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当事者が綴る、自傷に及ぶ人間の頭の中と経験談(僕の場合)

※今回の記事は自傷行為のお話しを書きます。傷痕の画像などは一切載せませんが、過去に自傷行為で辛い思いをされた方など、文面でもフラッシュバックの可能性がある方は読まれないことをお勧め致します。

そして、大前提として自身の自傷行為の経験談はいずれも苦労自慢でもなければ、決して美談でもありません。
同情してほしいだとか、心配してほしいというものとも全くもって違います。
世の中にはこのような人間も居るのだという事実をお伝えしたいのです。
もし周りに自傷行為に及ぶ人が居る方や、ご自身が自傷癖を抱えていらっしゃる方に僕の経験が少しでも参考にでもなれば幸いです。


自傷行為と一括りに言っても、其の実とても広義的な捉え方をするようです。
わかり易く自分の体を傷をつけること以外にも、過度な飲酒や過度な喫煙。度を越した金銭の浪費なども「自傷」という分類をする場合もあるようです。

今回は僕の経験談の内、自分の体に傷をつけたお話しにスポットを当てたいと思います。

僕が初めて自傷行為に及んだのは、大学一年の秋頃だったと記憶しています。
後にわかった事なのですが、その当時服薬していた薬の効き方が悪い方向に働いてしまったようです。
少し詳しく書きますと、当時飲んでいた「意欲を出すための薬」が活動的になるためには作用せず、エネルギーは湧くものの対外的な活動のためには繋がらず、ただただその湧き出たエネルギーは自身の存在を否定する僕の悪い思考から、不甲斐ない、情け無い、申し訳ないといった自分自身への憤り(いきどおり)が生まれたせいで、「こんな自分なんか懲らしめてやる」といった極端な発想に繋がり、自分自身へ暴力を振るいました。


初めての自傷行為は自身の顔をひたすら殴打するものでした。
真っ暗な部屋で、利き手の右手の拳を固く握りしめてその拳を自身の顔の右半分にぶつけます。
最初は頬を思いっきり殴りつけ、そして頬より上の右目の横辺りを殴りました。
その時の頭の中は変な興奮状態というか、パニック状態というような感じでした。
とにかく怒りの感情が昂って(たかぶって)いました。

どんどん顔が腫れていくのが自分でもわかりました。
それでも殴打することを止められませんでした。
その時の僕は、自分でもなにがなんだか訳が分からず、ボロボロと涙を流しながらひたすら顔を殴りつけることを続けました。
しばらくして、やっと少し気が収まってきてようやく母に自身が異常な状態にあることと、どうにかしてくれと助けを乞い(こい)ました。
母は僕の赤黒く腫れ上がった顔を見てとても驚いていました。
「どうしたと?それ」と聞かれ、素直に全てを説明しました。
母もなかなか理解が追いつかないようでしたが、ひとまず冷やそうと言ってくれて、氷嚢(ひょうのう)を手渡してくれました。
その時は夜でしたので、そのまま寝る前の薬を飲んで涙ながらにベッドに横たわっていました。
その日の夜はいつもより時間の経過が遅く感じました。


その後も時折そのように自分の顔を殴打したり、自宅のマンションの硬い壁に思いっきり頭を打ちつけたりしました。

ちょうどその頃に、当時通院していた心療内科の先生との相性もあまり合っていなかったということも重なり、転院することを決めました。
入院を前提に転院先を探して、病院を周る営業の仕事をしている父の紹介もあり決まった転院先が今も通院している病院になりました。

最初に僕と父と母の3人で診察室に入り、その精神科の先生に事情を説明。
すぐに任意入院の対応を取って頂きました。
幸い病室に空きもあったので、思ったよりすんなりと入院となりました。

そこで様々な検査を受けた内の一つで、心電図を初めてきちんと取ったことで不整脈が発覚します。主治医の先生からは「心の面も勿論ではあるけれど、今回の入院で一番良かったのはこの不整脈が見つかったことだね。よくこの状態で剣道できてたね」と言われました。


退院後は通院先をその病院に変更して、その通院が今も続いている状況です。
今は治療のために行くというより、ベテランの精神科医である主治医の先生に人生相談に行っているような感覚です。
それと薬を処方してもらうためです。


転院してから、その意欲を出すための薬の服薬を止めて、脳の働きを穏やかにする薬を服薬するようにしました。


それから今日まで、未だに自傷に及ぶ衝動を抑えられない時があります。
最初は顔を殴打するというものでしたが、その後は刃物で自身の手首や腕を切る所謂(いわゆる)リスカと呼ばれる行為である「リストカット」や、手首ではなく腕を切る「アームカット」をするようになりました。
ちなみに個人差もありますが、人によってカットの傷の深さは違う場合があります。
リストカットはそもそも手首に流れる大きな血管を切って、命を絶とうとするために深く切りつける行為が元なのだろうと思っています。
致命傷にならない程度に浅く傷をつける場合も自傷行為と呼べるものでしょう。

