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okanokura
細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より①清水藤四郎
大正二年刊行『詳註刀剣名物帳』より、細川忠興あるいは幽斎が所持していたとの記載がある刀剣を抜粋していきます。
清水藤四郎
清水藤四郎 在銘七寸五分 昔三千貫代付
安藝国清水より出る表裏護摩箸少し短し重ね三分餘(あまる)輝元卿所持秀吉公へ上る家康公所持尾張殿へ進らる又秀吉公へ上る細川三斎老拝領、京都町人辻次郎左衛門方に寛文の頃より有之、三斎老の拵あり大きなる鍔掛り面白き拵なり。別本に細川伊豆守とあり、また今一本の書には今清水殿とあり。
『日本名刀伝』(大野 熊雄,日本武数社,1951)では伝来の経歴を
毛利輝元→豊臣秀吉→豊臣秀頼→豊国神社→徳川家康→徳川義直→徳川秀忠→細川忠興→細川立孝→細川行孝→商人→徳川家斉→清水徳川家→一橋慶喜→水戸家
と紹介しています。
また細川家を出た所以について、『詳註刀剣名物帳』は
「肥後の国飢饉にて百姓殊の外困窮せし時細川三斎家に蔵めし名物の器物を多く京都へ出して賣却し其金を以て大坂にて米麦、多く買入れ百姓を救ひたる美談あり此時清水藤四郎も賣拂たるものならん」
と、小夜左文字と同じく飢饉を救うために売られたという旨が記されています。
『寛政重修諸家譜』では
「寛永二年十月二日城地にゆくのいとま申のとき、台徳院(秀忠)より点茶をたまひ、清水藤四郎吉光の御脇指を拝領し馬をひかる。これ往年忠興此短刀を帯し、利休尻膨の茶入れをもって茶をくみて楽しまむこと素懐なりといひし」
と記され、茶室にも持ち込んで茶の湯を楽しんでいたことがわかります。
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