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昔住んでいた街

 ギャラリーを見に行って、久しぶりに昔住んでいた街に行った。


アパート

 出版社の契約社員をしていて、将来のことや、自分のやりたいことを考え、フリーでライターをやろうと決めた。誰に相談するわけでもなく、自分が書きたいものを書いていきたいと思った。

 同時に、一人暮らしを始めようとして、都内に住もうとした。

 最初は、友人が住んでいたアパートがあって、共同のシャワーがあって、家賃も安かったので、そこを訪ねてみた。その建物はまだあって、だけど、どの部屋にも人が住んでいたので、あきらめた。

 初めての一人暮らしだから、できたら、これまでも、少しでもなじみがある場所に住もうと考え、東横線沿いにしようとしたのは、大学のときも、契約社員のときも、この路線を使っていたからだ。

 20世紀の終わり頃でも、東横線のイメージは良くて、だから家賃も高そうで、と思っていたので、最初は他の路線も考えたのだけど、各駅停車しか停まらない駅で、地元の不動産屋を回ってみたら、意外と安いところがあるかも、という情報を知人から聞いた。

 その言葉に従って、東横線の祐天寺駅のそばの古そうな不動産屋さんに行って聞いてみたら、駅から徒歩7分。だから、隣の学芸大学とほぼ真ん中の距離だった。6畳の部屋と、台所があり、トイレと同じスペースだけど、お風呂もあって、月に5万という額だった。

 20世紀末でも、駅からの距離も含めて、安い家賃だった。

 ただ、欠点はいくつかあって、お風呂場とトイレがとても近く、頭を洗うとトイレットペーパーが濡れてしまうから、入浴のたびに外すことと、1階だったので上の階の物音がよく聞こえてきたのは、古い木造家屋で床が薄いせいかもしれなかった。

 それでも、1階の別の部屋には、管理人さんのような働きをしてくれる人も住んでいて、その人から食べ物などをもらったり、私も仕事などでいただいたものなどをお返ししたりもしたりして、気持ち的には快適な部分もあった。

 だけど、収入が伸びないこともあったし、結婚するためにお金を貯めようと思い、アパートを引き上げて、初めての一人暮らしは2年半ほどで終わった。

変化

 それから、随分と時間が経った。

 東横線のイメージは、それほど下がることもなく、田園調布のあり方は、一時期よりも脚光を浴びなくなったといえ、高級住宅街のままだったし、さらには、最寄りの駅によっては、以前よりもオシャレになっていった。

 そんな変化は、自分が住んでいた祐天寺にもおとずれていたようだった。

 有名な女性芸能人が雑貨屋をオープンしたニュースを見たときには意外に思った。

 私にとっての祐天寺は、駅前にはやや古い商店街があって、落ち着いている印象だった。アパートの近くには五本木商店街(六本木に近いところが一つもないのだけど)もあって、買い物もできたし、コンビニもあった。ただ、オシャレ、といったイメージは、自分にとってはかなり遠かった。

 いくつかある記憶は、駅前の花屋の上にレストランのようなものができて、そこで、ハンバーガー型の電話の受話器を、店員にジャンケンで買ったらプレゼントされるという企画があって、そのとき付き合っていた今の妻が「欲しい」ということだったので、珍しく必死で勝ちをおさめたこと。駅前のトンカツ屋によく通って、食べ過ぎて、舌が痛くなったこと。

 だけど、2010年代に、祐天寺に行った時は、小物や洋服だけではなく、何を売っているのかわからないけれど、オシャレな空気を出していて、怖くて入れないようなショップが確かに増えていた。

 それに、2000年代以降は、喫茶店ではなく、カフェが一般的になってきた。以前は半地下の喫茶店があるくらいだったのが、何店舗もオシャレなカフェができていた。

 隣町の中目黒は、気がついたら、ちょっとしたあこがれの街のようにもなっていたし、学芸大学も栄えていて、人通りが多いままだった。

 祐天寺も、明らかに変わっていた。街の中にオシャレ成分が増えていたから、こういう街に一人暮らしだったら、もう少し違う生活ができたかも、などと少し想像するくらいの変化だった。

 昔住んでいた古い木造のアパートは、建て替えられてマンションになっていた。一時期、その近くに「くじら軒」という好きなラーメン店の支店が開店して、そして、なくなった。

 何年か前、妻と一緒に祐天寺から中目黒方面に駒沢通りを歩き、その途中にある、おしゃれすぎないきれいなレストランでランチを食べたこともあった。確かに、こうした店は、昔の祐天寺にはなかった、と思いながらも、おいしく楽しい時間だった。

昔、住んでいた街

 コロナ禍がもっと厳しい頃は外出自体を控えるようにしてきたし、新型コロナウイルスが「5類移行」しても、重症化リスクのある人間が身近にいれば、やはり感染に気を付ける生活は変わらなかった。

 それでも、冬に、もうあまり言われなくなったけれど「第10波」があって、そのピークが過ぎ、減少傾向が続くようになったので、少し外出を増やし始めた。

 そして、中目黒から、祐天寺方向に歩いて、ギャラリーに行った、そこは、駒沢通りをはさんで、向かい側にブルーボトルコーヒーがあるから、自分にとっては、今もオシャレなカフェではあるし、そして、ギャラリーでアートを見てから、祐天寺駅方向へ歩いて行った。

 その途中でも、おしゃれな店はあいからず多かった。

 楕円形のニットがディスプレイされているショップがあって、かなりとがった洋服のデザインで、すでに自分では理解できない。そんなことを思って通り過ぎたら、その店からは犬を連れた人が出てきて、そこが犬専用の洋服屋であることがわかった。

 それからも、何を扱っているのかわからないショップや、美味しそうとオシャレが混じっている飲食店を通り過ぎ、駅に向かって曲がるかどのところにも、古い民家を利用したレストランがあった。ここは以前もあったと思うけれど、さらにツタ系の植物の絡まりが強くなっているようだった。店内が見えたら、オシャレな絵画が壁にあった。

 そこから駅に向けての道を歩くと、「全国来々軒のルーツ」という中華店があったり、様々な洋服や雑貨の店や飲食店もあった。

 駅の周囲も少し変わっていたように思う。

 中目黒駅を降りてから、ギャラリーに寄って、ここに来るまでずっとなかった公衆電話のボックスがやっとあって、自宅に電話をした。

 昔、ジャンケンをした花屋の上のレストランも跡形もなかったようだけど、さらに駅前の象徴的なカレー屋で、電車のマニアを全面的に打ち出した「ナイアガラ」がなくなっていた。

 と思ったら、店のあった場所にパネルがあり、「ナイアガラ」は、駅から少し遠い場所に移転していた。

 駅前の銀行はそのままあって、駅の向こう側に通っていく道路は、鉄道線路の高架との高さを保持するために、道路がU字のように潜って、上がっているのは相変わらずで、その形状を見ると、昔の印象のようなものが重なった。

 駅構内に喫茶店のような場所があった薄い記憶があるが、今はスターバックスになっていた。

 ただ2年半、住んでいただけなのに、昔住んでいた街は、様々なことが変化しているはずなのに、まだなつかしいような気持ちになる。

 それは、一方的な思いに過ぎないのだけど、どこか心の湿度が上がるのは間違いなかった。







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おちまこと
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