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「どんど焼き」は、終わらない。

 正月の終わりを告げる行事の一つに「どんど焼き」がある。

 年末から、新年の約一週間が経つと、正月の飾りものは下げられて、集められて、焚き上げられる。それが「どんど焼き」と言われているのは知っているのだけど、考えたら、正月関係の飾りものは、かなり短い寿命なのに、それでもうちでも毎年のように購入して飾っていて、もったいない、とは不思議に思わない。

 というよりは縁起物みたいなもので、飾らないと悪いことが起きるのではないか、という気持ちで飾っている。



(※これ以降は、どんど焼きという行事とはいえ、炎の描写などがあります。そうしたことに恐怖感がある方は、ご注意くだされば、ありがたく思います)。







書き初め

 子どもの頃は、毎年のように「どんど焼き」を見ていた記憶がある。

 それは、中部地方の1学年1クラスしかない小学校に通っていた頃は、新年が明けて、3学期が始まる頃の恒例の行事だったせいもある。

 グランドの真ん中に、さまざまなものを集めて火をつける。当然、正月飾りや、松などがメインだったはずなのだけど、小学生にとっては、自分が書いた書き初めを一緒にそこで燃やすから、その行方の方が気になっていた。

 自分が書いた習字の文字の半紙が、「どんど焼き」の中で燃えている。それも薄い紙だから、あっという前にあちこちが黒くなっていって、めくれあがるように燃えて、少し経つと、周囲の炎の熱気のせいなのか、ふわっと空へと飛んでいく。

 そこまでの過程を見逃さなければ、その後の、自分の書き初めの行方もわかるけれど、その学校では、その書き初めが燃えたものが、より高く上がった方が、字が上達する、と言われていた。

 その頃、習字の塾に通っていて、自分が下手なのは嫌でもわかって、だから人よりもたくさん書けばうまくなるかも、という努力はしていたものの、自分には字をきれいに書く才能は全くなくて、基本的には「人が読める字を書くこと」を目標にすえた方がいいのには薄々気がついていた頃だ。

 それでも、自分の書き初めが、空高く舞い上がることは願っていた。

 それに、このあたりは記憶がはっきりしないのだけど、「どんど焼き」で、一緒にモチを焼いていた気もするから、どちらかといえば、娯楽に近いとらえ方をしていたと思う。

 今から振り返れば、その時に、消化設備がどれだけ準備していたのかも記憶になく、周囲には、林や池があったりするので、それほど細かく考えていなかったのかもしれない。

 空が青く、炎が上がり、そこに書き初めが舞い上がっていく。

 自分にとっては、「どんど焼き」は、そういう印象で、そして、その小学校以来、「どんど焼き」を見た記憶もなかった。

どんど焼き

 地元でも「どんど焼き」を行うのを知ったのは、つい最近のことだった。

 これまでも開催されていたのだけど、自分が参加できない日程が多かったのと、朝早く、といった状況で、わざわざ早起きしてまで、という気持ちもった。

 だけど、2024年は、自分が参加できそうな日程で、しかも午前10時始まりだから、行けそうだと思った。

 それで、前日から、妻は、普通に参加するつもりだというので、一緒に行きたいと希望をした。家の松や正月飾りも、すでに町会会館の前に、納めに行ってくれていた。ありがたい。

 当日は、午前9時過ぎに起きることができた。

 そして、妻と一緒にでかけて、そういえば、詳しい場所を知らないことを聞いたら、河川敷に行けばわかるよ、ということだった。

 いい天気だった。

 土手の上の道への階段を登り、川の上流へ向けて歩いていて、妻の方が先に人だかりを見つけた。よく見ると、確かに、人が多く集まっていて、その中心部には、緑色の物体がある。

 もっと歩いて、河川敷を移動すると、すでに100人くらいは集まっていた。学校の野球部やサッカー部は、そのそばで練習をしているものの、この河川敷に、これだけ一般の人が集まるのは初めて見たかもしれない。

 松飾りや、正月飾りなどが集められ、真ん中には高い竹と思われる緑色の葉っぱが供えられるようにあって、きちんと整えられているように見える。

 もう10時になっていたようで、神主さんが来ていて、その呼びかけに応じて、同じように礼と手を叩く動作をする。

 こんなふうにきちんと開催された「どんど焼き」には初めて参加したような気がする。

 見たことがないような小さい消防車が来ていて、もしもの時に備えているようだった。そして火をつける直前から、風下の河川敷の枯れた草地に水をまき始めている。

 青い空に水が放物線を描いていて、少し光っている。

 町内会のスタッフの人たちは、結構多かったのだけど、その人たちから、辰年の人!と呼びかけられ、主に小学生の子達が、「どんど焼き」に火をつけるために、棒の先の布に火をつけて、そして、その「本体」に火がついた。

