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「怒ると本音」への素朴な疑問。

 誰が言い出したのか、どこで聞いたのかも覚えていないけれど、「怒らせれば、本音を聞き出せる確率が高い」といった言葉は、ずっと昔から言い伝えられているように思う。

 最初に働いていたマスコミの現場では、知らないうちに、そんなことは「定説」のように言われていたのを覚えているし、それから、20年くらいたっても、マスコミに取材を受けた人が、どうやら怒らせて本音を言っているように見せたい、と感じて不快だった、という話を聞いた。

 その常識は、変わらないのだと思って、ちょっと怖くもなった。時代が進めば、少しは更新されると思っていたからだった。

「怒ると本音」への違和感

 こうした記事↑を読むと、興味がある人が、本当はどう思っているのか?といったことは、当然のようにずっとテーマになり続けているのだと思うし、そのことに関して、思って以上にたくさんの「定説」があるらしく、その全部を知っているわけもないのだけど、「怒ると本音」は、そのうちの「定番」で、かなり長い寿命を誇っているらしい。

 いろいろな知識もなく、経験も少ない20代の頃から、この「怒ると本音」に対しては、違和感を抱いていた。

 ぼんやりと思っていたことに過ぎないのだけど、「怒ると本音」は、ある意味では本当かもしれない。だけど、その「本音」というのは、未熟な例えに過ぎないが、表面的な建前が、心の第1層だとすれば、怒って出てくる本音があったとしても、心の第2層に過ぎないのではないか。

 本当の本音は、もっと心の底にあるから、逆に怒りによって、そのさらに底にある気持ちは、フタをされたように出て来れなくなったり、その気持ちがまだあいまいで微妙だったりすると、その自らの怒りによって、かき消えてしまうことも少なくないのではないだろうか。
 そんなことを思っていた。

本当の気持ちについて

 その後、年齢を重ねて、少しは経験も増え、本も読む習慣もついたりして、そうした思いは、かなり確信に近くなってきている。

 怒ると出てくる本音もあるかもしれないけれど、それは意識して隠しているような気持ちであって、もっと気持ちの底の方にある、本当の気持ちみたいなものは、実は、本人もはっきりと気がついていないようなものだから、きちんと信頼してもらってから、じっくりと話をして、初めて分かるのかもしれない、と思うようになった。

 さらには、本当の気持ち自体も、存在するかどうかもはっきりしなくて、人間は、周囲の人や「出来事」によって、思った以上に影響を受けているから、「自分の思い」と思っているものが、誰かの願望だったりすることも多い。

 その一方で、自分の願望みたいなものも、我慢しすぎると、その願望自体が分からなくなってしまい、だから、自分の気持ちをマメに確認するようなことをしないといけないのではないか、といったことを思うようになった。

 これは、心理学などについて、ほぼ知識がない頃に思っていたのだけど、その後、少しは心理学などについて知るようになってからも、そんなに大幅に外れていないのではないか、とも思っている。

 ただ、こうしたことに関しては、これが正解、とか、これだけが絶対、などと思った瞬間に、自分自身が、インチキな存在に近づきそうだから、ずっと感じたり、思ったことを、考え続けることをしないといけないのだろう、(シンドイとしても)とも思っています。



(ただ、こういうことは、どうしても未熟で偏った見方になっていると思いますので、もし、もっときちんと学びたい方は、いろいろな人が勧めているとは思うのですが、「無意識の発見」をしたと言われているフロイトから読むのも、一つの王道だと思います)。

(フロイト全集は、別巻を含めて、23巻ありますが、1は、医学者の側面と、特に情熱が強い印象がありました)




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


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