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ノンキなショートストーリー    『世界の終わりに目玉焼き丼』

『世界の終わりに目玉焼き丼』 

 「世界が終わります。あと一時間で世界が終わります。」

気持ち良く晴れた日曜日。朝八時のニュース番組で、青いネクタイのニュースキャスターが唐突に言ってきた。最初は冗談か何かだと思ったが、青いネクタイのニュースキャスターは真剣な表情で話し始めた。

どうやら地球の近くを通過するはずだった彗星が、原因は不明だが突然砕けてしまい、大量の隕石になって地球に衝突するらしい。国際天文台も直前まで発見できなかったため、対応策を話し合う時間もなく、全世界に向けて公表する事になったらしい。

僕は余りに現実味のない話なので信じる事ができなかった。他のテレビ局にチャンネルを変えてみたが、どの番組でも「世界が終わります」と報道している。パニック状態でコメンテーターのお笑い芸人が泣き叫び、スタッフがテレビカメラの前で茫然立ち尽くしていて、何も情報が掴めなかった。僕は最初に見ていた青いネクタイのニュースキャスタターの番組に再びチャンネルを合わせた。

青いネクタイのニュースキャスターが、諭すように落ち着いた声で話しを続けていた。

「世界が終わります。あと一時間で世界が終わります。」

「砕けた彗星の隕石の衝突を回避する方法はありません。砕けたと言っても極めて巨大な隕石です。極めて巨大な隕石が大量に地球に衝突します。地球そのものを破壊します。地球そのものを完全に破壊します」

「地下シェルターなどに避難しても無駄です」

「繰り返します。地球そのものが完全に破壊されます」

「世界が終わります」

「どうやっても、私たちが生き残る可能性はありません」

青いネクタイのニュースキャスターは、涙を堪えながら話し続ける。

「あと一時間で世界が終わります。世界が終わる瞬間をどう過ごすのか、世界が終わる瞬間を誰と過ごすのか、最後の晩餐は何を食べるのか、そんな事を考える時間が、私たちにはありません」

「今、あなたの目の前にいる人が、世界が終わる瞬間に一緒に過ごす人になります」

「あなたがこれから食べる食事が、最後の晩餐になります。」

青いネクタイのニュースキャスターが沈黙した。無音状態が続いている。普通なら放送事故だし、そうなる前に他の出演者が何か話をしたり、スタッフからの指示が入りそうだが、スタジオにはもう誰もいなくなり、青いネクタイのニュースキャスターしかいないようだ。

そして、青いネクタイのニュースキャスターは、何か吹っ切れた表情で淡々と話し始めた。

「私は世界が終わる瞬間を、このスタジオで、ニュースキャスターとして迎えようと思います」

「テレビの前の皆さんには、世界が終わるまでの最後の時間まで、いつもと変わらない穏やかな日曜の朝を過ごしてもらいたいと思います」

「それでは、今朝のニュースを伝えていこうと思います」

青いネクタイのニュースキャスターは、今朝のニュースを読み始めた。

昨日の国会での首相答弁、プロ野球の結果、人気俳優の不倫騒動、大根農家が教える絶品大根ステーキの作り方など話し続けるが、ニュースに合わせて映像が切り替わる事もなく、うるさいコメンテーターや忙しそうに動き回るスタッフがいなくなったスタジオで、青いネクタイのニュースキャスターの声だけが、力強く響いていた。

 

僕は部屋の窓から外の景色を眺めていた。

日曜日でも駅へ向かうサラリーマン、自転車で連なって移動しているサッカー少年たち、朝のウオーキング帰りの老夫婦、犬の散歩をしている人、世界が終わるとは思えないような、本当に穏やかな日曜の朝の景色が広がっている。

スマートフォンには、離れて暮らす両親からの着信が入っていた。折り返してみたが、「現在大変回線が混み合っています。しばらくたってからおかけ下さい」のアナウンスが流れて繋がる気配はなかった。

テレビも映らくなっている。青いネクタイのニュースキャスターが、隕石の影響で電波状態が非常に悪くなっていると言っていたが、もう電波も通じなくなったみたいだ。これで情報を得る事ができなくなった。

ドアを激しくノックされたので開けてみると、隣の部屋の中国人夫婦が立っていた。先月引っ越してきたばかりで挨拶もなかったので、初めて二人の顔をしっかり見た。旦那は聞えてくる声のイメージ通りだったが、奥さんはイメージよりもずっと若かった。彼らは片言の日本語で「本当に世界が終わるのか」と聞いてきた。そんな事を聞かれても解らない。僕も知らないと伝わるように、何度も手を振って知らない事をアピールした。彼らは諦めた表情で自分達の部屋に戻っていった。

