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偶然にしてできた美しさ

ガラスが割れる。海が広がる。
なぜだろう、美しい鋭さがあった。

先日のことである。
私は子どものおもちゃや絵本を扱うお店にふらふらと入った。

このキャラクターなつかしいな〜…なんて思って眺めていると、

「「「がじゃん!!!!」」」

つい3分前に入ってきた場所のガラス扉が、消えていた。誰のせいでもなかった。
ガラス扉って、割れるんだ…。

あるのは、きらめく海……ではなく、
きらめくガラスの破片が、床いっぱいに。

きれいだと、思った。
一つ一つの鋭い破片が、
透明な光を放ち、何かを訴えてくる。
静かに、でもしっかりと。
受け止めなきゃ。
それは、海を眺める時の気持ちと同じだった。

頭の中の片隅。けが人は?ほうきは?という理性的な考えもあった。でも圧倒的に頭を占めるのは、海と同じ美しさ。

ほうきで掃く。
ああ、崩したくない。
海をかき集めたら、ただのガラスに、
ただのガラクタになってしまうじゃないか。
待って、お願い。
今まで見たことのない海を、もう少しだけ。

そして分かった。
ガラスが割れて散らばった破片は、
「偶然にしてできた美しさ」。
誰も、計画なんてしていない。

人工的に作られ、計画されたものは
一時足を止めるには十分だ。
ではなく、
「偶然にしてできた美しさ」は
人を惹きつける。心に染みつく。

そして、
「偶然にしてできた美しさ」は
自然の美しさと通ずるところがある。
だから散らばったガラスが海に見えた。

海がもし、人工的に作れたとしても、
人を惹きつけるだろうか。
心に染みつくだろうか。

「偶然」「自然」
には勝てないんじゃないか。

…そんなことを思う月曜日です。

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