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細川家の刀剣:詳註刀剣名物帳より②コテ切郷、鳥飼国俊、兒手柏包永

幽斎や忠興をはじめ、細川家がかつて所持していた刀剣についてまとめています。

紹介するのは、篭手切江、鳥飼国俊、兒手柏包永。
表記ブレがありますが、詳註刀剣名物帳の表記で記載しています。




篭手切江


コテ切郷 象嵌銘長壱尺五寸七分 代金弐百枚

忠(なかご)表に「コテ切義弘」と本阿弥金象眼入、裏に稲葉丹後守(稲葉正勝)所持と銀象眼入寛文二年百枚、其後ち細川越中守殿(忠利)へ行き、細川殿より來る百三十枚に成りまた稲葉殿へ戻り享保四年に弐百枚になる。


鳥飼国俊


鳥飼国俊(二字) 長壱尺九寸九分 金六百枚代付

表裏樋あり鳥飼対馬守宗慶所持、子息与兵衛へ伝り細川幽斎百五十貫に求め子息忠興へ御伝石田治部少輔五百貫に求め関ヶ原の時紛失冨田信濃守殿取出され家康公へ上る尾張殿(徳川義直)へ御伝へ大納言殿御逝去の砌慶長(慶安の間違いか?)三年に右の代付なり。

現在は重要美術品に認定され徳川美術館に所蔵されています。


児手柏包永


兒(児)手柏包永 長二尺二寸八分

幽斎老所持、息玄蕃頭(細川興元)へ伝る家康公五百貫に召上げらる帯表直刃、裏乱刃、裏忠先に銘あり凌に兵部大輔異名號兒手柏、擦上の平に天正二年三月十三日とあり兒手柏は常の柏と違ひ小さき兒(こ)の手に似たり此木大和奈良坂にあり風にひるがへる様手を打ち返す如く表裏の出来替りたるに依り故に名付く。

註釈では
「此の刀は大坂御物押形の内にあり其忠(こみ)に幽斎の所持銘あれば幽斎より太閤へ献したる事明かなり、太閤より家康公へ賜はりし物か」
と指摘しており幽斎が所持していたことは確かなのですが、その後の持ち主がはっきりしない刀です。




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