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個人的なスポーツの記憶②フィギュア金メダル 「荒川静香 評価の外の天使」

  それは、ただテレビで見ていただけなのに、異質な光景に思えた。

 冬季オリンピックのフィギュアスケートは、時々、革新的に見える選手が出てきて、それは、テレビで見ているだけでも、伝わってくるものが確かにあるように思う時がある。

 2006年のトリノオリンピックにも、フィギュアの日本人選手は出ていて、少ししか情報に接していないのだけど、一番、可能性のあるのが荒川静香で、だけど、直前になってコーチを変えた、といったニュースが入ってきた。素人の印象に過ぎないが、そういう変化があると、成果が出ないのではないか、などとうっすらと思っていた。

完璧の向こう側の自由

 フィギュアの決勝の日は、出かける用事があった。

 私が出かけている間に、テレビ放映は終わっていて、ただ、その映像を見た妻が、スポーツを話題にすることが少ないのに、金メダルをとったということは、もちろん快挙なのだけど、それ以上に、その滑りがすごかった、見て欲しい、と言っていた。
 人間じゃないみたいだった、と。

 2人で、一緒に、その滑りを見た。
 ジャンプよりも、他の演技のほうが強く印象に残った。たとえば、イナバウアーという評価に入らない、背中を大きくそらす姿も、それは競技だけを考えたら、ある意味で無駄なことなのだけど、それを自信を持っておこなっている姿は、よりアーティスティックに見えて、目をひいた。

 何より、演技の終盤、おそらくは体力的にも、とても厳しいと思われるような状態の時に、バックでカーブを描きながらの、その滑りは、よりスムーズで完璧で、大げさかもしれないが、テレビ画面で見ているだけだけど、リンクから、ほんの少しだけ浮いて見えた。
 革新的な新しさがあるわけではなかったが、完璧といった硬さではなく、完璧は前提として、その向こう側の自由に到達しているように思えて、妻が、見て欲しい、といった気持ちは分かった。
 それは、恥ずかしい表現だけど、天使みたいだった。
 こんな映像は、見た記憶がなかった。

 金メダルは当然だと思った。
 コーチを直前にかえたことも、荒川の意志の強さの現れだったのだと、それは自分自身でも、結果論で卑怯だと思いながらも、そう感じてしまっていた。

 特に終盤の演技の「完璧」と「自由」の両立について、誰もが語ると思っていたのだけど、自分が情報弱者のせいもあって、ほとんど聞くことができなかった。見た範囲では、1人だけフィギュアの元選手の解説で、終盤に、あれだけの完璧な滑りをすることが、どれだけ難しいのかを指摘してくれていたのだけど、その話題がそれ以上広がることはなかったようだった。

評価の外の天使

 ただ、その滑りに加えて、異質に見えたのは、演技のあとの荒川の姿だった。
 コーチたちと一緒に座って、得点が表示されるのを待つ。
 そんな、フィギュアスケートでは、いつのまにか、おなじみになった光景の中に、当然だけど、荒川もいた。

 テレビ画面を通してだから、どこまで正確なのかは自信がない。
 でも、少なくとも、これまで見てきた冬季オリンピックでは、(記憶にあるのは、1972年の札幌オリンピックから、断片的に)、そこにいるフィギュアの選手は、その意識に濃度の違いはあるにしても、その得点という評価に対して、そこにいる時間のあいだ、ずっと気にしているように見えた。考えたら、当たり前で、それによって、自分のそれまでのすべてが、人の主観という不安定なものも含めて審査され、それで、競技の順位だけでなく、場合によっては、人生まで変わってくるのだから、気になってあたりまえだと思う。

 だけど、演技のあと、得点を待っていた荒川には、その評価を気にする気配が、見えなかった。コーチなど周囲の人たちは、明らかに、そこへ意識があったのだけど、荒川は、演技を終えて、もうそれで何の後悔もない姿に、見えた。疲労感だけでなく、自分は完璧で自由に滑ったし、出し切ったし、それだけで幸福だし、あとの審査は人の評価だから関係ない。そんな、どこか暖かい満足感とともに、そこにいるように見えた。
 なんだか、すごかった。そんなことがあるんだと思えた。

 得点が出て、金メダルが確定したあとも、柔らかく脱力して、幸福感につつまれている表情はそれほど変わらなくて、ああそうですか、そういう評価ですか、みたいな感じに見えた。もっと爆発的に喜んで当然なのに、そんな姿勢でいられる選手がいるんだ、と思えた。
 評価の外の天使。

 荒川は、そんな風に見えたし、それからあとも、そういうフィギュアの選手は見た記憶がない。


 ただ、その2006年に見た光景は、個人的な、それもただテレビ画面を通してのことだったので、何かまったく的外れの可能性も高い。それでも、荒川が「評価の外の天使」に見えたという、自分の記憶の印象は、10年以上たっても、あまり変わっていないままだ。



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