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『「ヨシタケシンスケ展かもしれない」を観に行った』

 妻が、テレビ番組で紹介されているのを見て「行きたい」と強めに希望した。

チケット予約

 展覧会は、7月3日までだけど、行きたいという話になったのが5月の中旬。ただ、そのサイトを見たら、事前予約が必要で、それも5月24日に6月から会期中のほぼ全部の予約を始めることになっていて、もしかしたらそれが遅れると行けなくなるのかもしれない、と焦る。

 考えたら、この世田谷文学館で、文学だけではなく、もう少し広く展覧会を始めたのを知って見に行ったのは、岡崎京子展だったり、原田オサム展だったりして、かなりのベテランになってから、こうした展覧会をするのが通常のはずだったので、ヨシタケシンスケ氏は、デビューしてから10年くらいだから、これだけの早さで開催されるのは異例だけど、それだけ人気がすごいのだろうと思う。

 そうなると、その日に早く予約をしないと、もしかしたら行けなくなるのではないかと思い、5月24日には午前10時ぴったりにサイトにアクセスをして、そしてチケットを2枚予約した。

 よかった。

展覧会当日

 少し雨が降っているかもしれない。

 そんな微妙な天候で、それに、コロナ感染者のことはニュースにもなりにくくなっているけれど、それでも、持病のこともあり感染しないように、というのがずっとうちでは重要なことであり続けているので、少し遠回りになるのだけど、都心部を通らないような路線で、会場に向かう。

 何年か前、その時はコロナ禍以前だったから、普通にマスクもしていないし、哲学カフェのような企画もあって、そこにも参加して、たくさん話をして聞いたりしていたのに、それも今では無理になっていて、たった3年くらいで、いろいろなことが変わってしまった、と改めて思う。

 午後12時から午後1時入場のチケットを予約をしたので、昼ご飯は微妙になるので、どこかで買って、途中で食べることになり、妻と一緒に初めてに近い乗り換えで、駅と駅の間を知らない道を歩いたりもして、そして、千歳烏山駅で降りる前に車窓から見えた広場のような場所で、途中で買ったおにぎりとシュウマイを食べる。

 のんびりできた。

 その広場は、区役所ではないのだけど、公的な建物の前の広場で、ベンチもあって、そこに座って食べていると、PCR検査を無料でおこなっているテントがある。そして、いろいろな人が座ったり、親子連れが滑り台を利用していたり、なんだかのんびりしていたら、食事が終わる頃にハトもくる。

 落ちた米粒を素早くついばんでいる。

 それから、立ち上がり、初めて通る道を小さい不安と共に歩く。芦花公園が最寄駅のせいか、千歳烏山からは案内板がないから、道路ぎわに時々ある地図を見ながら、進む。もうすぐ、というあたりで、ちょっと迷って、団地のベンチのそばにいた男性に妻が道を聞いてくれる。

 ここを真っ直ぐいけば、甲州街道を渡って、すぐ。

 とても明瞭に快く教えてくれて、さらに「この場所にいると、世田谷文学館どこですか?って、みんなが聞くから」と続けた。ありがたかった。

 御礼を言って、歩き出す。古くからの太い桜の樹がある路地のような道を歩く。空気までが落ち着いているように思う。

 少し進んで、パッと視界がひらけたら、本当にほぼ目の前に合った。

ヨシタケシンスケ展かもしれない

 世田谷文学館に入って、すぐ目に入ったのは行列だった。
 それは、ショップに並ぶ人たちで、少し遠目に見ても、作品を生かしたグッズが揃っているようで、少し気を緩めたら、欲しくなるようなものだと思えた。

 ただ、今は、展示会場に行かないと、食事をしたせいもあって、午後12時半くらいになっている。

 予約してチケットはプリントアウトしていたので、そのまま2階に上がる。そして、ロッカーに荷物を入れるために、また違う袋に入れ替えてトイレに行って、それから、会場に入る。

 人が、思ったよりたくさんいたかもしれない。

 最初に、ヨシタケシンスケがずっとつけているアイデアメモというような一番小さいサイズのファイルに入るメモに、さらにとても小さいサイズで絵と文字が書いてある。老眼鏡をかけないととても見えない。それが、壁一面に、何百枚と並んでいる。

 フラッシュをたいたり、動画でなければ撮影OKなので、かなりの人数が、それぞれ気に入ったメモの前にスマホを持って行って、撮影をしている。そのメモは、おそらくは日常的なことで、だけど微妙に違和感のある光景とか、思いついたことなどが物凄い量で並べられていると、それ自体が、何かの意志を持った作品に思えてくる。

 会場には、一応の流れはあるようだけど、順路のようなものはなく、ところどころに、作品に登場するキャラクターが何かを語る看板のようなものが置いてある。「つまんなそうに見ていると、係員がこちょこちょしてくれるかもしれない」。「元カレと、ここで会うかもしれない」。そんな文字とキャラクターに伝えられると、何か読んでしまう。

 会場の中に、ずっと声が流れる。

 それは、テレビの中で、おそらくパンか何かを作っている映像に「こねてー、のばしてー」というメロディーに乗せた言葉で、その響きが、この会場の中の空気を少しゆるめていると思う。

 あちこちに、微妙に迷路のように、いろいろなものがあって、ヨシタケ氏が集めている「お気に入りのもの」とかも置かれていて、それは、なんだか親しみのようなものも感じさせる。

体を動かす

 人が入るボックスのようなものがあり、それは中に入った人が、その中にある絵の入ったフダをとり、セッティングし、それを体で表現し、外にいる人が何かを当てる、というものだった。

 妻とやってみた。
 私が、最初にひいたふだは「ブランコ」で、妻がすぐに当てた。

 次は、妻が中で、片足でトントンしているので、最初「プール」と言い、違ったので「耳に水が入った」と言い換えたら、あたりだった。

 細かすぎるジェスチャーかもしれないが、確かに楽しかった。

 それから、大人を黙らせるゲーム(だと思うもある。
 少し遠くの場所で、3人の映像の(ヨシタケ氏の描いた)大人がいろんなことを言ってくる。その口の部分に穴が開いていて、手元にあるリンゴ型のスポンジのボールを、その中に入れると、その人物が「あー、おいしい」と言って、うれしそうな表情になる。

 ほんの2メートルくらい先の穴になかなか入らず、妻と二人で、いつの間にか夢中で投げていた。

 ちょっと笑っていたと思う。

 なんだか楽しくなっていた。

あなたのみらい

 最後に、出口付近で1枚カードを引いた。

 「あなたのみらいはこれかもしれない!でも、ぜんぜん違うかもしれない」
  
 妻は、「メチャクチャおいしいつくだにやさん」

 私は「ちょうのうりょくしゃ」とあった。

 まだ間に合うのだろうか。

ショップと絵本

 ショップでは、ポストカードやTシャツや雑誌や輪ゴムなどを買った。
 久しぶりに買い物をした気持ちになれたけど、妻がうれしそうなので、それがよかった。

 そのあと、休憩のスペースのような場所で、絵本を読んだ。

 この2冊を読む。お母さんの、子供の理屈に、だるそうだけど付き合っている感じがよかった。

 また棚から3冊借りてくる。

 中には、第1版91刷 というものもあって、なんだかうらやましくなった。

 だけど、読んでいて、登場人物が、自由で柔軟で、理想の息子のようにも思え、そして、これは多くの人に受け入れられて当然だという気持ちには確かになった。

 まだ、ショップも混んでいたし、会場にも人は向かっていた。

 デビューから10年くらいで、この場所で展覧会をするのは、これだけの人気があってのことだと改めて思った。




(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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