口癖は「大丈夫です」

やはり間があいてしまった。前回の投稿から気がつくと1ヶ月と半分。
あのときはもう書き続けられるのではないだろうかと思っていたが、あいかわらずの「過信」だった。

30代くらいからだろうか。
仕事の現場において「大丈夫です」と返答することが何かと増えた気がする。40代になり、仕事を辞める時くらいにはどんな状況でも「大丈夫」と応え、いろいろ抱え込んでいたように思える。そして上司的役割を果たすようになってからは、スタッフから「大丈夫です」と回答されることが増えてきた。そしてそんなときは大抵「大丈夫ではなかった」。

悪い見本だったのかもしれない。
そして今回もきっと自分自身に「もう大丈夫」だからと言い聞かせリスタートしていたのだろう。こんな状況であっても同じ失敗を繰り返している。人を支える仕事に従事し、関わる人にいつでもSOSをだしてもらえるように取り組んできた。割と出していただけた方だとは思っている。自分は出せないのに他者にはだしてもらう。なんという矛盾。でも自分がなぜだせないかということを振り返った時に自分のなかで起こる思考の動きや心の機微を事例的に使いながら言葉をかけてきたからだろう。結果、より自分自身は「大丈夫」としか言いようがない状況に追い込んだのだが。

自分よりしんどそうな人をみてまだ自分は「大丈夫」と思い込ませていた。
そんな人は割と多いのだと思う。すごく勉強や練習をしても結果がでず体を壊している人。業務量や依頼が多すぎて残業をするしかない状況に陥っている人。人間関係トラブルに巻き込まれて疲弊している人。トラブルで炎上して仕事やプライベートが荒れてしまった人など。まわりにいる人から自分よりしんどそうな人を見ることで自分の状況はかわらないのに変に安心してしまう。最近は、そんな人にさらに「勉強の仕方が悪い」「業務効率が悪いから」「そんな職場だとわかっているのに辞めずに働くのが悪い」「人のトラブルに顔をつっこまなければよかっただけ」「炎上したのは自分が悪いのだから自業自得」とってさらに攻撃が集まることもある。弱みなんてみせてられない。

「大丈夫」は鎧だった。
社会生活を続け、人間関係で問題を起こさないための鎧であり、魔法の口癖だったのだろう。元気に見せないとSOSを伝えてもらえないと思っていた。実際にしんどそうにしていたときや、忙しく慌ただしく動いているときは気を使われて相談されないことも多かった。仕事においてはそのときの状況への自分なりの対処・対策だったし、それでよいと思っていた。短期的にはそれでもよかったのだが、長期で自分自身を守ることができる鎧ではなかったのだと。鎧が弱くなったのか、鎧がどんどん分厚くなって行くなかで鎧の「中の人」が重さに耐えられなくなったのか。外からみたら、後者で気がつけば鎧の中で人知れず壊れていたのだ。

鎧は「癖」となった。
最初は意識的にまわりに心配かけないために使っていた「大丈夫」も、回を重ねるごとに無意識に口にするようになる。もはや口癖。きっと癖になったことがポイントなのかもしれない。きっとこの便利な魔法の言葉に依存したのだ。もしみなさんにも似たような自分を守るための言葉が無意識に口癖なったものがあるなら、ちょっと気をつけてみてほしい。癖となるとその癖で誤魔化した「しんどさ」を無意識に何度も何度も溜め込むことになる。癖はいつでもどこでも何度でもでるものだから。

とりあえずなんか良さげな新しい口癖を見つけて上書きしたい。

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