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「日常を歴史化する作品」------『安藤裕美 個展 学舎での10年をめぐって 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し』。パープルームギャラリー。2023.11.10~11.20。

 当たり前だけど、時間は経っていく。

 ほとんど関係がなく、ただ観客として何度か行っただけなのに、あるギャラリーがもうすぐなくなると聞いて、なんだか寂しくなった。


パープルーム

 パープルームという美術団体、というか、活動は、もう10年も続いている。

 それは、梅津庸一というアーティストが主宰して、当初は美術予備校的な働きから始まったので、パープルーム予備校という名前だったはずだけど、そのうちにパープルームとして、美術の運動のようなことを続けてきた。

 「パープルタウンでパープリスム」という名前の展覧会が、相模原の街で行われたのだけど、それは、パープルームのアーティストたちが、それぞれ自分の住んでいる部屋を使って、そこで作品を展示するのがとても興味深くて、でも、自宅の住所をインターネットで載せるわけにもいかないから、相模原駅で集合して、そこからツアーのように見て回る、というもので、すごく面白かった。

 その活動は、いろいろと「持たない人間」でも、なんとかしていく、という美術の運動のようにも思えた。

 それは、美術用語で言えば、アート・コレクティブと言われることなのだけど、それから、パープルームギャラリーという場所で行われる展覧会にも何度か来て、そのうちにコロナ禍になってしまってから、相模原に行くことがなくなっていた。

ステートメント

 そのギャラリーが、もうすぐなくなることを知った。同時に安藤裕美が個展を開くことも知った。

 安藤は、パープルームというアート・コレクティブ(≒アートグループ)、第1期のパープルーム予備校生として入ってきて、東京藝大に合格したものの、かなり早く中退をして、再びパープルームでずっと活動を続けていたアーティストだった。

 これまで、10年、パープルームで活動をしながら、その日常をずっと作品にしてきた。漫画の形式をとったり、映像として制作したり、そして今回は油彩を発表するという。

都心から電車で1時間ほど、神奈川県にあるベッドタウン。JR相模原駅から徒歩20分ぐらいの住宅街にパープルームはポツンと佇んでいる。時代においていかれたようなボロボロの2階建ての建物はいつもぎしぎし軋んでいる。2階がパープルームの拠点で1階のテナントのうち一つがパープルームギャラリーだ。その隣にはラーメンショップと焼きとり屋が入っていて、あたりにはいつもラーメンの匂いが漂っている。

この個展の出品作品は全てパープルームで生活しながら制作したものだ。
私はこの場所でパープルームのメンバーとして10年間活動を続けてきた。私が初めてここにきたのは2014年、19歳の夏だった。

2010年代はコレクティブの時代と言われていて、たくさんのアート系のグループが存在した。そのなかでパープルームは『スクールカーストの3軍系』と自称していた。

他のコレクティブが次々と活動をやめていくなか私たちが続けてくることができたのは、ずるずるとしていながらも真面目なつながりだからかもしれない。グループとしての方針はなんとなく存在してるけれど、みんなが理解しているかは怪しい。頻繁に寄り集まっているけれど、そんなに仲が良いわけでもない。しかし各々、人生のほとんどの時間を美術の活動のために割いている。掛け金は高い、そこは共通している。そうじゃない人はあまり定着しない。

パープルームにはこれまで10代から20代までの美術を志す若者たちが全国各地から相模原に移住してきて共に活動し、言葉で言い表せない関係性や変な物語がたくさん生まれてきた。ここには私の青春が詰まっている。印象的なエピソードを思い出してみると、どんどん溢れてくる。

(「パープルームギャラリー」より)

 これは、安藤裕美のステートメントの一部だけど、そこにいれば安定が保障されたり、社会的地位が約束されているような場所ではなく、20代のほぼ全てを、自分で選んだところにいた人の話で、それはすごいことだと思いながらも、不思議と悲壮感を感じなかった。

 ただ、これまでほんの数回しか、このパープルームギャラリーに来ていないけれど、その際は、作品を展示しているアーティスト本人が在廊していて(もしかしたら、初日と最終日、というような限定された日程ではなく、全部いるのかもしれない)、作品を見ていると話しかけてくれたりするので、こちらもいろいろと聞けて、鑑賞する時間がおかげて豊かになった記憶があるのだけど、その際に、この初期からずっとパープルームの日常だけを描いている安藤というアーティストがその場所にいて、何か聞きたいと思っていても、話しかけないでください、という気配が強く、少し怖い人だと思っていた。

 それでも、最初で最後の個展、という言葉が気になったし、このステートメントには、自分の思いや、考えていることが、情緒的でありながらも、想像以上に揺るぎなさのようなものも書かれていたと思う。

