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とても個人的な平成史⑤「サッカーの急速なメジャー化」 冬の時代の記憶

 もう今では実感としては分かりにくくなるほど、昔のことになるが、日本国内で「サッカー冬の時代」は長かった。

 1968年のメキシコオリンピックで、銅メダルをとったあと、日本国内のリーグ戦が盛り上がったこともあったが、それからオリンピックも、もちろんワールドカップ に日本代表が出られることもなく、いろいろな見方があるようだが、1980年代か、Jリーグが開幕する前まで、サッカーは「冬の時代」と表現されていることが多い。その期間は、20年以上に及ぶといわれている。

 簡単にいえば、社会の中で、サッカーが話題になることが少なかった。サッカーの映像に触れることも極端に少なかった。その頃、日本国内でのメジャースポーツは、今では想像しにくいほど、圧倒的に野球だった。

 とても個人的なのだけど、1993年のJリーグ開幕後の、平成の時代の中での、サッカーのメジャー化の急速さを少しでも実感してもらうために、その以前のことも含めて、記憶を書いて、残しておこうと思います。

1985年。サッカーがメジャーになるまで、あと8年の時の出来事。

 1985年。
 学生時代に一緒にサッカーをやっていた友人から電話が入った。
 今度、国立でワールドカップ の予選があって、それに勝つとワールドカップ に行けるんだ。
 そんな内容だったが、最初は何を言っているのか分からなかった。
 え、どこが?みたいなことを聞いたかもしれない。

 日本代表がワールドカップに出場するということは、その頃、サッカーに関心がある人間ほど、代表には失礼かもしれないが、ちょっとしたSFみたいな話題だった。オリンピックにも出られなかった。サッカー専門誌は、予選があるたびに、今度こそ、という記事が載っていたし、日本のボクシング選手が韓国の選手に勝ってチャンピオンになったから、サッカーも、みたいな、かなり無理のある結び付け方をしていたこともあったのだけど、それだけ、明るい材料が少なかったのだと思う。

 そして、友人は一緒に行かないか?と言ってくれた。
 とても嬉しかったのだけど、その頃、社会人1年目で、ワールドカップの予選のある日は出張で関西に行くことも決まっていた。そのために仕事を休むこともできなかったけれど、それだけサッカーに賭けていなかったし、やっぱり勝てるとは思っていなかったのかもしれない。

 1985年10月26日。土曜日。
 国立が、日本代表の試合で、観客があんなにたくさんいる映像を見たことがなかった。
 それだけでも信じられなかった。
 木村和司がフリーキックを決めた。
 当時、かべをつくられて、その上をカーブを描くようにゴールを決めるようなフリーキックを決められる日本人の選手はいなかった、と思う。
 だから、そのゴールの映像も、大げさでなく、現実感が薄かった。
 韓国に負けて、またワールドカップは遠いままだった。
 日本のサッカーファンにとって、ワールドカップは、テレビで見たりする、遠い存在のままで、その時、その距離感は、自分が生きているうちは、変わらないのではないか、と思うくらい、社会ではサッカーへの関心が、まだ薄かった。それは、当時、スポーツ新聞に勤めていたけれど、その中で、話題になることもなかったと思う。
 ワールドカップがどれだけすごいのかを、誰かに語っても、それほど興味を持たれない日々は続いていた。
 元号が変わるまでは、あと4年だった。

1991年。サッカーがメジャーになるまで、あと2年の時の出来事

 1991年か、1992年。すでに平成になっていた。
 その頃、私はフリーのライターをしていた。大学を出て、スポーツ新聞の記者をして、出版社で編集を学んでから、フリーになった。会社勤めは、合計して3年くらいだった。

 私のような末端のライターでも、一応生活していけたのは、バブル景気と、その余韻のおかげだと、後になって気づくのだけど、その頃は、分不相応にも、もっと書ける場所が欲しかった。その頃はインターネットも一般的ではなかったから、何かを書いて広く伝えるとしたら、雑誌や新聞や書籍しかなかった。私は主に雑誌で仕事をしていて、出版社側から仕事が多くくるような、いわゆる「売れっ子」でもなかったので、自分で企画を持ち込んだりもしていた。

