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個人的なスポーツの記憶③15歳・小野伸二のボールタッチと笑顔

  とても昔で、申し訳ないのですが、1995年6月のことになります。

U−17サッカー日本代表候補の合宿

 群馬県・草津という温泉で有名な場所で、U―17サッカー日本代表の合宿が行われた。5月に欧州遠征をしたあと、帰国して、世界大会を約1ヶ月後に控え、代表候補22人を18人に絞る、という目的もある合宿だった。

 私は、その頃、フリーのライターをしていて、サッカーのことを取材して書く、という仕事をしていた。
 トレーニングの内容を詳細にまとめて、指導者に話を聞く、という記事を書いていて、それは、新鮮な経験だった。1993年にJリーグが始まり、日本のサッカー界が変わっていく経過も見させてもらっている気持ちもあった。

 周囲は山あいの場所で、急に芝のトレーニング場があるようなところで、6月19日から25日まで合宿をしていて、その21日と22日だけ取材をした。街中でないので、手頃なビジネスホテルなどもなく、宿泊所を探すのが難しかったのと、他に取材していたメディアが、たぶんどこもなかったような記憶がある。

15歳・小野伸二の笑顔

 合宿場所の周囲の雰囲気もあって、なんとなくのんびりしたような気持ちもあった。

 芝の上でトレーニングは続いている。代表候補といっても、午前と午後にきっちりとメニューが組まれていて、ここにいる選手たちは選ばれた人間であって、いろいろなレベルが高いとは言っても、17歳以下という若さがあったとしても、当然ながら疲れもあるだろうし、ずっと機嫌がいいわけにもいかないはずだった。


 その中で、記憶に残っているのは、当時、清水商業に入学したばかりの高校1年生で、まだ15歳だった小野伸二笑顔だった。


 これからトレーニング、たとえば午後のメニューが始まる前などは、午前にも当然走り回っているわけだし、これから、また激しい動きも含まれたメニューも待っている。いくら10代でも、日本代表でも、なんとなくだるい、といった空気感を出している選手も少なくなかった。

 2日間だけだけど、トレーニングを取材させてもらい、代表候補合宿とはいっても、調整というのではなく、この年代が、当然、まだ成長することを前提に、威圧的になるのではないが、数多くの的確で、ある意味では要求の高い指示も、指導者から、多く出ていたと思う。

 Jリーグが始まって、当初の爆発的なブームは落ち着いてきたといっても、少なくともプロの選択肢が見えるようになってきたのだから、ここには、将来は、プロになることを前提にサッカーをしている選手が、ほとんどのように思えた。だから、自分の身長がこれから、もう少し伸びないだろうか、といったことを、真剣に指導者に聞いているような選手の声も耳に入るし、高校生の年代とは思えないような早熟な気配はあちこちにある。


 小野伸二は、見ている範囲に過ぎないけれど、いつも笑っているように見えた。別にへらへらしていた、というよりも、サッカーができることが、こうした合宿であっても、楽しくて仕方がない、といったような雰囲気だった。どうやら、休憩時間であっても、小野はサッカーのゲームをしているらしく、ずっとサッカーのことばかりを考えているようだった。だけど、そこに思い詰めた感じではなく、ひたすら楽しそうに見えた。

小野伸二のボールタッチ

 トレーニング中に、プレーが止められ、そのポイントをコーチが説明する場面は、メニューによっては、頻繁にある。当然ながら、そういう時間であっても、選手たちの集中力は高いし、その理解の速度も速そうだった。

 場合によっては、選手が指名され、プレーの説明のためのモデルとしてデモンストレーションを要求される場面も少なくない。

 小野が呼ばれた。

 コーチがディフェンダーとして、ボールをキープする小野に対して、どのようにアプローチするか?を解説するようだった。

 小野がボールを持つ。
 軽やかなタッチでボールをコントロールし続け、しかも、そのタッチ数がとても多く、スピードもあり、コーチも足を出すタイミングが難しそうだった。

 コーチは、少し苦笑して、たしか、こんなようなことを、言った。

 小野の場合は、日本の選手には珍しくタッチ数が多いから、参考にするのは、難しいけど……。

 こうした場面で想定以上のプレーをすることで、とまどいが起こることを初めて見たと思った。

 小野は、得意気な顔をするわけでもなく、そのあとも、サッカーをするのが楽しい、と言うような笑顔をしていた。トレーニングは続いた。
 
 小野がタッチするボールは、本当に自由に動いていた。

U−17サッカー世界大会

 1995年のU−17の世界大会は、8月にエクアドルで行われた。
 日本代表は、予選リーグで敗退したが、小野伸二だけでなく、稲本潤一・高原直泰も同じ代表チームにいた。


(※写真はイメージです。本文と関係は、ありません)



《参考資料》



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