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マラドーナの、異質な行動の意味を、考える。 1994年と、2010年のW杯。

 アルゼンチンのサッカープレーヤーであり、監督もつとめたディエゴ・マラドーナは、天才として、膨大な言葉で語られてきた。もう今さら、言葉を尽くすこともないかもしれないし、もしかしたら、これから書くことも、誰かがすでに指摘したことかもしれない。しかも、テレビ画面を通して見た、個人的な印象に過ぎない。

 それは、プレーヤーとしての1994年のワールドカップの頃。
 もう1つは、2010年、監督として出場したワールドカップの時の事だった。
もう、ずいぶんと過去のことになってしまうが、それは、どこか鮮やかな印象と共に今も覚えている。


1994年。アメリカでのサッカーのワールドカップ。

 予選で苦戦したアルゼンチンは、その時点で様々な問題を抱え、決して調子がいいわけでもないのだが、オーストラリア戦で、代表にマラドーナを復帰させた。ここで、負けたら、ワールドカップ出場が絶望的になるはずだった。

 サッカー史上に残る名プレーヤー。アルゼンチン代表を、1986年W杯優勝に導いた「神の子」といわれる選手。5人抜いてゴールを決めるという超人的なプレーも、手を使う反則でゴールを決め「あれは神の手」とコメントを残すのも、ワールドカップの同じ試合という「伝説」を持つ天才。そして、マラドーナといえば、ドリブルという印象だった。

 だけど、その94年の復帰時には、30歳を超えて、運動量が減ったせいもあって、パスが多くなっていた印象だった。ただ、テレビ画面で見ているだけだったが、しばらく見ていると、何だか不思議な感じがしてきた。

 そのゲームのマラドーナは、次のプレー選択が分りにくかった。それは、プレーのタイミングそのものが異質に見えていたからだと気がついた。偉そうな言い方になってしまうが、観客という、ふかんの視点から見れば、どれだけ、一流プレーヤーであっても、ボールを止め、周りを見て、次のプレーをする。そうした1、2、3、といった規則的なリズムの中にいることが、分かるように思う。一流は、そのテンポが早く、また、そのテンポを早くも遅くも、また場合によっては、1でパスをしたり、1、2で次のプレーをしたりと、コントロールできるから、すごいと思っていた。

 その試合での、マラドーナのパスを出すまでのリズムは、例えて言えば1,3とか、極端にいえば2,74といった、小数点以下までを感じさせるようなものに見えた。だから、ゲームの中で、異質な行動のように思えたのだった。

 その異質さの理由は、しばらく見ていると、なんとなく、分かってきたような気もした。
 マラドーナは、自分のリズムでのプレーというよりは、サッカーというゲームの流れに完全に合わせているのではないか。ゲームの中で、パスを出すなら、このタイミングがベスト、というものがあり、それに対応することを完全に優先させているのではないか。そうなると、1、2、3といった自分のリズムではなく、ピッチ全体に流れるサッカーのリズムに合わせるため、1,3や、2,74といった、小数点以下を意識させるような、異様なリズムに感じるのだと、思うようになった。ただ、それは、当時でいえば、全盛期を明らかに過ぎているのに、マラドーナ以外にできるプレーヤーがいるとも思えなかった。

 いかにもエゴイストにも思える天才が、もしかしたら、そのピッチにいる誰よりもサッカーというゲームに身を任せていて、そのために、もっとも効果的なプレーができているということかもしれない。それは、遠くの国からテレビ画面を見ていただけの、1人のサッカーファンのゆがんだ認識かもしれないが、その時は、本当にそう見えた。

 1994年のアメリカでのワールドカップ本戦でキャプテンをつとめ、ゴールも決めた。本戦でも、運動量が減ったためか、自分で突破するよりも、パスを選択することが多くなった印象だった。その異質なリズムの傾向は続いていたように思う。こんなにパスもうまかったんだ、と改めて思った。
 コーナーに近い場所から、足がねじれるような、遊びで行なうようなトリッキーな動きで、平気で普通のセンタリングをあげていた。どんな状況からもパスを出せるから、トリッキーにも見えたのだけど、それは、その瞬間のベストの選択なのだろうなと思えた。

 その大会は、ドーピングで、マラドーナは、途中で姿を消した。


2010年 監督としてのワールドカップ

 マラドーナが再び、監督として、ワールドカップに戻ってきたのは、2010年のことだった。 1997年の現役引退後も、とても順調とはいえなかったし、代表監督への就任も順風満帆とはいえなかったが、それでも予選を勝ち抜いて、南アフリカで開催されるワールドカップ本戦にやってきた。

 その時も、監督として、記者会見での暴言など、いろいろな話題を振りまいていた。ただ、テレビ画面を通して目を引いたのは、試合中に、ほとんど座らずに、まるで一緒に戦っているように振る舞っていた姿だけでなく、試合が終わった直後のマラドーナの行動だった。

 ピッチに向かい、試合を戦った選手一人一人を、小柄なマラドーナが持ち上げるようにハグをしていた。しっかりとしていながら、柔らかく、包み込むように、敬意が伝わってくるような行為だった。
 選手を、本当に大事にしている姿にも見えた。

 アルゼンチンでは、「神の子」でもあるのだから、やっぱり代表選手とはいえ、うれしいのではないかと思ったし、こうした行為は、想像以上に、プレーヤーに力を与えるようにも思えた。

 もちろん遠い国からテレビを通してしか見ていないから、選手がどう思っているのか、本当のところは分からない。ただ、ここまでの振るまいをしている監督は見た記憶がなかったから、異質な行動にも思えた。

 そして、グループリーグは3戦全勝で通過したが、準々決勝で、ドイツに負けて、姿を消した。4対0と大敗したが、検索すれば、今でも、試合後に、メッシをハグしている写真を見ることができる。

 サッカーに関するすごいエピソードと同時に、現役の時も、引退後も、悪いエピソードも不思議な話題も、山のようにある存在でもある。実際に近くにいたら、うんざりするような人物かもしれない。
 でも、遠くからテレビ画面を通して見ているだけの、個人的な印象として、長い時間がたっても残っているのは、誰よりもサッカーそのものを、プレーヤーの時も、監督の時も、全身で大事にしている、というものだった。
 「神の子」といわれるマラドーナは、誰よりもサッカーに愛されているのかもしれないが、もしかしたら、誰よりもサッカーを愛している人なのかもしれない。

 改めて書くと、おおげさで、恥ずかしい表現でもあるし、ただの昔話といわれるようなことでもあるけれど、今でも、やっぱり、その印象は変わらない。


 ところで、ここからは蛇足になります。
 こうして書くと気がつくのが、1994年と、2010年だと、今から26年前と、10年前だから、倍以上、現在からの、時間的な遠さは違う。ただ、印象の強い出来事だと、記憶の距離感は、ほぼ変わらない。だから、2つの出来事の、今からの遠さは、個人的な感覚としては、ほぼ一緒になる。
 年齢が高い人が、何十年前のことでも、数年前のことでも、同じように、昨日のように語るのが、昔は不思議だったが、自分が年をとってくると、身をもって分かるようになってきた。
 そのことに改めて気がつきました。



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