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灰皿の時代。

 街の中華屋に入ったとき、昔ながらの木目模様で、縁が鉄の薄い板で囲われている机の上に、灰皿があった。

 今の時代だと飲食店に最初から灰皿があるのは珍しかった。それに、銀色で軽く、この灰皿を知らない人から見たら「UFO」のように見える形も久しぶりに見た。それも、銀色で比較的新しく、おそらくは今年買ったばかりではないか、と思えるほどだった。

 まだ、灰皿は新しく作られている。

 それは需要がある以上当然のことなのだけど、こうして具体的に形として見ると不思議な感じがした。


サスペンス

 灰皿で思い出すのは、20世紀末に盛んにテレビで放送されたいわゆる「サスペンスドラマ」の場面だった。

 様々な因縁のある二人が、昔は一般的な家庭にもあった応接間(今はリビング、と名称が統一されたと思うけれど)にいる。ソファーと、その前に少し低い机があり、その材質は厚めのガラスの家も多かった。そして、その机の上には、これもガラスで出来た、20センチくらいの直径で、かなり厚めの灰皿がある。

 この設定自体は、特別なことではなく、どの家庭でも共有できるような風景だった。

 そして、その「サスペンスドラマ」のワンシーンでは、その訳ありの二人の話がこじれ、もしくは、一人が追い込まれ、この場所では立場の強い人間が笑って、背中を向けた瞬間に、その灰皿で後頭部を殴打され殺害される。

 そんなシーンは、私でさえ何度も見た記憶があるから、そうしたドラマでは何百回と繰り返されてきたはずだ。

 でも、それは、人を殴ったら致命傷を与えるような重い灰皿が、どの家庭にもあることが前提だった。

 どうして、あの灰皿が、あれだけ売れたのか、今となったら分からないのだけど、ガラス製の灰皿は最初は新鮮で、それは、タバコの吸い殻を置くにはガラスは不適当だからだ。それをカバーするために厚く重く大きくした、ということなのだろうけれど、その当時は一種の「発明」だったはずだ。

 その大きな灰皿は、最初はステータスのようなものだったのかもしれない。

 そして、灰皿がそれだけ大きくても許されたのは、タバコを吸うことが大人の常識でもあって、だからこそ、その存在がすぐに目につく時代だったけれど、それは、今ではあまり目にすることがなくなった。

 そんな時代の変化を改めて思ったのは、『ラストマン』とうドラマの再放送を何カ月ぶりかで見たせいだった。

 このドラマの重要なシーンで、ある人物がある人を後ろから思わず殴って殺害してしまうのだけど、その凶器が、その応接間にあった重い灰皿だった。ただ、それが成り立つのは、その時代設定が今よりも40年前のことだったからだと思う。

灰皿の時代

 考えたら、薄く軽い銀色の灰皿だけが一般的だったら、それで人を殺すシーンは成立しなかったはずだから、重い灰皿の登場は、ドラマにも寄与していると言える。それに、灰皿がどこの家庭にもあって、場合によっては、そこに住む人が普段使っているものと、お客様用と最低2種類はあった印象がある。

 街中で、特に集中的に見たのは駅だった。

 ホームの柱のところには、ほぼ必ず灰皿があって、それは実用性のみに絞られた形だったのだけど、そこに吸い殻がいっぱいになっていることが多かったのは、駅のスタッフの清掃が少ないというよりは、あまりにもタバコを吸う人が多くて、その吸い殻の多さに追いつかなかったせいだと思う。

 そこには、ニコチンの茶色い液もあふれていて、とてもきれいとはいえなかったし、さらには、今、記録映像などで改めて見ると、ちょっと驚くのは、真面目そうなサラリーマン(昭和の時代には似合う名称だと思う)が、駅のホームで電車を待ちながらタバコを吸って、吸い終わると線路に向かって、みんなが投げ捨てていた光景だった。

 そうした場面は、確かに自分でも見ている可能性が高いのだけど、その時は、それが当たり前だからあまり不思議にも思わなかった。それだけタバコを吸う人が多かったけれど、マナーもいいとは言えなかった。

 駅だけではなく、特に4人が座れるボックス席があるような電車の車両にも灰皿があった。だから、電車の中でもタバコを吸う人が当たり前にいたのだから、考えたら、その時代はタバコの時代で、街中でも住居の中でも、だから灰皿が当たり前にあって、それで、今で言うと受動喫煙もひどかったと思うのだけど、あまりにも当たり前のようにタバコの煙が日常だったので、気にすることもできなかった。

 もちろん、その当時でも、タバコを嫌う人もいたはずだけど、多勢に無勢、という数の論理で押し切られていたから、考えたら、かなり野蛮だった。

 タバコの時代は、あちこちで灰皿を、それも色々な種類のものが見られる灰皿の時代でもあったのだと思う。

灰皿の未来

 タバコを吸える場所が少なくなった。

 だけど、自分も喫煙者ではないから、そのことに対して敏感ではないし、切実でもない。

 当たり前だけど、自分が関係あることしか本当に真剣に考えるのは難しいのだけど、(私の場合は、今だに携帯もスマホも持っていないので、公衆電話の減少には困っている)今、灰皿と聞いて、頭に浮かぶのは、携帯用の灰皿で、それは、路上ポイ捨てが禁止される動きと連動しているような気もする。

 街中では、灰皿を見る機会も減った。

 加熱タバコや、電子タバコなど、新しいタバコも登場していて、それは、喫煙者ではないと詳しくは分からなくて申し訳ないのだけど、そうした加熱か電子タバコ専用の喫煙所を駅のそばで見かけて、その駅では違う出口の方には、通常のタバコの喫煙所もあったので、その違いが何か分からなかった。

 個人的には、特にアルコールを飲まなくなってから、出かける飲食店に、灰皿を見なくなった。だから、久しぶりに、銀色の新しい灰皿を見た時、とても新鮮な気持ちになれたのだと思う。

 これからは、灰皿は、どんどん希少なものになっていくのではないだろうか。

 喫煙所も、知らないところで変化しているように、灰皿もこれから予想がつきにくい変化をしていくかもしれない。こんなことを、タバコを吸わない人間に言われるのは頭に来るかもしれないけれど、これから、社会から排除されるような存在になった灰皿が、さらにどのような変化をしていくのかを、できたら記録して残して欲しい気持ちはある。

 それは小さいとしても、貴重な「歴史」なのだと思う。




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