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とても個人的な平成史②「変わらなさの象徴」 守りが堅い人・所ジョージ

 その時の印象や気持ちは、どんどん忘れていってしまいます。

 「昭和らしい」とか、古くさいという意味も含めて「昭和っぽい」みたいな言い方を聞いたことはありますが、「平成っぽい」や「平成らしさ」は、あまり聞いた事がないような気がします。

 新しい元号が始まって、すぐに今の恐慌のような状態になってしまい、「平成らしさ」を振り返る前に、このまま、いろいろなことが消えていってしまうようにも思いました。

 だから、家にいる時間が多い時に、個人的に「平成史」を少しずつでも、書いていこうと思いました。私自身の、とても小さく、消えてしまいそうな、ささいな出来事や思い出しか書けませんが、もし、他の方々の「平成史」も集まっていけば、その記憶の集積としての「平成の印象」が出来上がるのではないかと思います。

とても個人的な平成史②「変わらなさの象徴」 所ジョージ

 所ジョージの個人的な印象は、ずっと「守りが堅い人」だった。

 デビュー当時は、昭和の時代、1970年代の後半で、視聴者としての最初の頃の印象は「タモリの二番煎じ」だった。その頃の雑誌などを読んでも、すぐ消えるタレントとして、しばらく扱われていたと思うのだけど、それから10年くらいたって、平成に入った頃には、もう大物タレントになっていた。コマーシャルでもよく見かけて、特に宝くじのCMは、不思議なくらい、実際の登場回数以上に多く出ていた印象がある。

 いつのまにか、「所さん」と呼ばれるようになり、自分でもそう言うようになった。(もしかしたら、自分から言うようになったのでは、と今思った)。

 バラエティ で見る所ジョージは、口数が少なく、すごく面白いことは言わず、内面的なことに触れる部分は一切言わないのに、いつも機嫌が良く、面白そうでフレンドリーそうな気配だけは、たっぷりと出ていた。そして、平成時代には、ずっと有名タレントであり続けていた。理想の上司などと言われることも多かった。

 同じように、笑いの世界では、タレントとしての「ビッグ3」といわれている タモリ、たけし、さんま がいて、その3人も、平成の時代にわたって、ずっと「大物タレント」だった。
 所ジョージも含めて、変わらなさの象徴に見えていた。

 平成になるまでの30年間。1959年からの歳月の間の、芸能界の変遷を考えたら、平成の30年の間に、こんなに「有名タレント」の顔ぶれが変わらなかったのは、特異なことだと思う。

 バブル崩壊後は景気の後退が長く、その中では「冒険」ができないので、安定して「好感度」が高いタレントばかりを使うことで、新人のチャンスが必然的に減って、同じ顔ぶればかりが続いている、という分析もどこかで読んだ気もする。さらに、詳しい統計もあるとは思うのだけど、大雑把な印象だけでも、テレビ視聴者の高齢化というのは、本当だから、より、自分と同じように年を重ねていく、いつもの「知っているタレント」が好まれる傾向は強くなるだろう。そうなれば、「いつもの顔ぶれ」だけが、ずっと好感度の上位を続け、そのことで、出演回数が増え、そのことで、また好感度があがる、という循環の中に、平成の時代があったということなのだろうとも思う。

 ある意味で、本当に、平成は「顔ぶれが変わらない時代」だったと思う。
 人事異動が極端に少ない組織のようだ。
 ビッグ3や、所ジョージに罪はないけれど、変化がないことで、静かに沈み続けていった平成の時代の象徴だったのかもしれない。

所ジョージの内面が見えたと、テレビ画面で、思えた瞬間

 所ジョージは、ほとんどトラブルもスキャンダルもなく、失点の少なさで、ずっと、大物タレントであり続けたという、実は稀な例だと思う。だから、安定してCMの仕事もあるのだろうけど、本当にスキがなくて、あまりにも自然体過ぎて、不自然ではないか、とも思ったりもしたが、これだけ長い時間変わらないと、それは、こちらの考え過ぎかも、と思ったりもする。

