【雑記】私と私の親の話、必要十分に過保護で過干渉

(はじめに)
元々ツイッターにちょっと連投しようと思ったけれど増えすぎて、話の内容が沈みすぎてしまったのでこちらに投稿する。
色々な意味で、読んで楽しい話ではないだろうと思う。今ひとの親をやっている人に読ませるようなものを書ければ理想的だと思っているけれど、今回は全然そうなっていない。

(文末より)
人に読ませるようなものになっていないだろうと思うが、書き始めてしまったし、ここはそういう自分のために書いたようなものを投稿していいことにしているので、投稿する。(中略)これはただただ恨み節かもしれないし、愚痴かもしれないし、自分の言い訳かもしれないし、自分を哀れみたいだけかもしれない。

以下、私と私の親の話

母は祖母(母の実母)を介護しているが、母は几帳面なところなあるのでとにかく口うるさく、しかも元々怒ってる感じの喋り方をするので、なかなかにしんどい風景である。1日中あんな調子であれやれこれやれと言われたら私なら気が狂う。勿論母の方もいきなりお気楽適当人間にはなれないので、実際イライラしている。私は人間としての義務感によりそういう母の傍について回っているが、しんどい風景。
ではわたしが子供の頃の母親はどうだっただろうかと考えるけどあまり思い出せない。すべてが「あたりまえ」だったからかもしれない。私は学校での成績はよく優等生な振る舞いをする子供だったが、反面、忘れ物が多かったりめちゃくちゃ遅刻したりしていた。
母は心配性で、多分すごく口うるさかったというか、毎朝何度も何度も持ち物の確認などをさせられていたような気もする。両親は社会的にはちょっとひねくれているので、学校にちゃんと通えと責められることはなかったし、泥の中で転ぶことは良しとする子育てをされていたけれど、一方で、お小遣いを持って駄菓子屋に行くようなことに対してはやけに「心配」されていたような気がする。いろんな友達の家に気軽に遊びに行ったり、お泊まりに行ったりした記憶も、数えられるくらいしかない。
1番中のいい子の家には遊びに行ってたな。

私自身に友達が少なかったのもあるけど。というか、幼く無邪気な子供だった私もいたはずだけれど、遊びに行こうと玄関で靴を履いているそのタイミングで、ほぼ必ず背後から、これは父からだけど、なぜかガアガアとお説教みたいなことを言われて、約束の時間に少しだけ遅れてしまうようなことが日常だった。
早く帰れとか、変な場所に行くなとか、まあそれは普通なのだろうけど、それもしつこくて、これから家族で食事に行くのにお前は来ないんだなとか、じゃあ勝手になんか食えよとか、とにかく、これから友達と遊びに行こうと靴を履いている娘になぜ玄関先でそんなことをガミガミと言うのか、今思えば理由はなくて、父は、私が出かけることがただ気に食わなかっただけだろうと思っている。

つまり、わたしはそうやって幼い頃からの積み重ねによって、「家の外に出かけるということ」とそもそも「家の外に出かけたいと親に申し出ること」に常に罪悪感とストレスを感じるようになった。罪悪感っていうのは結構根深いなって思う。もう大人なのに、未だに、ただただ楽しく外で遊ぶことに、理由のないうっすらとした罪悪感と不安が付きまとっている。

話が発散してしまうが、両親はあまり口がよくない。というか正確に言うと、例えばテレビに出てくる人だとかを見るとまずネガティブな感想しか言わない人たちである。
小学生くらいのとき「私が好きなアーティストなんだ」といって母に曲を聞かせた時も(誰の何を聞かせたかは忘れてしまったし細かいことは思い出したくないけれど)開口一番、ネガティブなことを言われたということだけは覚えている。好きなんだと前置きしているものを否定しなくてもいいじゃないですか。希望を持って何度かは同じチャレンジをしたような記憶があるが、否定しないでほしいことが伝わらなかったので諦め、自分が好きなもの/関心のあるものを知られること自体が嫌になった。

そういう訳で、わたしの中からは、休みの日に気軽に遊びに行ったりとか、家で好きなものを楽しんだりとか、ほぼ無意識のうちにそういうことが選択肢から消えていった。

暗黒の幼少期を過ごした、などとは全く思っていないけれど、でも、そこにあったかもしれない楽しさや経験みたいな何かをずっと奪われていたかもしれない、みたいな感覚はある。

大学に入ったとき、「高校生のときにあちこち電車で旅をした」と話している同級生がいて、高校生の時代にそんなことをする選択肢があったのかと、結構本気で目から鱗な気持ちだったことを今でも思い出す。その時は、なぜ自分にはその発想がなかったんだろう!と己のことを省みたけれど、今になって思えば、そんな旅に出ることを思いついたとしても、それを実現するための交渉を親とするのは信じられないくらい面倒だっただろうと思う。つまり、不可能だったと思う。

大学生になってからも門限は相場よりも早かったし、スマホを持ち始めたので母の心配性はむしろ悪化して、夜の時間帯になると母から「どこにいる、何時に帰る」と鬼LINEが入るのが常だった。改めて耐えきれずに抗議をしたりして、大学生のときには無理やりそれなりには遊んだけれど、それでもやっぱりいちいちしんどかった。罪悪感が土台に染み込んでいるので、抗うこと自体が自分をしんどくする構造になっている。
私が大学を出て就職しても何も変わらなかった。社会人一年目の時、同期たちとカラオケオールしようぜってなった時に、親に連絡すると言ったら、大学の頃からひとり暮らしをして、就職で上京してきた子に笑われた。だよね。私も笑うと思う。

「もっとひどい」ような家庭がいくらでもあるのも知っているし、「もっと必死に戦った」人たちがいることも知っている。

育てかたには感謝している部分も「ふつうに」ある。根っから呪って縁を切るほどではないふんわり毒。だから、どんなタイミングにせよ、縁を切るようなことはあまりにも無情なことだとそう感じている。だからそうはできない。ゆるふわポイズン。

母は祖母を介護しているが、わたしにはそれは、たぶんできないと思う。特に父は無理だと思う。
自分の老後は自分でどうにかしてもらいたい。

これだけ書いても、いろいろと「そう思う所以」が書ききれていない。色んな要素が書ききれていない。人に読ませるようなものになっていないだろうと思うが、書き始めてしまったし、ここはそういう自分のために書いたようなものを投稿していいことにしているので、投稿する。質問は、(そんなひとはいないように思うが)あれば受け付けたい。

これはただただ恨み節かもしれないし、愚痴かもしれないし、自分の言い訳かもしれないし、自分を哀れみたいだけかもしれない。
ただ私だって、その時々の私なりに、この環境をどうにかしようとしてきたことだけは言い添えたい。そして、そのこと自体も、親によって明確に阻まれてきた。
25歳を過ぎて、やっと、交渉ではなく、半ば一方的な宣言により実家を出た。やっと、やっと出ることができた。

ひさびに少し長めに実家に滞在していて、これを書くに至った。
先週母が手を怪我してしまったために実家に来ている。(その辺のこと、この距離感がどのくらい“普通“なのかも正直わたしにはよく分からない。)

数日前、東京のひとり暮らしの家に荷物を取りに行きたくて、車で行くと言ったら両親から20回くらい止められた。自分でも動揺するくらいに強いストレスを感じて、頭が真っ白になって、街ゆく人を片っ端から殴り倒してしまいそうだった。それで、ああ、ここはこういう場所だったと思い出して、これを書きたくなったのだと思う。吐瀉物みたいなものかもしれない。

おわり

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