 その頃、仕事をしていたスポーツの総合雑誌があった。私は、まだ手書きの原稿だった。今、考えると、よくそんな図々しいことをしていたと思うのだけど、手書きで企画書を書いて、編集者に見てもらったりしていた。文字は明らかに下手で、とても読みにくい企画書、ということもあったとは思うのだけど、よく言われていたのが、「タイミングがあえば」だった。それは、婉曲的な拒絶だったし、自分が「売れる」ライターであれば、わりと、いつも「タイミング」は合うんだろうな、などと思っていて、なんだか屈折していた日々だった。

 そんな中、その時も企画書を出した。その時の編集者の答えが、
 「サッカーはマイナーだから」
 といった拒絶の言葉だった。

 自分がマイナーなライターということもあったかもしれないけれど、でも、Jリーグ開幕が、あと1年か2年に迫っていても、そんな空気感は、その人だけではなかったように思う。
 間近に迫ったJリーグ開幕でさえ、かなり懐疑的に見られていて、私自身も、あのジーコが来たといっても、こんなにサッカーへの関心が薄い国では、プロ化はまだ早いのではないか、とも思っていた。


1993年からの、サッカーの急速なメジャー化

 1993年(平成5年)、Jリーグが開幕した。
 チケットは、とても手に入れにくい期間が続いた。
 同じ年、「ドーハの悲劇」があった。
 1985年よりも、もっとワールドカップに近づき、そして、届かなかった。
 ただ、その試合はテレビ中継され、それまでサッカーにそれほどの興味がなかった人たちも見て、劇的な展開に涙を流す、という話まで聞いたことがあったから、根付くきっかけになったのは間違いない。
 1996年には、28年ぶりにオリンピック出場を決めた。そして、同年のアトランタオリンピックでは、予選とはいえ、あのブラジルに勝ち、「マイアミの奇跡」ともいわれた。
 1998年には、初めてのワールドカップに出場した。
 それは、ちょっと信じられないような急速な成長だった。

 振り返ると、Jリーグ開幕以来、ブームは落ち着いたとはいえ、節目節目で、興味をひく出来事が続いている。
 そして、オリンピックには1996年に28年ぶりに出場すると、その後は、2000年、2004年、2008年、2012年、2016年と、出場し続けている。
 ワールドカップには、1998年に初出場すると、2002年、2006年、2010年、2014年、2018年と、やはり連続出場を継続している。
 出られるのが、当然のようになっているのに、個人的には、まだ体が慣れていない。
 2011年には、女子サッカー代表がワールドカップで優勝し、世界一になった。朝方までテレビを見て、生きている間に、こんな瞬間を見られることに、やっぱりどこか感謝していた。

 何より積極的に海外のサッカーチームへ移籍しているプレーヤーたちが、日本のサッカーへの貢献という意識はそれほどないかもしれないが、彼ら彼女らの存在が、日本のサッカーのレベルを上げることに大きく影響しているのは間違いない。それは、すごいことだと思う。そして、プレーヤーに比べると、まだ少数だが、海外で指導者としてチャレンジする人も出てきている。それも素晴らしいことだと、思う。

 2020年の今は、こんな状況であっても、サッカーの話は、わりと誰とでもできるようになった。オフサイドを説明しなくてはいけなくて、説明の途中であきられることも、少なくなった。フットサルも盛んになり、フットサル場が増えたおかげで、年齢が高くなっても、ボールを蹴ることが以前よりはるかに容易になった。

 子どもの頃から、スタジアムに、サッカーファンの親に連れられて、映像では世界のサッカーを普通に見続ける、そんなエリートのサッカーファンが増えてきているはずだ。今は、メッシのドリブルが、あんなにタッチ数が多いのに、信じられないほどスピーディーだから、止めるのは難しいことを語っても、そんなにひかれなくなった、と思う。

 サッカーのことに、こんなに大勢の人が、興味を持ってくれるようになった。それは、平成の時代から続く、とてもいいことだと思う。別に自分がサッカーに関しては何者でもないし、熱心なファンには怒られるくらい、サッカーを数多く見ていないけど、でも、そんなことを、今も思っている。



(参考資料)
知られざる「1993年、Jリーグ開幕」の真実。カズがあの日から伝え続けるメッセージ
https://real-sports.jp/page/articles/376590038026159126



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