今回の個展の副題が『ナビ派とパープルームへの眼差し』なのは、私が12年前から傾倒してきたナビ派とパープルームを重ね合わせて見ているからだ。ナビ派は19世紀末、フランスで活動した前衛芸術グループで、その中心メンバーは画塾アカデミージュリアンに通っていた。この塾は当初、フランスの国立美術学校エコール・デ・ボザールの予備校として設立されたものだったが、だんだんと反アカデミズムの独自の教育を施すようになった。ナビ派はゴーギャンの影響を受けつつもそこから新しい何かを生み出そうとした。ただ、メンバーに裕福な家庭のエリートが多く活動形態もゆったりしていた。そこまで活発ではない作家でもちょっと作風がそれっぽければナビ派を名乗れた節がある。パープルームの場合はみんな作風は違うけれど作家活動にかける熱量やメンバー同士のやりとりは、ナビ派よりもレベルが高いように思う。

(「パープルームギャラリー」より)

 できたら、「パープルームギャラリー」のサイトで、主宰者の梅津庸一の文章と、安藤のステートメントの全文も読んでほしいけれど、それを読むと、作品を見たい気持ちにさせられるはずだ、とも思う。

水曜日

 11月10日から20日。そのギャラリーのホームページで日程を確認し、休廊日が記入されていないのは、このギャラリーでの安藤の「最初で最後」の展示のせいかもしれないと思い、その期間中の水曜日が、自分にとって都合がよく、都心部での展覧会を見てから、相模原へ向かった。

 今も、重症化リスクのある家族もいるので、コロナ感染には気をつけ続けているので、できたら満員電車は避けたい。それなのに、最初の展覧会を見終わったのが午後5時前で、東京駅からだと、いつも馴染みのある京浜東北線を使うと、横浜線に乗り換える頃が通勤ラッシュになりそうだから、逆に、とても混みそうな中央線に、ラッシュの前に乗って、八王子で乗り換えよう、などと一人で考えながら、東京駅の改札を入って、中央線に乗って、それが青梅線直通だから、途中で乗り換えないと、と思いながら、それでも、多少は人がいて、座れないくらいの混み方だったけれど、なんとか、相模原へ着く。

 やっぱり遠い場所だった。

 そこから、バスに乗る。徒歩20分という表示はあったけれど、体感的には、もう少し時間がかかりそうだし、午後6時を過ぎて、まっすぐで広くて、運搬という機能に特化しているように思える道路の歩道を歩くのは、時間以上に疲労した記憶があるので、駅前のバス停で待った。

 バスに乗って、いくつかの停留所を過ぎて、「日金沢上」という薄く記憶の中に残っていた名前でバス停で降りる。

 自分の覚えていることを頼りに道路を渡って、歩く。何軒かお店があって、居酒屋、ラーメン屋があって、確か、この辺りと思ったところにギャラリーがない。もう少し歩いて、戻って、しばらくうろうろする。

 街灯はあるけれど、薄暗い道を、目的を見失って歩くのは、なんだか辛い。

 ラーメン屋をのぞいたら、忙しいそうだった。隣の居酒屋のお客さんは二人で、その人たちが帰る時に、中に入って、聞いた。そうしたら、ラーメン屋の隣と言われ、そしてシャッターが閉まっていた。

 何かあったのだろうか。そんな変な心配もしたけれど、やっぱりがっかりして、バス停に戻って、家に帰った。そういう気持ちも久しぶりだった。

 少し調べたら、X(旧Twitter)にはその「水曜日は休廊」という情報があるのに気がついたが、携帯もスマホも持っていない上にXも利用していないから、気がつかなかった。うっかりしていた。

 それでも、最後が近いし、という思いがあって、最終日に行くことにした。

安藤裕美個展 学舎での10年をめぐって 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し

 家から出かけるので、初めて東横線から直接新横浜につながっている新横浜線というものを使ってみて、割高では、と疑って、それでも乗り換えて相模原に着いて、バス停も迷わず並べて、比較的バスにもスムーズに乗れた。

 バスを降りてから、歩いて、ギャラリーが開いていて、灯りが外まで漏れているのを見たときは、ほっとした。

 ギャラリーの自動ドアは、どうやら故障していて、パープルームのメンバーと思われる男性が、手でそっと開けてくれた。

 スペースは記憶の中よりも、コンパクトだった。すでに観客は一人いる。

 そこに絵画が並んでいる。

 油絵の具を使用して、密度が高く画面が作られていて、色でびっしりとうめられている。すごくはっきりとした形をつくっているわけではないのだけど、それでも、そこで何があるのかは、わかる。

 いつも絵画を見るとき、長い歴史があるスタイルで、これまで数限りなく「名作」も誕生してきたはずだけど、こうして作品を見ると、やっぱり古くなくて、現代だと、どうしてだか思うけれど、それが不思議な感じがする。

 見ていると、しばらく見ていたくなるような感じがしている頃合いで、安藤裕美本人に話しかけられる。この作品は、パープルームの日常をスナップのように切り取って、描いたものです。そんなような説明をしていて、こちらをまっすぐに見てきて、その視線で、水曜日は閉廊とか書いてくれるとありがたいですが、みたいなことは、言えなくなった。

 なんというか、作品のことを、すごくまっすぐに考えているのだろう、という目に見えて、かろうじて、水曜日に来てしまいました、と伝えるだけで、安藤は、みどり寿司が休みの日に合わせているんです、と朗らかに返された。

