【書評エッセイ】レイ・クロックというエンターテナー。
今回はこの本をご紹介。
言わずと知れたマクドナルドの創業者レイ・クロックの自伝。
ピアノ弾きのアルバイトをしながら紙コップのセールスをし、その後マルチミキサーのセールスマンを始め、ミキサーの売り先であるマクドナルド兄弟のハンバーガー屋のクオリティーに高さに感銘を受け、ハンバーガー・ショップをチェーン化し経営することにコミットする。
ハンバーガーと出会った時、彼は52歳だった。
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この本はとにかく面白い。
レイ・クロック自身が本物のエンターテナーだからだろう。
事業であれ、本であれ、面白くないものをこの世に出す気なんてさらさらない人だ。
ビジネスパーソンでこの本を読んでワクワクしない人はいないだろう。
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この本も含めて、経営者の自伝を読んで繰り返し学べるのは、
会社が相当なサイズになっていても、薄氷を踏む状況が続くこと。
そんな状況でも前進できるのは経営者の熱狂と、優秀な社員との出会い。
ステージごとに人との出会いがあり、一方で別れ(あるステージでフィットしていた人が別のステージではフィットしない)もあり、ビジネスが成長していく。
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いくつか印象に残ったフレーズを引用させていただく。
とにかく自分なりにアレンジしたスタイルで、平穏な気持ちで眠りに就く方法を編み出したのだ。これがなければ、翌朝、明るく新たな気持ちで接客することなどできなかっただろう。 まず頭の中に黒板をイメージする。緊急のメッセージで埋め尽くされているが、黒板消しを持った手が、それを端から消してきれいにしていく。頭の中をこれで空っぽにした。
私はニュートンの頭に「ジャガイモ」が落ちてきたかのような衝撃を受けたものである。
夜、デスプレーンズまで戻り、マクドナルドの仕事に再びかかるのが常だった。向かう途中、「M」の看板が見えてくるとうれしくてたまらなかったが、ときには失望させられることもあった。エドが夕刻になってもネオンをつけ忘れているのだ。そんな時、私はカンカンになって怒った。
我々はマクドナルドを名前以上の存在にしたかった。マクドナルドを、安定した品質と、運営が標準化された、レストランのシステムの代名詞としたかったのだ。
サンバーナーディノは砂漠の片隅にあり、年間降雨量は、マティーニグラスに注いでもまだオリーブの実を入れる余裕があるほど少ない。
敬服するハリー・トルーマンの言葉「熱が我慢できないならキッチンを去れ」という言葉の通り、私はまだキッチンから出るつもりはない。フライ返しを置く前に、マクドナルドのためにやりたい計画はまだまだあるからだ。
執筆者トム・ロビンスはマクドナルドの社会的影響を「コロンブスがアメリカを発見し、ジェファーソンがつくり上げ、レイ・クロックがビッグマックに(倍に)した。アメリカをビッグにしたのが全知のコンピュータでもなく否応なしの新しい武器システムや政治革命、芸術運動、または遺伝子組み換え薬品でもなく、ハンバーガーだったなんて、なんて素晴らしいんだろう!」とエスクワイア誌に書いた。
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レイ・クロックの話はよく「年をとってもまだ挑戦できる」みたいな話で引用される。
確かにそうだが、しおれたおじさんがこの本を読んでも何も感じないだろう。
むしろ若い人に読んでもらってワクワクしてもらいたい。
50歳でも挑戦できるんだったら、あと30年以上、数え切れないほど挑戦できるだろうと。
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巻末には孫さんと柳井さんの対談と、柳井さんの読後感がついている。
レイ・クロックの言葉がいい。
「Be daring(勇気を持って)、Be first(誰よりも先に)、Be different(人と違ったことをする)」
が、私は柳井さんが、日本マクドナルドの創業者藤田田さんに初めて会った時の話が好きだ。
別れ際に「おお、柳井くん、キミにいいものをやろう」とハンバーガーの無料券を三枚くれた。いや、面白い方だった。
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成功した経営者はやっぱりチャーミングなエンターテナーだ😎
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