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テレビについて㊱『ちょこっと京都に住んでみた』…… 「50年ぶりの共演」が見せてくれたこと。

 最近、夜中にドラマが増えたが、その視聴への熱意の濃淡の差が、妻ともあるのだけど、それでも、見てよかった、と思える番組もある。

『ちょこっと京都に住んでみた。』

 主人公が京都に住んで、そして、「観光地」ではない京都を知っていくというストーリーで、そこに出てくる街の人は、そのまま現地の人が出演して語る、という形をとっていた。その道のプロの人が語る言葉は、その言い方はぎこちないとしても、その説得力は感じていたし、何かを作ることが私よりも好きな妻は、もっと熱心にみていた。

 こういう形のドラマとしては、かなり成功していると思っていたが、「テレビ大阪開局40周年ドラマ」で、大阪では、違う時刻に放送していることも知った。

 ある時、予告編で、このドラマのレギュラーである近藤正臣と並んで座っている「老人」が誰だか分からなかった。ここにいるから「俳優」というプロのはずなのだけど、その老いが出ている姿も含めて、とてもドキュメンタリーな気配があった。

近藤正臣と桜木健一 50年ぶりに共演

 その「老人」が桜木健一だと知ったのは妻に教えてもらったからで、そして、妻が録画を残してくれていたおかげで、その共演場面も見ることができた。

 今作で桜木さんは、茂(近藤さん)のかつての仕事仲間・藤沢を演じる。「最高の相棒」だった2人が誤解をきっかけに友情が壊れ疎遠になり、久しぶりに再会する、という役柄だ。

 近藤さんは「久しぶりに会えて良かった!」と再会を喜ぶと、桜木さんは「久しぶりに近ちゃんと楽しい素晴らしいお芝居をさせてもらいました。うれしかった」とコメントを寄せている。

(「MANTANWEB」より)

 この記事の中にも、50年ぶりに再会と書かれているが、昔、共演していたのが「柔道一直線」というドラマで、桜木健一が主演をし、近藤正臣が、そのライバルという設定だった。

柔道一直線

 そのドラマは小さい頃に見た記憶がある。

「スポ根ドラマ」とのちに言われるけれど、そのころは、そんな名称もなく、ただ、柔道であっても、おそらくは子供向けでもあり、「ウルトラマン」が放送された後という影響もあるのか、今見ると、おそらくかなり無理がある設定が多いと思う。

 桜木健一の演じる主人公の必殺技も「地獄車」という、場合によっては相手を死にいたらしめてしまうような奇想天外な技だし、近藤正臣の演じるライバルは、その身体能力を表現するためにピアノの鍵盤の上に乗って、それで演奏してしまうような異様な姿を見せた。

 そんなことを、特に資料にも頼らずに思い出せるのだから、子どもの時の記憶は残るということと、ドラマにインパクトがあった、のだと思う。

『柔道一直線』は折からの「スポ根ドラマ」ブームもあって平均20%台の高視聴率を誇り、桜木は共演の吉沢京子とともにお茶の間の人気者となった。番組当時、桜木と吉沢のブロマイドはともに売り上げ1位のまま、3 - 4年間もそれが続いたという。

ただ、青春スターとしての印象が強かったためか、本人がスポーツ紙で語ったところによると、35歳くらいになるとテレビの仕事が途絶えるという苦しい時期もあったという。

(「Wikipedia」より)

 そんな浮き沈みが、桜木健一にもあったし、近藤正臣も、ピアノを足で弾いてしまったりしたせいで、役が限られたみたいなことを、何かで見た記憶もあったが、近藤もある時期まではそれほどドラマなどで見なくなったが、年齢を重ねて「老人」といっていい外見になってから、また見る機会が増えたと思う。

 実際の人生で、そんなことがあって(などと一口に語れないと思うが)、だけど、その二人を同じ画面で見られる日が再び来るとは、視聴者としても思っていなかった。

ドキュメンタリー

 この「ちょこっと京都に住んでみた」というドラマ自体が、観光地ではない京都を紹介するという目的と、実際に店を営んでいる人がそのまま出演するというドキュメンタリーな部分もあるのだけど、この近藤正臣と桜木健一の共演する場面は、フィクションであり、ドキュメントで、不思議な密度があった。

 昔、共演した二人。

 年齢を見ると、実は、近藤正臣の方が6歳年上だけど、画面では、本当に同い年くらい、もしくは桜木健一の方が上に見えるような気もするのは、現時点では、近藤の方が、テレビという場所に出る機会が多く、馴染んでいるからだろう。

 それでも、この二人が、昔、仲が良くて、仲違いして、しばらく会ってなかった、というドラマ上の設定だけど、本当に50年ぶりの共演だから、それまで私生活で会っていたかどうかも分からない。

 その後の二人の俳優人生にも色々な浮き沈みも含めて変化があって、そのことについて、お互いがどう思っているかどうかも分からないけれど、その二人の姿が揃っているのを、テレビ画面とはいえ、とても久しぶりに見たのは事実だった。

 最初は誰か分からなかったけれど、その顔を見ていくと、今は老いているけれど、確かに、桜木健一だと分かった時に、ただの視聴者だけど、年月の流れみたいなものが押し寄せてきた。テレビ画面を通してだけど「知っている人」が、歳をとったけれど、元気そうで、よかった、みたいな妙な思いになっていた。その「会っていない」時間がうまっていくのも、まるで久しぶりに出た同窓会のような感覚に少し似ていた。

 それは、ドキュメンタリーを見ている感触で、同時に自分の生きてきた50年のことを、こんなふうに、時間の流れた蓄積を感じる機会も、あまりないことに気がついた。

 そんなことまで思えたのは、近藤正臣と桜木健一という二人の俳優が、演じるというフィクションを通してだけど、それでも、素の自分の「老い」も含めて、怖がらずに出しているから、より年月の流れを感じさせてくれたのだと思う。

 だから、全く知らない人であるのに、俳優として「知っている二人」が、こうしてずっとプロの俳優として居続けてくれているから、時間や年月のことを感じさせてくれる瞬間ができたのも事実だから、ドラマを制作した人もそうだけど、何より、ここまで生きてきて、プロであった二人に感謝する気持ちになった。

50年という時間

 50年という時間は、その長さを考えると、めまいがするくらいだけど、だけど、その50年前は、そこを生きてきた人間にとっては、あっという間のように感じる近さもある。それでも、その間には、何も特筆することはなかった、と思えるような、自分の生きてきた年月にも、なんとも表現の難しい膨らみも確かにある。

 それが改めて分かったから、すごい場面だったのだと思う。




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