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読書感想 『破局』 遠野遥 「語られていないこと」

 よく考えたら、文藝春秋という出版社の「賞」に過ぎないのに、今も文学界の中で最も注目もされ、その「賞」をとったかとらないかで、昔で言えば歌手にとっての「紅白」に出ているか出ていないかに近いほどの違いが今だにあり、一般的なニュースにもなるから、不思議な気持ちになる。

 そして、今年は、コロナ禍という特殊な状況の中での芥川賞・直木賞の発表があり、授賞式があり、芥川賞は2人が受賞し、高山羽根子(リンクあり)と、遠野遥だった。

 遠野は、初めての平成生まれの受賞者であり、記者会見では、マスクをはずして笑顔を見せてください、という依頼に対して、コロナ禍のことを理由に取らないまま話し続けた、いったエピソードや、独特の文章といった批評家の言葉で、充分以上に興味を持てた。しかも、何ヶ月かたったあとに、父親が有名なロックバンドのボーカルだったことが明らかになったりもした。


「破局」 遠野遥

 一人称で話は進んでいく。
 大学生で、就職活動をしていて、母校の高校でスポーツのコーチをしていて、性生活などのプライベートのことも含めて、規則正しく、毎日を過ごしている。

 女性との交際もあり、セックスの場面もあり、だけど、感情の揺れが少なく、その規則正しさが異様な印象になってくるのは、一人称だから、自分の気持ちの描写は、かなりひっきりなしに出てくるのだけど、この人自身が、どんな人なのかが、よく分からないまま、時間が進んでいくからだと思う。

 おそらくは慶應大学が舞台でもあって、その学生の姿は、外見的には、昔、東横線で見かけた慶應生のイメージ(リンクあり)が、あれから随分と時間がたっているのに、変わらないことに、微妙な驚きと違和感もある。

異様な印象

 行動について、どうして、こういう選択をするのか、というような動機については、気持ちの描写としては充分に語られることはないが、この主人公にとっては、合理的で自然な選択であることは、なんとなく納得させられるようになる。ある意味、受動的な姿勢のまま、いろいろなことが起こるのだけど、人間関係についての感情が、読み進めていくと、個人的な印象に過ぎないが、やはり異様な感じが抜けない。

 すごく親切にされている年上の人に対しても、愛着といっていいような気持ちでもなく、その親切に対してうっとおしいも思わず、ずっと微妙な距離があるままで、考えたら、そういう若者に、高校のラグビー部の監督が、ずっと面倒をみているのも、不思議な気もする。

 その理由を考えると、どこか異常とも思える取り憑かれたようなプレーが、好ましい集中力に見えたり、普段の生活では異質でもあるのだけど、スポーツのある場面では有利に働くような、恐れを感じないような振る舞いへの信頼があるのかもしれない。その上、主人公に何かしらの不幸な出来事があったのかもしれないとも感じてくる。

 大学の同級生で、笑いの世界に進もうとしている友人は同世代だけど、主人公とは真逆といっていいほど、いわゆる「あつい」人間で、それほど一致点もないのに、友人からの気持ちの距離はかなり近い。だけど、主人公からは、やはり微妙な距離の遠さがあって、でも、それは、相手には気がつかれにくいような遠さのように思える。

 すごく冷たいわけでもないのに、この平板さがずっと貫かれている人物は、やっぱり異様かもしれない。だけど、有名大学に通い、公務員になろうとしていて、体も鍛え上げていて、女性関係も恵まれているといっていい、と外面的には、その異様さが外に漏れないほど、隙がなく思える。

父親の言葉

 主人公の、内面的なことでの「ルール」ははっきりしている。

 それは父親にずっと言われていたという「女性には優しくしろ」で、それだけは、どんな時でも守ろうとする。だけど、それは壊れ物を大事に扱う、という微妙な距離感があるみたいにも感じる。頻繁にセックスはするけれど、気持ちが通じ合う(それは、誰にとっても難しいが)瞬間はあるように思えず、性欲が強くなっていく彼女に対しても、ひたすら体力や精力をあげる、という外面的な対応に終始する。