僕は朝起きてから何も食べていない事を思い出した。世界が終わるなら、さっき青いネクタイのニュースキャスターが言っていたように、これが最後の晩餐になるのだろう。何か特別な物でも食べようと思ったが、日曜日の朝八時ではコンビニぐらいしかやっていないだろう。最後の晩餐がコンビニ飯というのも何なので、僕はとりあえずご飯を炊く事にした。最後は米と言うわけでなく、いつもと同じように過ごすために、米を炊こうと思ったからだ。

十年間使っていた炊飯器が先月壊れてから、鍋でご飯を炊くようになった。ネットで炊き方を検索して試しに炊いてみたら、思った以上に簡単にできた。それから新しい炊飯器を買わずに、鍋でご飯を炊いている。最初は面倒臭いと思ったが、チョットした工夫で炊きあがりが変わるので、今は鍋でご飯を炊くのが面白くなっていた。

ネットでは、始めは強火で二分と書いてあったが、二分半の方が丁度良い。次は弱火で五分と書いてあったが、六分の方が丁度良い。最後は強火で一分ではなく一分半で良い感じに炊きあがる。少しだけ焦げた部分があった方が美味しいと思ったので、もう一分長く火をかけるとパチパチと音がなった。後は十分間蒸らしたら出来上がりだ。

「蒸らす前に一度蓋を開けて、ご飯を混ぜた方が良いよ」と彼女が言っていた事を思い出した。

「赤子泣いても蓋開けるなって言うけど、開けても良いの」と僕が聞いたら、蒸らす時は蓋を開けたら駄目だけど、蒸らす前は何度か混ぜないと炊きムラができると彼女が教えてくれた。それから蒸らす前に蓋を開けるようになった。

いつもの習慣で、今日も米を三合炊いていた。すぐに食べる一杯分以外は、ラップに包んで冷凍庫で凍らして保存する。これもいつもの習慣だ。世界が終わるなら、食べる事はないのだろうけど、僕はご飯をラップに包んで冷凍庫の中に入れた。

冷蔵庫を開けてみたが、めぼしい物は何もなかった。先週買った十個入りの卵パックがあったから、取り出すと二つだけ卵が残っていた。僕は二つとも取り出して、二つの目の目玉焼きを作る事にした。

フライパンを温めバターを溶かして、卵を割って落とした。一つは上手く落ちたが、もう一つは殻が上手く割れずに少し黄身が崩れてしまった。僕はフライパンを眺めながら、卵の焼き具合を確認している。世界が終わるのに、自分でも他にする事はないのかと思い、何か特別な事をしようかとも思ったが、時計の針は八時半を指している。残り三十分では何もできないだろう。あの青いネクタイのニュースキャスターではないが、いつもと変わらずに過ごした方が良いと思った

その時、空が強烈に光り、少し遅れて凄まじい音がした。

世界が終わる事が、初めて実感できた。

さっきまでは、どこか現実感がなく、もしかしたら世界が終わる事はないかもと思っていた。しかし、今度は違う。言葉とか情報ではなく、生物の本能として実感している。地球から「世界が終わる」と強烈なメッセージが発信されているようだった。

僕はスマートフォンで検索しようとしたが、もちろんネットには繋がらない。繋がらない事はわかっていたが、何でも良いから情報が欲しいと思ってスマートフォンを見た。すると、一つだけ未読のLINEがあった。どうやら電波障害の前に送られたようだ。

それは、彼女が送って来たものだった。

彼女が送って来たLINEはパンダが手を振っているスタンプだった。この直後に電波障害が起きて続きが送れなくなったのだろう。彼女は僕にどんなメッセージを送るつもりだったのだろうか。

今日は彼女と久しぶりに会う予定だった。でも、もう彼女と会う事はできないだろう。もうすぐ世界が終わる。残り時間は三十分もない。僕から彼女の家までは、電車を乗り継いで駅から少し歩くので、だいたい一時間ぐらいかかってしまう。どうやったって時間が足りないし、電車だって走っているかわからない。僕は彼女ともう会う事はできないだろう。

それでも、もう一度彼女に会いたい。

僕は世界が終わる瞬間は、彼女と一緒に過ごしたいと思った。無理とはわかっているけど、強く願った。

その時、僕は眩しい光に包まれた。

余りの眩しさで目を開ける事もできない。

これは世界が終わる前兆なのかと思っていたら、光は徐々に弱まっていった。

光は完全に消えた。

そして、目の前に彼女が立っていた。

 