 それで、こちらの気持ちまで穏やかになった。

 作品には、パープルームの日常が描かれている。

 それは、そのときにそこにいた人間にしかわからない出来事がある。

 鑑賞している自分には、その画面に描かれていることは、まったく関係もなく、知らない人たちであって、見たことのない日常のはずなのに、なんだか、自分にもあったような気もしてくるから、勝手に郷愁のようなものを感じる。

 ただ、そんな感傷的すぎる思いとは別に、絵画自体は、最初は混沌として絵の具が盛られているように見えていたのが、それぞれの色彩が鮮やかに思えてきて、それは画面に慣れてきたのか、色彩に馴染んできたのかわからないけれど、そうしたことも含めて、やっぱり古いものではなく、新しい作品なのだという印象になる。

 そういう言葉にならない感じも伝えてくれるから、これはやっぱりアートなのだと思う。(ここでは美術、という言葉を使うようだけれど)。

制作

 せっかくなので、そこに描いた本人もいるので、作品のことも少し聞いてみた。

 描くときに、これまでの歴史的なことは考えて、この配色では、近代絵画に勝てない、みたいなことを考えて、色の配色を考えたりもしているらしい。

 そして、作品制作に関しては、主宰する梅津の頭の中には美術史のデータベースのようなものがあるので、そうした意見も参考にしながら制作しているというので、ただ、感じるままに筆を走らせるといった方法はとっていないようだ。

 そうした思考の積み重ねのようなものが、大げさに言えば、画面の強度につながっているように思った。

(その場で聞いた話を記憶を頼りに書いたので、安藤氏の言葉が違っていたら、すみません)

 それでも、少し不思議だったのは、パープルームの初期からずっといて、活動も制作も続けているのに、確か、安藤の個展は、このパープルームギャラリーでも行われていないのが不思議だったけれど、そんなことを少したずねたら、油絵を描くようになったのは、ここ3年くらいなので、という答えがかえってきた。

 見続けると、いろいろなものが見えてくるような重層的な感じがして、こういう作品にできる力があるのに、と思ったから、すごく謙虚な感じがした。

 これから、この場所はなくなるけれど、今度は立川に場所を移し、パープルームの活動は続けるので、安藤も当然のように作品を制作し続けるのだろう。

 考えたら、19歳から29歳までの10年間は、自分のことを振り返っても、何をしたらいいのか、本当はどうしたいのか。そういうことがよくわからずに、あれこれ試行錯誤をする時期でもあるはずで、それは、ごく一般的なことでもあるはずなのに、安藤裕美は、その10年間に、パープルームの活動をして、その日常を作品化し続けている。

 それをどうして形にするのか。どうすればより質の高い作品になるのか。(この質に関しては、すごくいろいろと考えていそうだけど)。そういう迷いや、悩みはあっても、この日常を作品にしていく毎日に、どうやらなんの迷いもなさそうで、それは、すごいことだと改めて思う。

日常の歴史化

 生活と、作品制作が、まるで一体化していて、さらには、相模原という場所には華やかなことも少なそうで、ずっと美術の世界に暮らしていて、すごくストイックなことでもあるはずだけど、今回、とても短い時間で、わずかな会話しかしていないから、全部がわかるわけでもないのだけど、ストイックさと共存しているはずの悲壮感のようなものを、ステートメントを読んだ時と同様に、ほとんど感じなかった。

 そういう人だから、アート・コレクティブという特殊な環境の中に生活をしながら、その生活の中の出来事を、作品化し続け、それを10年も持続することができるのかもしれないけれど、考えたら、そういうことは他の誰にもできることではないのではない。

 それを続ける理由は、おそらく本人にも全部説明できることではないのだろうけど、これをこれだけ持続することは、人目をひく派手さはないとしても、よく考えると、なんだかすごいことで、それがベースにあるから、日常的な光景にも関わらず、不思議な強さを感じるのかもしれない。

 絵画のタイトルには、どんな場面で、誰が描かれているかが記されているので、この作品が長く残ることになれば、パープルームの日常が歴史化されて、さらに年月が経って、美術館に収蔵されたり、誰かが所蔵し続けると、2000年代の日本のアートコレクティブの代表的な存在としてパープルームが取り上げられることが増えるのでは、などと作品を見てバスに乗って、電車に乗って帰宅する途中でも、いろいろとそんなふうな想像が広がったから、やはり作品としての力があるのではないかと思った。


 ギャラリーでも見たが、この展覧会に合わせてのドキュメンタリーも、公開されている。


 もうすぐ、パープルームギャラリーは、移転する予定だし、安藤裕美の個展も終了してしまったけれど、この活動はまだ持続するとのことなので、もし、興味を持った方がいらっしゃったら、情報を追うと、また作品が見られるのではと思います。

 私も、たぶん、見にいくと思います。


(この「パープルームTV」↑も、パープルームの活動で、この回は、表現する、ということについての、とても大事な話をしていると思います)







(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。







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