僕自身も手首に数本の傷痕があります。
僕の場合は手首を切るのは自傷行為のつもりではなく、命を絶とうとするためにしたことなので、結果的に自傷行為に終わったということになります。

特にアームカットの痕は多く、加えて見た目も痛々しいものです。
その数を数えるのも億劫になるくらいあります。
今はもう持っていませんが、以前はそのための剃刀を引き出しに隠していました。
それと同時に止血のためのガーゼやテーピングも常備していました。
応急処置の方法が正しいのかどうかは知りませんが、切った後はとにかく圧迫止血をしていました。
アームカットは命を脅かすものではありません。
単純に自身を痛めつけるためだけの行為です。
切っている時は皮膚が裂けていくのが明らかにわかり、痛みを堪えながら少し深めに切ります。
その痕は消えていません。
特に深い傷痕の箇所は少し変色していて、くっついた皮膚が盛り上がっています。

自傷行為でカットをする人の中には"痛みを感じることで生きていることを実感するため"という理由でその行為に及ぶ方もいらっしゃるようですが、僕の場合は生きてる実感云々ではなくて、とにかく自分に罰を与えるため、自分を懲らしめるためにアームカットをよく繰り返していました。
現在カットでの自傷は久しくしていません。

そして自傷行為の方法としては最後に覚えた方法が自身の吸っているタバコで行う「根性焼き」です。
僕の場合、根性焼きをすると決めたらまずは数回顔を殴打して多少自らを興奮状態にして、その勢いのままベランダでタバコを焼きやすくするためにある程度吸って短くしてから、適度な長さになったらタオルなどを口に噛んで、タバコを腕に押しつけます。
腕に強烈な痛みが走り、肌が火の熱さで焦げる感覚がよくわかります。
一回で終わる時もあれば、一回では飽き足らない時もあります。
そういう時はタバコを箱で持って外に出て、その行為を繰り返します。


火傷の痕は少しずつ目立たなくなってきました。
それでも元通りとは言えませんが。


今の僕の自傷行為と言えば、食べた物を無理やり吐き戻す、パージング(浄化行動)と呼ばれる「自己誘発性嘔吐」というものでしょうか。
もやもやとした気持ちや、外に出しづらい負の感情を食べた物と一緒に吐き出すというものです。
これは摂食障害でもあります。
食べた物を吐かずにいると、少し不快感を覚えるようになってしまいました。




長々と自傷行為について書いてきましたが、勿論僕も生きた人間ですので、殴ったり、切ったり焼いたりするのは当然痛みを伴います。

それでもその瞬間は、痛いとわかっていてもその衝動を抑えられないのです。
そして僕の場合、痛みを自分に与えたことで少しスッキリすると言いますか、これだけ痛めつけたのだからこれで自分のことを自分で許してやろう。という思考をしています。


左腕の無数の傷痕は人様に容易に見せられるようなものではないので夏場暑くて半袖の時期にはアームスリーブをして隠しています。
僕の恩師は僕のこの傷痕を「これはひろきが必死になんとか生きようと藻搔いた勲章だね」と優しく仰って下さりました。

自傷行為は勿論しない方が望ましいことです。
当然傷痕は残りますし、周囲の人を悲しませてしまったり、心配をかけてしまう行為です。
家族やパートナーからすれば、とても悲しい気持ちになることでしょう。
僕自身、自傷行為のせいで母に何度も涙を流させてしまいました。

傷痕は好奇の目を向けられることもあるでしょう。
傷痕を見て誰しもがその感情まで理解できるとは思えません。


傷痕は手術で目立たないようにしたり、複数の傷痕を一つにすることも可能なようです。
僕の主治医の先生からは「どうしても痕が気になるようなら将来タトゥーでも入れていいんじゃないか」と言われました。
今のところ僕にその予定はありませんが。


僕にとって、この傷痕は自身への戒め(いましめ)でもあります。
もうこんなことをしないように。

そう思っていながらも時折その行為に及んでしまうところが僕の意志の弱いところだなと思います。

僕の経験を記したこの記事が誰かの何かの役に少しでもなってくれれば幸いなのですが。
経験しなくていい経験ではあるのですが、当事者がその時の心情を認める(したためる)ことになんらかの意義があると思ってこの記事を書こうと思い至りました。
正直に言えば、これを知人が見たら引かれるかもしれないという恐怖心はあります。
それでも僕の経験を無駄にするまいという思いが勝りました。
それで誰かのためになれるのであれば。


自分の身体に傷をつけなければ気が済まない程苦しんでいる誰かの心に届きますように。
どうか自分の身体をなるべく大切にしてあげてほしいです。
苦しい思いを今している、どこかにいる貴方の人生に少しでも光明が差してくれますように。
どうかなんとか生きていて下さい。
そればかりが僕の願いです。


ひろき

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