 それでも、主人公の気持ちが一瞬あふれた、と思えるのは、その「ルール」に関連した場面だった。

 それは、一緒に旅行に来ている彼女に、温かい飲み物を、自動販売機の都合で買えなかった、という時に涙を流すのだ。

 「約束」という交流を感じさせる言葉よりも、やはり「ルール」という表現の方がふさわしいような、父からの「女性には優しくしろ」が、守れなかったせいなのかもしれないが、それが、そうだとしても、どうして、そのくらいのことで、涙があふれるのか。

 その違和感は、読者だけでなく、主人公にもあって、「ずっと前から悲しかったのではないかという仮説」は立てるものの、それが何かまでは、追求はしない(できるはずなのに)。

不思議な視野の狭さ

 この小説の不思議な視野の狭さ、みたいなものを、改めて考えた時に、語られていない何かがあるのだろうと思った。そういう「謎解き」みたいな読み方は、ある意味で未熟なのだろうし、そのまま読めていない、という能力の不足でもあると思うのだけど、もう一度、読むと、気になる箇所が、つながったような気もした。

 交通事故に対して、主人公が急に、博愛的な祈りを唐突にすること。
 地元の友人や彼女がいるから、おそらくは近い場所の「名門」らしき高校に通っていたはずなのに、実家のにおいがしないし、かといってお金持ちが都内にマンションを買って、という感じもしない。
 自分のお金で大学に通っていない、という表現があるのだけど、「親」という言葉は慎重に避けられている。
 これだけスポーツに打ち込んでいて、そして主人公の姿勢でいえば、一度は大学で体育会に所属しそうなのに、その形跡が見えない。

書かれていない何か

 もしかすると、この主人公は、父親だけでなく、たぶん高校生の頃、母親や、いたとすれば兄弟なども、おそらくは不幸な交通事故などで亡くしているのではないか。そうした理不尽に遭遇し、あまりにも大きな感情の起伏に、自らフタをしてしまったのかもしれない。人生のいろいろな予定も完全に狂ってしまい、それだけに、その後は、自分がコントロールできる範囲のことは、(自分でも無意識に近く)異様に規則正しく行うようになったのではないか。

 こんなことを推測するような小説ではないのだけど、そう考えると、この主人公の感情の平坦さや、自分の気持ちに『?』と尋ねる場面もあるのは、ある時期から、あまりにも悲しい出来事のために、自分の感情にふたをする癖がついてしまっている可能性はないだろうか。

 そして、「女性に優しくする」のも、主人公にとっては、今はいなくなってしまった、家族とのつながりを守り続けたいという願いが隠されているのではないか。だから、それができなかった、と思う瞬間に涙がこぼれてしまう。

 だけど、「女性には優しく」はするのだけど、それは、相手の「女性」のためではないから感情が伴わず、それによって「形」だけ、と気づいてしまった女性たちに、実は深い怒りをかっているのではないか、というようにも思えてくる。

 視野が狭く感じるのは、自分の感情をみないようにしているからで、ある時期から、時間が止まっているような人間なのかもしれない。そう考えると、今も、とても大変な時間を生きているから、余裕や、柔らかさを感じさせないのも自然に思えてくる。


 こういう妙な深読みはただの考えすぎだとは思うし、ここまでの推測も全く無意味かもしれない。そんな背景は一切なくて、主人公は、ただ、こういう人、という可能性も高い。

 それは、主人公が異質だったりすると、すぐに、それに理由を探してしまうような愚かな読み手への、書き手の罠のような構造になっているかもしれない。だけど、書かれていない何かを感じさせる、という意味でも、そして、もしかしたら愚かな読み方の可能性も高いけれど、そうしたことまで考えさせてくれる、という意味でも、広さと豊かさのある作品だと思った。




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