 そんな所ジョージが、個人的には、一度だけ、本心と思えるものが見えた瞬間があった。
 それは、テレビで見ただけで、何の番組かも覚えていないのだけど、誰かと話していたのは、「テレビに出る」というテーマだった。その時、所ジョージは、こんなようなことを語っていた。いつものご機嫌な表情が、少しだけ薄れ、ほんの少しだけ真剣さがましたように見えた。

 まじめな話をするとさ、テレビに出ることで、いいことも悪いこともあるじゃない。
 だから、テレビに出るなら、出続ける。出ないんだったら、一切出ない。
 どっちかだと思うんだよね。


 それを聞いて、所ジョージのそれまでが、ちょっと分かったように思えた。
 最初は偶然かもしれないが、テレビに出ることがあった。それからは、出続けることを選び、覚悟を持って、面白いことよりも、自分を表現することなどよりも、とにかくメディア(主にテレビ)に出続けることを目標にし、それがある歳月を蓄積すると、出続けることで、人の目に触れる膨大な機会が、その人が、大物であることを保証する、ということを、自覚的に達成した人間。それが、所ジョージなのだろう、と思った。

 それは、とても、偏って全く見当違いの見方の可能性もあるが、そうであったとしたら、仕事はあんまり楽しそうではないから、「世田谷ベース」で自分の好きなことに没頭しているのかもしれない。と考えると、仕事は仕事として割り切り、プライベートな時間に趣味を充実させるというビジネスパーソンと同じ構造かもしれず、それも、支持を受け続けている要素かもしれないなどと思う。

 そして、それを達成するには、何より冷静な種類の頭の良さが、とても高いレベルで必要になる。守りの堅さは、そうした達成に、絶対に必要な要素ではあるけれど、平成の30年間に、ある意味では「失点ゼロ」というのは、見えにくい凄さだと思う。当然、運の良さもあるにしても。 

 ただ、これらは個人的な印象に過ぎず、もっと知っている人や、それこそ本人にとってはあきれて苦笑するような勘違いの深読みの可能性も、もちろん高い。


 それでも、今日も、これから所ジョージを見る機会は、テレビをつけたら、少なくとも、一度はあるだろう。
 MCであってもスーツは着ることがなく、ずっとTシャツなどのカジュアルで、おしゃれなイメージを保ちながら、所さんと呼ばれ、肩の力が抜けたイメージをふりまき続けるのだろうと思う。趣味に力もいれ、その趣味さえも仕事につなげるだけでなく、趣味の間に熱中症になったことも、そのための飲料のCMに出て、元をとる。
 たぶん、麻雀とか、ポーカーとかは、ひくほど強いと思う。

 その冷静さが、少し出ていると勝手に思っているひとつが、人を見る目みたいなところだと思う。もしかしたら、たった一つの成功例の可能性もあるが、まだパッとしなかったバカルディ(現 さまぁ~ず)を、自分がMCの番組で使い続けていたたことがあった。あちこちに気まぐれのようにロケに行かせて、その場での反応を番組で使っていく、という雑な扱いに見えたし、正直、その時はそれほど面白くなかったが、あとから考えると、さまぁ〜ずとしてのその後の活躍を準備させたようにも思えてしまう。
 理想の上司みたいなことを言われていたと思うのだけど、笑顔の向こうで、こちらのことを瞬時に分かられてしまうような、ちょっとこわい人だと思う。


 以上は、ただの勘違いの暴走の可能性もあります。もし、怒ってしまった人がいらっしゃたら、申し訳ないです。もし、そういった時は、読んだ方の感想も教えてくれたら、うれしいです。お手数ですが、コメント欄に書き込んでもらえたら、幸いです。


(参考資料)
ウィキペディア ビッグ3
https://ja.wikipedia.org/wiki/ビッグ3_(日本のお笑いタレント)


“徹底した割り切り”の「テレビの人」 所ジョージはいつまで頂点に立ち続けられるか
https://dot.asahi.com/dot/2019110800053.html


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