テレビについて①「オードリー 若林正恭 バラエティをドキュメンタリーに近づける力」
考えたら、小さい頃からテレビを見てきた。
今も、見ている。
テレビがない家も増えているし、テレビなんて見ません、という人も多くなっているのかもしれないが、自分は今も、これからもテレビを見ていくような気がする。
だから、改めて、テレビを見ていて、とても個人的なことに過ぎないのだけど、思った事、感じた事、気づいた事などを書いていこうと思いました。
もし、一人でも、同じようなことを思っている人がいれば嬉しいですが、単純に、テレビは、自分が見たいと意識しているもの以外のことが映ったりもするので、そういうときは、今でも得した気持ちになったり、見ていてよかったりと思ったりもするので、そういうことも伝えていきたいと思っています。
オードリー 若林正恭
オードリーのラジオ番組「オールナイトニッポン」は時々、聴いている。
その放送10周年記念の武道館でのイベントにも行こうとして、3度か4度申し込んではずれた。
かといって、すごく熱心なファンとはいえず、でも、人並みの関心を持って、見続けてきた。特に若林氏の場合は、著作も読んで、感心もしてきた。
だから今回のことも、かなりオードーリーよりのバイアスがかかっていることを前提に読んでもらえたら、幸いです。
若林の聴く力の凄さ
少し前、「オードリー さん、ぜひ会ってほしい人がいるんです」(略称・オドぜひ)という番組を見た時に、改めて、感心したことがあった。それは、関東では、2020年8月4日放送分の、こういう内容だった。
オードリー と一共演している女性アナウンサー・磯貝に対して、先輩のアナウンサーが、「ダメ出し」をする、という展開。先輩は2人いて、よりベテランの女性は、かなりテンションが高く、いわゆる「食リポ」の見本では、やりすぎとも思えるアクションだけでなく、食べていた麺類を、途中で無理な丸飲みをしていて、辛そうに見える時も乗り切って、すごさはあったけど、見ていて息苦しかった。
それでも、もう一人のアナウンサーとのからみなどもあり、そして、「予定通り」いつものアナウンサーは、同じように「食レポ」を試みて、足りないところを指摘され、笑いが生まれる、という流れだった。
ここまでは、通常のテレビだった。
30分番組で、25分が過ぎたあたり、スタジオの中は、もう終了の空気に見えたが、まだカメラは回っている。若林に、今日の感想を尋ねられて、磯貝アナウンサーが、今回出演した先輩アナウンサーについて、画面で見ていた印象とは、真逆のことを語り出した。今回の一番ベテランの先輩・佐野アナウンサーは、普段はもっとシャイで前に出るタイプではないのに、この放送のためにだいぶ、無理をしてくれていて、といったことを話し始めたら、若林が興味を示した。
「え、そうなの」という言葉から、強引にならないような気配で、「佐野さん、呼べるかな」とスタッフに聞いていた。若林の声は、この時、少しトーンが落ちていたと思う。それは、より日常的に聞こえた。そこにあらわれた佐野アナウンサーは、すでに業務を終えて、かなり素に戻っている気配だった。
そこで、急に呼んで申し訳ない、といった言葉から、ゆるやかに若林が聞き始めた。柔らかい声のトーンでの、先を急がない聞き方。今の状況をもう一度コンパクトに説明し、自分は意外に思ったのだけど、磯貝が言うには、かなり頑張ってもらっていたと聞いたけど、どうでした?と、すっと聞いたら、佐野アナウンサーは、無理をしていた、この番組に出ることが決まってから、ずっと胃が痛かった、といった話をし出して、泣きそうになった。
そこに、理解しようとする姿勢や、労いの言葉を若林がかけてからは、さらに泣いていたけれど、その空気は、笑いはあったが、嘲笑うものではなく、あたたかいものに感じ、見ている方まで、この佐野アナウンサーの印象は、好印象に変わっていた。そして、佐野アナウンサーは、今出演している磯貝アナウンサーに関して、肯定的な話をして、番組は終わった。
最後の数分は、収録はするけど、放送するかどうかは分からない、と出演者も思っていたのかもしれない。だけど、若林の、『失礼にならないように、自分の聞きたいことを率直に聞く』というインタビューの基本を忠実に押さえた聞き方と、その上で、自然な労いもできていたから、可能にした場面だと思った。
それは、普通のバラエティーを、さりげないが上品なドキュメンタリーに、短い時間で、変えているように思えた。若林の気づく力、素直な疑問への聴く力と、相手を尊重する姿勢で、それを可能にしているようにも見えた。
だけど、それらは自分のやっていることの、わかりやすいアピールとは逆の方法だから、本来なら、テレビには向かないはずの能力だった。
後輩の悩みへの対応
関東の放送時刻だと、その次の放送は、人気漫才コンビになった「ぺこぱ」が悩みを相談する、という回が2週続いた。
テレビを見る方も、こうした相談については、まともに相談に応えなかったり、その悩み自体の違和感を広げて笑いにつなげたり、というシーンに慣れ過ぎて、見る前から、そんな光景が浮かんでいた。
ただ、特に2週目の回は、そんな既視感とは遠かった。(8月21日関東地区放送)。
オードリー は、キャラクターとして強めの春日俊彰がいて、若林が、漫才のネタも書いて、オードリー としてどうしていくか、といった企画演出や構想も担当している。
「ぺこぱ」も、今のところは、シュウペイと松陰寺太勇2人ともキャラクターの設定が強めに出ているが、シュウペイの方が人気が出ていて、ネタや演出を担当している松陰寺が、どうしたらいいのか、このまま求められるままキャラクターを押し出していっていいのか、ということを相談していた。それを持ちかけたのは、自分たちの構造が、オードリー と似ているから、という前提だった。
それからの話は、楽屋のようだった。
キャラクターや、求められていることを続けると、4年くらいたつと、本当に笑いがなくなるし、反応も冷たくなる。だけど、それを乗り越えると、そのキャラクターが認知されて、安定した受け止められ方をするはず。
