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「二つ柿」。

 春になって、庭の柿の木に、だんだん葉っぱが生えてきて、その緑色が思ったよりもきれいで、それから、夏になると、もっと葉っぱの勢いが増えたり、枝も伸びてきて、そのうちに秋になり、気温が下がってくると、少しずつ緑の実がなってきて、葉っぱも色づいて、実もだいだい色になってくる。

 そこから葉っぱも落ちていって、実もとって、渋柿なので干して、それも出来上がって、干し柿になったものを食べた。気がついたら、葉っぱもなくなって、完全に枯れ木になっていた。

 これで、柿の1年のサイクルが回った。

 あとは、冬のうちに伸び過ぎていると思われる枝も切ろうと思っていた。


会話

 そんな頃、外から会話が聞こえてきた。それは、妻とご近所の人が話をしていたようだった。

 柿の木は、きれいに葉っぱもなくなってきて、高いところにあって、高枝切りバサミで取れなかった柿の実は鳥が食べてくれて、日に日に減ってきていて、だから、もうすっかり無くなっていると思っていた。

 だけど、妻が部屋に戻ってきて、教えてくれたのは、柿のことだった。

 二つ並んでいる柿の実があって、それだけが、まだ鳥に食べられていないで、残っているらしい。

 私は、気がついていなかった。

 洗濯物を入れて、洗濯機を回すとき、洗濯物を干すとき、空を見上げているのに、そんなに大きくないのに、その柿の木の現在の状態が、恥ずかしながら目に入っていなかったようだ。

 もしかしたら、チラッと見て、葉っぱもないし、高いところにまだあった柿の実も、鳥が毎日のように来ているから、それで全部食べてくれた。そんなふうに思って、よく見えていなかったのかもしれない。

 その妻の話を聞いて、なんとなく頭に二つの実が並んでいる姿が浮かんだのだけど、そこで、すぐに見に行くのを忘れていて、しかも出かけた時は、焦っていたので、ただ前を見て歩いていたので、柿のことを見ないで、駅に向かい、途中で柿の実を見るのを忘れていたことに気がついた。

 用事を終えて、家に戻った頃は、日が暮れるのが早いから、もう暗くなっていた。その中で見る柿の実は、確かに二つ並んでいた。だけど、写真に撮っても、フラッシュを焚かないと写らなかった。その写真は、だいだい色に光る二つの物体で、ちょっと怖いようにしか見えなかった。

 気持ちが焦ったのは、もしかしたら、明日になったら、鳥に食べられてなくなってしまうかもしれないからだ。

二つ柿

 翌日、朝から出かけるから、そんなに時間もないはずなのに、でも、柿のことは気になった。

 玄関を出て、門を開けて、外のそれほど広くない道路から見ると、昨日も見たはずだけど、その柿は、本当に並んでいるように思えた。

 ぴったりとくっついているわけでもなく、二股に分かれたようにぶら下がっているのでもなく、おそらく同じ枝で、本当に寄り添うように、近づくように、二つの柿があるのは、太陽の光のもとだとよくわかった。

 それは、確かに二つの間が絶妙な距離で、道路を歩いている人が、その二つの柿に注目してしまうのは、わかる気がした。

 本当に「二つ柿」と言ってもいいような状態だった。

 ただ、改めて見ると、前日はどうだったのか分からないのだけど、道路側から見て、向かって右側の柿の実の下側は、すでに鳥に食べられていたのが見えた。

 もっと、ちゃんとどちらも完全な状態のときに見たかった、などと思ったのだけど、それでも、こんなふうに並んだ柿の実だけが残っているのは、やっぱり珍しかった。

 それも、柿の実をとるときに、取れそうな高さにあるのだけど、その時も葉っぱに隠れていたせいか、ここに並んでいることに気がつかなかった。

 そう思うと、なんだか不思議な気持ちになる。

 そんなことを思いながら、その日も出かけて、夜になって帰ってきた時は、少し遠いところに行っていたから、かなりホッとして、帰ってきた、という気持ちにはなれたのだけど、すっかり柿のことは忘れていた。

 だから、「二つ柿」の状況がどうなっているのか、分からなかった。

 次の日。洗濯をしようと思って、軒先に出たら、小さめの鳥が柿の枝から何匹も飛び去っていった。早い反応だった。

 そうしたら、「二つ柿」のうちの一つがなくなっていた。

 昨日、下の部分が食べられ始めていた柿の実は、枝にヘタの部分だけが残っていた。

 もしかしたら、この二つはずっと渋いままだったのかもしれないけれど、いよいよ、鳥にとって甘くなってきたのだろう。

 あと1個しかなくなると、今度は、自動的に「最後の一葉」のことを思い出してしまう。

 この短編小説が有名なのは、おそらく教科書に載っていたことと、窓から病気の女性が蔦の葉を数え、最後の一枚になり、あれが散ったら、私も死んでしまう---というような話で、そこからの展開が意外でありながら印象に残りやすい感動的な話のせいだろう。

 庭の柿の木の葉っぱが全部散って、それで柿の実が「最後の一個」になっているのが、これだけはっきりとわかるのも珍しいことだけど、当たり前だけど、もう少し経ったら、この実も鳥に食べられて、完全な枯れ木のようになる。

 そうなると、もう十分に寒いけれど、本当に冬になった気持ちになるはずだ。






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