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日記

言えない、のではないとおもう。言わない、のだとおもう。
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京都シネマさんで『異端の鳥』を観た。悪魔の子だと、ユダヤだと責められて、ひとつの場所に身を落ち着けては居場所を追われて放浪する少年のはなし。異端の、は原題だとpaintedで、白い塗料を塗りたくった鳥を仲間の群れに帰して袋叩きに遭わせて死なせるシーンとリンクしている。焼き殺されたフェレットや仲間についばまれて死んだ白く汚れた鳥を憐んだ少年と、復讐をおぼえて動物や人間の殺害に及ぶ少年が同一人物であることの認めたくなさは観ているがわなんかよりも少年本人がいちばん自覚していて、だからアルファベット五文字でできた三音のことばをずっと口にしなかったのだろう。言ってしまえば、じぶんがじぶんであることから逃れられなくなってしまうから。
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八月で休業要請が終わって、九月から平日週五日勤務に戻った。戻ってしまった、とおもっている。連休明けからはじまった繁忙期と、前任者が粗相をした仕事の後始末に追われて、このままではじぶんがじぶんでなくなりそうだったので意地でも書いてつくりあげなければならなかった。そんなわけもあって、ふだんならイベント合わせで出す新刊を誕生月にふらっと出すことになった。『nice meeting you』といいます。ぽつぽつと売れていて、読んでいただいていて、とても嬉しいです。わたしは、物事が時間に押し流されて忘れてしまうことに抵抗がものすごくあって、だからしつこいくらいに憶えているし、何度でも書く。そんな言いかたをするとじぶんのためだけにしか書いていないようで嫌になってしまうのだけれど、それでも、ひとりでも読んでくださるかたがいるというのはとんでもない幸福に見舞われているのだとおもう。ありがとうございます。あなたと出会えて光栄です。
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出町座さんで『ロストベイベーロスト』を観た。アンコール上映らしい。何事にも受け身でただ宙ぶらりんに過ごしている陽平と、ふと見つけた赤ちゃんを持ってきてしまった凛子のはなし。ろくでなし、なのだとおもう。けれど、ろくでなしにもなりきれないから、陽平は赤ちゃんがいる生活を引き受けて世話をしたりしなかったり、未来を考えたりしたのだろう。小説だと赤ちゃんがいると書いてしまえば赤ちゃんは存在するのだけれど、映画だと果たしてそれがほんとうなのか見ていてわからない曖昧さがあって面白いなとおもう。わたしとおなじ大学に通っていた他学科の同い年だったひとが見て・表現したかった世界というのも興味深かった。
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「洗いものありがとうございます」
「いえいえ」
「美味しい白ごはんありがとうございます」
「白ごはんは——さんが炊いたやつのほうが美味しいかな」
「そうなん?」
「おれすりきり一杯するんめんどうやから、これはちょっと少ない、これはちょっと多いけどええやろ、ぽーい、やもん」
「——さんふだんめちゃくちゃ細かいけどそういうとこは雑よな。カップ麺のお湯も線守らへんし」
「あれはわざとやで、少ないほうが美味しいやん。けどさいきんはちゃんと守ってるで」
「飽きてもうてるやん」
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お盆明けからとろとろと読んでいたフローベールの『ボヴァリー夫人』をようやっと読みおえて、窪美澄さんの『雨のなまえ』、池田澄子さんの『此処』、藤田湘子さんの『20週俳句入門』と読みすすめている。十一月は俳句の結社誌の締切がある。世界のがわのことはこれといって解決していないのに、時は、季節は、確実に流れている。わたしにはそれが、誰かが死んでいくことに慣れていっているみたいに感じられて怖いなとおもう。とはいえ、こちらにはどうすることもできないのだけれど。困ったもんだな。時が川だとして、海にでたら、どうなるのだろう。
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腹の奥底に抱えているものを言わないでいることのほうが多いだれかの人生を、すこしでもわかりたいとおもう。

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