若林は、比較的、淡々とやや抑えたトーンで、そんな内容を話した。
それに加えて、もし、その今のキャラクターではないものをやるとしたら、という仮定の話も加えた。「ぺこぱ」のことをテレビはもちろん、ラジオやエッセイなども読み込んで、知り尽くしているようなディレクターがあらわれて、冠番組を持つ時に、今のキャラクターでないものをやりましょう、と言ってくれたら、その時は変えるべきでは、という話までした。
ここで終わってもおかしくないのに、そこにとどまらず、「M-1グランプリ」という漫才のコンテストに出るべきかどうか、という相談も続いた。今のモノ以上、それも、はるかに強いモノができた時には、出場したほうがいいけど、それがなければ出ないほうがいいのではないか、といったことまで伝えていた。(オードリー も、自分たちも、そう考えて、M-1に出なくなったのだろうなと思わせた)。
聴いていて、すごく価値がある答えだと思ったし、すごく面白かった。
若林には、すでにバラエティをドキュメンタリーに近づけるような力が備わっているのではないか、とまで思えた。
本気の打ち合わせの光景
その次の週の「オドぜひ」(8月28日関東地区放送)。
前半は、あっちむいてホイで負けたことがない、という女性がきて、それは、素直に笑えるような出演者でもあったのだが、後半は、この番組のカメラアシスタントのアルバイトの若い男性で、その内容は、ここのスタッフは、オードリー という存在に対して、扱いが雑なのではないか、という「内部告発」だった。しかも、こうした「内部告発」で出演するのは、2度目だという。
その話の流れで、オードリー とスタッフの「笑いのセンス」が合うか?というような「テスト」を行うことにもなった。そこに、そのアルバイトスタッフとプロデューサーも参加することになる。それは視聴者から見ても、その企画がずれているのは分かることで、若林も、「生意気かもしれないけれど、こういうことじゃない」と伝えていた。
それでも「笑いのセンスが合うかどうか?」という企画は進み、終わった時に、本気のトーンで、「信頼してる、この番組のセンスは」と若林は話し出した。だけど「構造を凝り出した時に、結構地獄です」と続ける。さらに、「こんなペーペーがいうのは、生意気で嫌なのだけど」と言いながらも、ダメだった企画に関して、プロとして容赦のない、だけど、とても親切な指摘をしていた。
その場所が、またドキュメンタリーになっていた。
そういえば、この番組自体が、いわゆる一般の人を出演させて、そんなにすごく派手なことも出来なくても、自己申告だから何もできないことすらあり、あとはオードリー に任せる、という、手抜きとも、もしくは思い切った方法を採用している。だけど、考えたら、それはドキュメンタリーになってもいい、というような方法論だから、センスは卓越しているのかもしれない、とも思う。(勘違いの深読みの可能性もあります)。
「あちこちオードリー」での試み
昨年(2019年)から始まり、今年になって深夜放映になった、オードリー が司会をする「あちこちオードリー 」という番組がある。
そこでは、ゲストと、かなり「率直」と思えるような会話がされていて、そのことに対して、これはテレビでラジオじゃないから、という言葉が何度も出ていた。そして、テレビは本当のことをしゃべる場所じゃないから、というような発言を繰り返すことで、少しずつ、語れる範囲を広げているようにも思えていた。しかも、それでいて、面白くなるのか、笑えるのか、という試みにも見えた。
それは、その映像を、放送として流す制作側の判断があってこそだろうけど、その放送を見たことで、どこまで言っていいのかどうか、という調整を、オードリー もしているはずだから、それは製作者側との共同作業であるとも思う。
プロのタレントや芸人を相手にして作っている番組なのだけど、その前に、「オドぜひ」という番組で、一般の出演者を相手に、無理なく、その人の本当のことを出してもらうようなことをしてきたように思える。(「オドぜひ」を全部を見てきていないので、説得力が減るが)それが、放送に耐えるものとして、試行錯誤をしてきた過程で、オードリー は、バラエティをドキュメンタリーに近づけ、それでいて笑いにもつながる、ということを、少しずつしてきたように思う。それを今度は、プロを相手に具体化しているのではないか、と勝手に推測して、見てきた。
「人見知り」から始まったコミュニケーション能力
首都圏の番組での、深夜枠になった「あちこちオードリー 」は、コロナ禍の時期で、手探りで行われている番組収録の時に、様子を見ながら、おおげさにいえば、バラエティの基準を、変えてしまおうとしているのではないか、とも思ったくらいだった。
それは、もともと、人見知り(リンクあり)から始まった種類のコミュニケーション能力がベースにあって、だからこそ備わった聴く力があって、初めて実現可能なことでもあると思えるし、さらに振り返れば、若林は優れたドキュメンタリー(リンクあり)の書き手でもあるのだから、可能かもしれないと思った。
こうしたことは、若林本人にとっては、自然なことなのだろうからわざわざ言うことではないかもしれない。それに、改めて、ただのファンレターを書いたような恥ずかしさと、大げさな勘違いかもしれない申し訳なさも、感じている。さらには、面白ければ笑って楽しめばいいバラエティに対して、あれこれ分析するのは、すごくダサいことのはずだから、それを思い出すと、さらに恥ずかしくはなる。
それでも、もし、少しでも興味があれば、今は、今回あげた二つのテレビ番組を見てもらえたら、うれしく思います。それで、今回の私の視点がどれくらい妥当なのかも、確かめてもらえたら、とてもありがたく思います。
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