僕は何が起きたのか理解できなかった。

彼女も何が起きたのか理解できていない様子だ。

僕は世界が終わる瞬間は、彼女と一緒に過ごしたいと思った。

彼女も世界が終わる瞬間は、僕と一緒に過ごしたいと思った。

 お互いの気持ちが通じ合ったからなのか、世界が終わるからなのか、理由はわからないが、何か特別な力が発現したのかもしれない。何が起こったのか検証している時間もない。

僕は彼女に近づいて、不安そうな彼女の手を握り締めた。手を繋いでいたら、お互いに穏やかな気持ちになってきた。僕も彼女も状況を何一つ理解できていなかったが、確かにお互いに手を握り合い、世界が終わる瞬間を一緒に過ごしている事だけは理解できた。

僕と彼女は、部屋の窓から空を見上げた。

雲一つない青空、優しい陽射しが、僕ら二人を照らしている。この穏やかな青空を彼女と見ていると、これから世界が終わるなんて思えなかった。今日はいつもと変わらない、でも特別に楽しい日曜日が始まるような気がしてきた。

 後ろの方で、パチパチと音がしている事に気づいた。フライパンで目玉焼きを焼いたままだった。少し焦げて始めていたが、弱火にしていたので、黄身は少し固めの半熟ぐらいになり、食べるには丁度良い感じに焼けていた。彼女は「焦げなく良かったね」と言った。僕はこれぐらいの黄身の固さが丁度良いと言ったが、彼女はもう少し柔らかい方が好きだと言った。

これから、世界が終わるのに、目玉焼きの焼き具合の好みを話していると思ったら、無償におかしくなって、僕と彼女は顔を見合わせて、大声で笑い合った。

僕と彼女の最後の晩餐は、目玉焼き丼になった。

僕は冷凍庫に入れたラップに包んだご飯を一つ取り出した。まだ入れたばかりだから、そのまま食べられそうだ。茶碗が一つしかないため、どうしようかと思っていたら、彼女が食器棚の中から味噌汁用のお椀を見つけて、ご飯をその中に移した。

彼女がフライパンの上にある二つ目の目玉焼きを箸で二等分にして、僕の茶碗と彼女のお椀のご飯の上にのせた。僕の方には、黄身が少し崩れた方をのせてくれた。彼女は、僕は崩れている方が好きそうだと言ってきた。別に崩れた方が好きとかはなかったが、彼女にそう言われると、そうかもと思ってきた。彼女は少し得意気な表情で僕の方を見ている。

僕と彼女は、とてもゆっくりと目玉焼き丼を食べている。

これを食べ終わったら、世界が終わるような気がしたため、本当にゆっくり一口一口を嚙みしめるように食べている。僕は目玉焼きの黄身を最後に食べるだが、彼女も黄身を最後に食べるようだ。

本当にどうでも良い事だけど、お互いの共通点を一つ見つけられた事が嬉しかった。彼女もこの共通点に気が付いたようだ。二人でまた顔を見合わせて笑い合った。そして、同じタイミングで黄身だけがのったご飯を食べた。

時計の針が九時を指した。

七色の光、いや十七色、もう何色か数えきれない光が、僕らを猛烈に包み込んできた。

熱いのか、冷たいのか、体温さえもかき消すような突風が、僕らに吹き付けてきた。

最後に、今まで聞いた事のないような轟音と爆音が同時に、僕らを襲ってきた。

何が起きているのか全く理解できない。

それは誰も生きる事が許されない、どんな生き物も生き残る事が許されない、大地が崩れ去り、空と海との区別がつかなくなり、全ての存在を否定するような、徹底的な破壊が始まっている。

世界が終わる瞬間だった。

 

 

どれくらい意識を失くしていたのだろうか。

大地がなくなり、僕の肉体もなくなっている。

そこには、何もない青い暗闇が広がっている。

何もないと思っていたが、無数の光が見えてきた。

世界が終わった後に、残された魂の光なのかもしれない。

何の根拠もないが、僕にはそう思えた。

遥か彼方に、新しい光が見えた。

また何の根拠もないけど、その新しい光が彼女だと僕にはそう思えた。

僕は彼女の方に行きたいと思った。

でも、どうやったら彼女の方に行けるのだろうか。

世界が終わる前に、いきなり彼女が目の前に現れたような、そんな特別な力は発現してくれないようだ。

自分の力で行くしかない。

彼女だと思える新しい光に向かって、僕は走る事にした。

肉体はなくなり、僕はただ光を発するだけの存在になっている。

だけど、僕は走っている。

確かに、僕は彼女に向かって走っている。

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