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小夜左文字と細川家の刀剣について

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小夜左文字&細川家の刀剣について調べたことの文献メモ。とツイッターにアップした小夜まとめの補足。
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細川家の刀剣:細川興元の短刀

細川家の刀剣:細川興元の短刀

細川忠興の弟・興元が持っていた堀川国広の短刀について。
熊本県立美術館で2010年4月8日から行われていた「細川一門 ―宇土・高瀬・茂木の細川家」で展示されていたようです。http://www.artgene.net/detail.php?EID=5660

◆短刀 堀川国広

以後『国広大鑑』からの抜粋
銘→城州一条堀川住国広造 慶長十三八月日 長岡玄蕃頭興元令打之也
長さ→1尺2寸(約36cm

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細川家の刀剣:彫貫盛光

細川家の刀剣:彫貫盛光

出水神社に奉納されている彫貫盛光について。
現在は熊本県立美術館寄託となっているようです。4月から行われていた『大熊本県立美術館展』で展示されていました。

今回はこの刀について調べたことを紹介していきます。

以下『刀装録』より引用。

※当時はまだ家康も征夷大将軍ではありません。秀忠が将軍職を継いだのも慶長十年です

『忠興公御年譜』には

と記されているようです。
こちらも歌仙兼定(歌仙拵)

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細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より③池田貞宗、小夜左文字、長岡藤四郎、三斎来國次

細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より③池田貞宗、小夜左文字、長岡藤四郎、三斎来國次

詳註刀剣名物帳から、細川忠興や細川藤孝など細川家でかつて所有されていた刀剣について紹介していきます。

今回の記事では
・池田貞宗
・小夜左文字
・長岡藤四郎
・三斎来國次
を紹介しています。

池田貞宗

詳註刀剣名物帳では中務殿=細川立孝と記しています。
けれど時系列的に幽斎の四男・孝之のことではないかなあと思います。
忠興の二男というのも間違いですし。

小夜左文字

長岡藤四郎

三斎来國

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細川家の刀剣:希首座

細川家の刀剣:希首座

忠興の差料の一つである「希首座」について紹介していきます。
綿考輯録より引用。

希首座

ざっくり現代語訳

慶長十一年二月中旬、大徳寺の希首座を仔細ありて御手討ちになされた。
このことにつき、大徳寺の僧衆たちは板倉伊賀守まで訴状を届けたが、伊賀守殿が仰せにならないまでも越中殿の身体をぜひ亡くし申すべしとのことだった。
が、それほどまでに強く思われているなら江戸へも御訴訟するべきだ、大徳寺にかえ

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細川家の刀剣:飢饉と小夜左文字との関連性

細川家の刀剣:飢饉と小夜左文字との関連性

刀剣乱舞というゲームのなかでの小夜左文字の特徴。
それは「仇討による復讐」「飢饉による売却」のニ点だと思います。

この記事ではそのうち「飢饉による売却」について関連するのではないか?と思われる事柄と資料についてまとめています。

途中から有料記事になります。

詳註刀剣名物帳
まず最初に。
『詳註刀剣名物帳』では、小夜左文字が細川を出た経緯が明らかにされていません。小夜左文字について項目がある『

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細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より②コテ切郷、鳥飼国俊、兒手柏包永

細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より②コテ切郷、鳥飼国俊、兒手柏包永

幽斎や忠興をはじめ、細川家がかつて所持していた刀剣についてまとめています。

紹介するのは、篭手切江、鳥飼国俊、兒手柏包永。
表記ブレがありますが、詳註刀剣名物帳の表記で記載しています。

篭手切江

鳥飼国俊

現在は重要美術品に認定され徳川美術館に所蔵されています。

児手柏包永

註釈では
「此の刀は大坂御物押形の内にあり其忠(こみ)に幽斎の所持銘あれば幽斎より太閤へ献したる事明かなり、太閤

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細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より①清水藤四郎

