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コミュ障

「コミュ障」って対人関係が苦手であることを示す俗称なのね。母はあなたたちが使う「コミュ障」の意味が実はよくわからなかった。なるほど!

「私、コミュ障だから」と言えるのは、使い勝手がいいわね!
まるで「テスト勉強しなかった」と言うのと同じ効果があるのよね。「テスト勉強しなかった」と先持って言うことは、テストの結果が良ければ賢いことの証明のように感じるし、結果が悪くても勉強してないし!といった言い訳にもなる。つまり、「テスト勉強しなかった」と言うことで、自分の心を守る防衛策ね。「コミュ障」も同様。

そもそもコンプレックスは口に出せないから「私は○○がコンプレックスなんだ」と言えることは、コンプレックスから抜け出ている証でもある。逆説的だけど、コンプレックスに感じていることでも口にしてしまえばコンプレックスでは無くなるの。「私、コミュ障だから」はコンプレックスの公開で、かつ「対人関係が苦手」より軽いから口にしやすい。思春期は人間関係が全てのような時代だから防衛のための工夫してるのよね。GOOD👍

ただ場合によってはこういった工夫を、本当の自分だと誤解してしまうことがあるから、そこだけ気をつけてね。

そもそもコミュニケーションとは一体何なんだろうね。
コミュニケーション(communication)とは「意思を伝え合う」といった行動を示す意味あい」と書いてある。シンプルに、相手はどう思っていて、私はこう思っていると伝え合うことね。ただ、私たちが使うコミュニケーションはもう少し複雑な感じがするわよね。

例えば、コミ障の印象は「互いの意見交換が下手」とは少し違っていて、『交渉』の要素が含まれているように感じるの。コミュニケーション上手の輪の中には、交渉上手が含まれているんじゃないかしら。

コミュニケーションの目的が『意思を伝え合う』ではなく、『自分の意思通りに動いてもらう』『自分の意見に賛同してもらう』等の目的が強くなる場合は気をつけなければならないね。コントロールの要素が入っているから。

コニュニケーションとコントロールは違う。誰もコントロールなんてされたくないから、コントロールを目的としたコミュニケーションは決して長続きしない。それに、私たちは誰かに何かを感じさせることも、誰かが私たちに何かを感じさせられることもできない。この2点は意識しておいて損はないと思う。

ただ、幼児期を一緒に過ごす親は『教育』と『コントロール』の境界線が曖昧なのね。それは親としての私もそうだったし、娘としての私も同様だった。それに、コミュニケーションのやり方は親を模倣することから始まるでしょ。だから大人になったら、コミュニケーションの仕方を自分で選び直す必要があるのよね。学びながら上手になっていってね。学ぶには目的が大事よ。

ちなみに、母が考えるコミュニケーションの目的は、相手との信頼関係を作ることで、さまざまな考え方や感じ方を通して、互いを知ることによる化学反応がコミュニケーションの楽しさだと思っている。そういったことができる人たちと付き合っていきたいとも思ってるから、コミュニケーションの目的が母が付き合う人を選ぶ選択の軸にもなってるな。

コミュニケーションの目的から自分で選択していってね。あっ!母のも参考にしてもらって構わないよ。なかなか良い線をいってると自負しているから。まぁ、それだけ悩み、考えたということでもあると思うけど。


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