「タッチ」方式。
テレビ東京は、ここ何年か、食事や料理に関するドラマやバラエティを、主に深夜に絶え間なく放送している印象がある。
それは、コロナ禍になり、特に2020年頃は、感染に怯えながら生活していた人間から見ても、科学的な根拠が十分でないのに、あまりにも飲食店ばかりが「攻撃」されていて、とても理不尽な印象があったから、もしかしたら、そういうことにひそかに異議を唱えるために、そうした番組を増やしているのだろうか、と思っていた。
コロナ禍初期は、主人公が一人で、どんなものを、どんな場所で食べるのか?といったバリエーションが豊富になっていたし、それは、感染を避けるためには「孤食」が推奨もされていたから、それに対応していたかもしれないが、そのうちに、食事をテーマとしながらも、複数の登場人物の人間関係や、生活や、人生について、幅広いテーマを扱うようになって、それは、ささやかだけど、大きな意味もあるように思えている。
2023年の春に放送されていた『かしましめし』も、そうしたドラマの一本だった。
『かしましめし』
確かに、こうしたドラマだったのだけど、極端に分かりやすいわけでもなく、どこか静かな場面も多く、かなり丁寧に制作されている印象があって、だからなのか、私よりも妻の方が、とても気に入って、毎回、集中して見ていた。
こうして食事を中心にすれば、変に浮つくこともないし、地道さもあるドラマが存在するのは、なんだか、いいことだと思うようになっている。
(※ここから先は「かしましめし」の内容にも触れています。未見の方で、情報に触れずに視聴したいと考えていらっしゃる方は、ご注意していただければ、ありがたく思います)。
「最終回」
主人公は、美大卒業後、デザイン会社に勤める。
ただ、そこで、上司の、おそらくは本人は意識していない、主人公の才能への嫉妬もあるせいか、パワハラを受け、そのことでその会社を辞めてしまう。
その後、料理を作ることで、さらには、同居する友人たちとの関係性によって、気持ちが少しずつ回復し、再び、デザインの仕事も始め、そのうちに作品が、著名なデザインの賞の候補になる。
その賞にエントリーされたのは、もちろん複数だったのだけど、そのうちの一人がパワハラの元上司だった。退職後に会って、それで傷ついた経験もあるので、これで受賞すれば、一種のリベンジにもなるのだけど、候補になった後のことについては、最終回までも触れられることもなく、進んでいく。
それよりも、主人公や、主人公の身近な友人たちの生活や人間関係の進展の方に焦点が当たって、ストーリーが進んでいき、その方が重要だということなのだろうけれど、それぞれが一応の明るさのある進み方を見せていて、視聴者としては、そのデザインの賞のことも忘れていて、いつものように主人公が料理をつくっている中で、画面の中でトロフィーと賞状がさりげなく映り、そのことで、主人公が、元上司をおさえて、デザインの賞を受賞したことが示される。
それを見て、思わず「あ、タッチ方式だ」と言っていて、そのあとに妻に説明までしてしまったが、その行為が歓迎されていたかどうかは、ちょっと分からない。
あだち充
「タッチ」というのは、1980年代前半に連載されていた漫画で、その後にアニメ化もされ、その主題歌は今でもカラオケで歌われているから、ある年齢以上の人であれば、知っている物語であるはずなのだけど、いろいろな意味で意外な作品でもあった。
「タッチ」の連載当時、読者の一人でもあったのだけど、それは、友人の一人が、私よりも、もっと熱心に読んでいたせいもあった。
そして、この物語の最初の事件は、比較的、初期に起こる。
主人公は、上杉達也と和也。男子高校生で双子。さらに、幼馴染の同級生の浅倉南だった。和也は、野球部のエースだったが、子どもをかばって交通事故にあってしまう。
そこで、その週の連載は、終わっていた。
週刊少年サンデーで、「タッチ」は連載されていたから、和也がどうなるのかは、次の週までは分からない。今のようにインターネットもないから、情報はほとんどない。そんな中で、私より熱心に「タッチ」を読んでいた友人は、強調した。
あだち充は、殺さない。
その友人は、「めぞん一刻」(高橋留美子)のことも熱く語っていたので、こうした「ラブコメ」のような漫画には、私などには分からない見立てができる人間だと思っていたし、あだち充にも詳しいのだろうから、その断言には説得力を感じた。
だが、次週、上杉和也は、亡くなっていた。
その時、「あだち充は殺さない」と断言していた友人と、どんな会話をしたのかは覚えていない。からかっていたかもしれない。だけど、今から考えれば、熱心に読んでいた人ほど、ショックが大きかったのだろうと思う。そして、その友人の断言は、多くの人と共有できる感覚だったのだと、それから、何十年も経って、改めてわかった出来事まであった。
「バトンタッチ」の「タッチ」に気づきにくかったのは、これは、作者の意図でもあったのだろうけど、上杉達也は、ヒロインの浅倉南に「たっちゃん」と呼ばれていて、読者としては、この「たっち」ではないか、と漠然と思っていたせいもある。さらには、アニメのテーマソングでは、「タッチ」は、さわる、もしくは、触れる、のように歌っていたはずだ。
ただ、今になってみれば、あだち充という作者は、「タッチ」以前の、ラブコメである「みゆき」という作品で、血がつながっていないとはいっても、主人公の「兄」が「妹」と好意を抱き合うだけでなく、最終的には結婚までするストーリーを描き切った人だった。
だから、その絵柄では想像できないような発想をするような作家でもあり、そう思えば、「タッチ」で、最初から登場人物の一人が死ぬことを考えていたことも、不自然ではなかったのかもしれない。
「タッチ」方式
少し遠回りになり、申し訳なかったのだけど、「タッチ方式」というのは、「タッチ」終盤に使われた表現方法で、個人的には「タッチ方式」と呼んでいるのだけど、もしかしたら、もっと正式な名称があるのかもしれない。(この点については知らないので、もしあったら、すみません)。
甲子園出場を目指して、野球部に入り、素質もあったせいか、上杉達也はエースとなり、予選を勝ち抜いて甲子園出場を決める。そして、漫画では、浅倉南に告白する場面の方が、とても印象深く、その後、急に時間が経って、夏の終わりのような描写になる。
そういえば、甲子園はどうなったのだろう、と読者が思うあたりのタイミングで、画面の中に、甲子園優勝を示す「優勝盾」が、上杉達也の部屋にある場面が描かれる。
これだけで、甲子園で優勝したことが伝えられた。
野球が中心の漫画であれば、当然、甲子園優勝まで一戦一戦を克明に描くはずで、この頃は、人気もある作品だったから、そうしてもおかしくないのだろうけど、こうした「甲子園優勝」という大きな出来事であっても、この作品の重心が、あくまでも恋愛の方にかかっているように、さりげなく重要なことを描写するのを、個人的には「タッチ方式」と言ってきた。
だから、『かしましめし』の最終回でも、主人公の受賞のことを、そのトロフィーなどがあることを映しただけで示したことを、「タッチ方式」と言ってしまい、その説明まで、妻にしていた。
ただ、こうした表現方法は、もっと昔からあるオーソドックスな方法ではあるのだろう、とも思っている。
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