りすぎて、鈍感でいられなくなって、すぐに余裕をなくし

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感情の沸騰がなかなかやまなくて暴れている。こんなふうにことばを使うこと、望んでいないよとおもいながら、料理ちゅうに油が跳ねたときみたいなちりちりとした火傷の痛みを覚悟して喋ってみたらこころに穴があいて、他者に見せないようにしている嫌なじぶんが漏れでてしまって、やっぱりなにも言うんじゃなかったと反省する。優しさや穏やかさだけがすべてではないとおもっているけれど、平静なこころでいるほうが快適に生きられ

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物静かだとおもっていた社員さんはなにかと会話をしていたいほうなんでと言っていろいろな話を振ってくる。じぶんから話題を生みだすのが苦手なわたしはそれらに応答するだけ。よくないなあとおもいつつ、いくらでも黙ってしまえるから口を動かさねばと努力をして、カーオーディオから流れてくる浜崎あゆみや織田裕二やMISIAにこのひとの青春のありどころを探る。「Love Somebody」のネバネバのところは〈nev

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その日だけ太陽のマークを摘みとったかのように曇りのち雨の予報になっているのをわらいながら、わらいきるのが下手なじぶんのことをもうすこし大事にしてやらないといけないとおもう。あなたはもっと隙をつくったほうがいいよと言ったひとは、飲み会の席で吐いて泣きじゃくるわたしの顔を見て、めっちゃかわいいやん、と微笑んだ。たしかに河原町でおとこのひとに声をかけられるのはいつも泣いたあとだった。なにかに感動したあと

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大人になれない僕らよ、大丈夫だ。いくつになっても大人になった実感なんて得られない。ひとは、生まれたときからずっとそのひとであって/そのひとになって、かけがえのない、という語に当てはめられる。そう書いた一月、この続きがおもいだせない。
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年末に見た他人事のニュースが鮮度をずっと保ったまますぐそばまで近づいてきているけれど、目にみえないから実感がない。まだない未来に希望を見上げよう

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むかしの写真、という書きかたは変だ、写真は過去にしかなりえないのだから。でも、むかしの写真を探していた。生まれたばかりのときの写真、お宮参りのときの写真、真新しいランドセルを見せるのに横をむいている兄とおなじように横をむいている写真、おとこのこにツノをされている小学生のころの写真(おとこのこというのは現在の夫だ)、中学校の卒業アルバムの写真、高校の文化祭や部活動の写真、どれもいまのわたしとは違うよ

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