 風が強めだから、その風下には行かないように、すでに誘導されている。

 スマホで、そうした光景を撮影している人が多い。

 燃え広がり始める。

 竹が燃えているせいか、「ボン」という破裂音が大きめに響き、大勢の人が一斉にビクッとする。そして、その「ボン」はしばらく続いていく。

 温かいよりも、顔がちょっと熱い。

 全体が均一には燃えないので、鉄の棒を使って、スタッフの人が周囲のものを真ん中に押し込むようにしているけれど、中心部の方が燃えるのが遅くなっている。

 午前10時10分。正月飾りを持ってくる人がいて、それが投げ込まれる。

 10時20分。妻は、先に帰って行った。

続く「どんど焼き」

 なかなか、それでも、真ん中部分はなかなか燃えない。

 近くの町会のスタッフの人から、今年は燃えないね、という言葉が聞こえてくるから、年によって燃え方も違うようだった。

  風下の枯れた河川敷に向かって、消防隊は、ずっと放水を続けている。考えたら、それは寒いのではないだろうか、と思う。

 午前10時25分。松飾りや正月飾りを持ってきて、新たに焚き上げてもらっている人は少なくない。

   10時30分になって、さらに松飾りを持ってくる人はいる。

 そろそろ、この「どんど焼き」が終わったあと、その燃え残りや灰を処理するために、埋める穴を掘り始める人たちがいる。スコップを使って、大きい穴を掘るのはとても大変そうだだけど、とても意欲的に動いているのはわかる。

 真ん中に立つ竹のようなものに、30分以上経って、やっと燃え始める。

 そこにまた正月飾りを持ってくる人はいる。その家族の中の幼い男の子が、燃えている炎に向かって、手を合わせて、お辞儀をしていた。

 10時45分。また持ってきて、炎に投げ込む人がいる。

 ただ、「どんど焼き」の形になっていた最初とは、もうほとんどなくなっていて、だんだん終わりの気配が濃くなってきている。

 近くにいる町内のスタッフの人が「今年はうまくいきましたな」という話をしているのが聞こえてくる。

 これから炎はおさまってきて、だんだん「どんど焼き」も終わるのだろうと思っていた。

 人が集まるところだからか、政治家が何人かいて、名刺を配ったり、あいさつをしている。近寄ってくると、私は逃げてしまっていた。胸に自分の顔写真を貼っている議員もいた。

 それ以外にも、「どんど焼き」の周囲では、あいさつが数限りなく繰り返されている。

「どんど焼き」は、終わらない

 それから、午前11時までの約10分間のうちに、4組の家族がやってきて、正月飾りなどを持ってきて、焚き上げをお願いし、写真を撮って、帰っていく。

 そうこうしているうちに、灰などを処理するために掘っている穴が出来上がったようだ。2メートル四方くらいで、深さは30センチ以上はあるみたいだった。もうこれだけ掘って、すごいと思う。

 午前11時を過ぎてから、炎が小さくなってきて、それでも、正月飾りや松飾りを持ってくる人たちはいる。

 午前11時10分くらいまでの約10分間で、7人来た。

 スタッフがずっと鉄の棒で炎の管理を続けていて、燃えている袋の中からメガネケースが出てきた。誰のだろう。

 一番、中央に立っている木材の柱は、まだ立っている。かなり深く刺さっているらしい。

 午前11時15分。

 子どもが、また正月飾りを持ってきた。

 立っている最後の木材の柱も抜かれて、もういよいよ終わりが近づいてきた感じがする。

 ただ、そのあと2組来た。

 午前11時25分から、5分くらいで、さらに、また2組くる。

 「どんど焼き」の始まりは、午前10時と掲示板などで告知されていたし、すでに炎は消えかかっているのが、おそらくは、かなり遠くからでも見えるはずだけど、それでも、「すみません、まだ大丈夫ですか」と言いながら、袋に入った正月の飾りなどを持ってくる人はいる。

 真ん中の柱は倒され、燃えていく。

 もう終わったと思った。

 それなのに、午前11時35分に、また一人、正月飾りを持って、やって来る。

 町内会のスタッフの方々は、嫌な顔ひとつしないで、その人の持ってきたものを、もう消えかかりそうな炎に入れて、再び、炎は大きくなって、水をかけて消さないようだから、また終わりまでの時間が長くなった。町内のスタッフの方々は、寛容だと本当に思った。

 さすがに、もう終わりかと思ったが、午前11時40分に袋を抱えた女性が、もうダメですか?と言いながら、袋から正月飾りを出して、スタッフの人は、自然に、大丈夫ですよ、と言いながら、受け取って、炎に落とす。

 また、終わりの時間が長くなった。

 開始して2時間近くなのに、「どんど焼き」は終わらない。

 これは、一年のはじめの行事として、これからを占うようなことでもあるのだろうけれど、とはいっても、見ている側からは、もう断ってもいいのに、と思えるような炎の小ささになっても、これだけ町内のスタッフの方々が、受け入れてくれていることはすごいと思った。

 この終わらない「どんど焼き」を見ていて、そのことが最も印象に残った。

 もうすぐ12時になる。家では昼食の準備をしている妻が待っているはずだし、さっき、肉まんを買って帰るから、といった約束もしたし、と思って、最後の炎が完全に消えるまで見たかったのだけど、その前に、そこをあとにした。

 町内の作業の担当をしているハッピを着たりしている人たちはいたけれど、この「どんど焼き」の中に、私の家の松飾りや正月飾りはあったはずだけど、ほとんどただの見物客である私のような人間は、他に誰もいなかった。

 天気はずっとよかった。

 こうして「どんど焼き」が行われている間も、同じ河川敷では、野球やサッカーの練習はずっと続けられていたし、私が河川敷を去る時も、まだ終わりそうもなかった。



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