細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より①清水藤四郎

大正二年刊行『詳註刀剣名物帳』より、細川忠興あるいは幽斎が所持していたとの記載がある刀剣を抜粋していきます。

清水藤四郎

『日本名刀伝』(大野 熊雄,日本武数社,1951)では伝来の経歴を

と紹介しています。

また細川家を出た所以について、『詳註刀剣名物帳』は

と、小夜左文字と同じく飢饉を救うために売られたという旨が記されています。

『寛政重修諸家譜』では

と記され、茶室にも持ち込ん

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細川家の刀剣:さしもくさ

細川家の刀剣:さしもくさ

『日本名刀物語』佐藤貫一,1962,白凰社

また児手柏についても、関東大震災での罹災を
「「児の手柏包永」は大正12年の大震災のおり、この太刀も火災にかかってとうてい再刃もできない程度になってしまった」
と記しています。

細川家の刀剣:浮股

細川家の刀剣:浮股

細川家の刀剣:浮股について。

『綿考輯録』第二巻忠興公(上)より引用。
一色義有を討ち果たした時に使われた刀です。

この刀エピソード多くて全文引用すると大変なので、名前の由来だけ紹介します。

ざっくり現代語訳

一色義有を御討ち果たしされた御腰物は信長作の長さ二尺八分半の刀である。元来勢州(伊勢)より出たものである。

ある時、伊勢の海辺において囚人の首を刎ねるべしとの時、太刀取が刀を打ちつ

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小夜左文字:刀剣談、日本趣味十種、日本刀講座、日本刀物語、日本名刀100選

小夜左文字:刀剣談、日本趣味十種、日本刀講座、日本刀物語、日本名刀100選



『刀剣談』高瀬真卿,日報社,1910
諸家の名刀より抜粋

『怪談と名刀』では駿河の人が仇討をしたと記したのに対し、こちらは近江の人と記述しています。
また刊行当時はまだ土井家に伝来していたことがわかります。

『日本趣味十種』芳賀矢一,文教書院, 1924

『日本刀講座第五 歴史及び説話』岩崎航介ほか,雄山閣,1934『日本趣味十種』『日本刀講座第五』より、小夜左文字が1924年頃何らかの

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小夜左文字:工芸鏡、古今刀剣物語、刀剣史料

小夜左文字:工芸鏡、古今刀剣物語、刀剣史料


『工芸鏡』横井時冬,六合館,1894
左衛門三郎のところで小夜左文字ほか宗三左文字など左文字の刀の紹介。

工芸鏡では主な所有者が土井利房ということになっています。
また名も小夜左文字ではなく「小夜中山」の宝刀となっているところが興味深い。

『古今刀剣物語』前田稔靖. 大洋社, 1939.古今刀剣物語では小夜左文字で仇討を果たした少年に300石が与えられたと記されています。
また名づけは忠興説

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小夜左文字:怪談と名刀

小夜左文字:怪談と名刀

『怪談と名刀』本堂平四郎,羽沢文庫,1935

最近復刻版が出ました。

おそらく架空の設定ですが一番時代設定が細かくてリアル。

ちょっと概要をまとめます。

この島田助信という砥師(鍛冶師)は実際にいた人物のようで、『日本刀銘鑑』で「駿州島田住助信」という名前を確認することができます。

天正15年というと秀吉が九州征伐や伴天連追放令を発布した年。
山内一豊は天正19年(1591)に掛川に入封

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小夜左文字について

小夜左文字について

データは国指定文化財等データベースより。
所有者の方の名前は敢えて省きました。

1936年(昭和11年)9月12日、大阪の個人が所有しているときに重要美術品に認定されました。(『重要美術品等認定物件目録』思文閣出版,昭和47年より)
その後1952年に柴田果刀匠か、あるいは息子清太郎氏のもとで重要文化財に指定され現在に至っています。

享保名物帳をはじめ多くの書籍では八寸八分(約26.7cm)と

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