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「時代遅れ」ではなく、「時代違い」。

 時代は変わる。

 そんな言葉を聞いたのは、もう随分昔で、それはボブ・ディランが歌っていた。

 本人はそれから60年が経っても現役で、しかも来日したときは、新しいアルバムの曲だけを歌っていて、2023年にはライブにも行ったけれど、この「時代は変わる」を聞いたのは会場の外で待っている時に、スピーカーから往年のヒット曲が流れ、そのうちの一曲としてだった。

 だから、考えたらボブ・ディラン本人は、今も「時代は変わる」を身をもって示しているのかもしれない。


諸行無常

 もっと昔、過去すぎて直接知ることはできなかったが、歴史的事実として、すべてのことは変わる、という言葉を、学校の授業中に聞いた気がする。

 それは「平家物語」の冒頭の部分にある「諸行無常」という言葉に代表されるような、どれだけ栄華を誇ってもずっとそのままではいられない、と平安時代の平氏のことを表現しているようだ。

 ただ、何しろすべてのことは、ものは、人も、変わり続ける、といったことは、誰もが特に歳を重ねるほど実感するから、今も語りつがれ、そして、アニメ化もされるのだと思う。

 だから、変わっていくのは時代だけではなく、時間という今も解明されていない「もの」が経つたびに、全てのことは変化していく。

 それで、生きている間に、成長し、さらに老いていくという下り坂を経験するのが人間なのだけど、成長の段階で経験した文化だけではなく、身につけた習慣や、もしくは無意識のうちに染み込んでいる価値観までが、その人生の間に変わってしまったら、それは、歳をとるほど適応が難しくなるはずだ。

おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!

 人間は、自分が生きている時代を特別だと思いがちらしく、だから、自分自身も例外ではないと思うのだけど、以前と比べて価値観という常識の変化が早い感じがする。

 若者文化、というのが、言われるほど明確にあるわけではなく、当初はある種の差別意識とともに使われた用語のようにも思えるけれど、文化や娯楽が変化していけば、そのことを知らなくて「古い」といわれて、いい気持ちはしないけれど、それほど気にしなくていいのかもしれない。

 それは、ある意味では好き嫌いの範囲内のことで、個人の自由とも言えるからだ。

 だけど、それが価値観という社会のなかで生きていく時に必要不可欠なものが変わってしまったら、それはとても大変なのは間違いない。それも、以前であれば、人が生きている間に一度大きく変化する、という印象だったのが、最近は数年単位で変わっているような感じもするから、より適応が難しくなっているのかもしれない。

 ただ、それは自分が「古い」世代だからかもしれないと、ドラマを見て、思っていた。

 これは、会社でそれなりの地位にあり、結婚し子どももいる中年男性が、21世紀現在の価値観に戸惑いながらアップデートしていくドラマで、それを興味深く見られるのは、自分自身が、年齢的に、この中年男性側にいるからだった。

 主人公の中年男性の名前が、沖田誠。

 おそらくは新撰組の沖田総司と、その旗印の「誠」と関係あるのかもしれないけし、そんなことをすぐに思うこと自体が「古い」のだろうけれど、でも、名前自体が「古い価値観」を表しているし、主人公は自分のこれまでの「価値観」を「古い」とも思っていないけれど、変わらないといけない状態にあることを嫌でも直面させられ、「アップデート」するという物語だった。

 この時間帯の東海テレビ制作のドラマは、柔らかそうに見えて、今の時代の大事なことも伝えてくれるように思っていて、今回も、そんな印象だったけれど、一つだけ、なかなか有り得なさそうだと思うのは、主人公が「アップデート」としようとして、もちろんスムーズにいかないながらも、それを続け、本当に少しでも変わっていくところだった。

 もちろん、絶対にいないとは言えないけれど、昭和から続く会社組織に順応しなければ、この主人公のような地位まで行かないはずだし、そうやって適応していればいるほど、変化することが、文字通り、死ぬほど難しくなる。というのが実感だから、この主人公のあり方が、とてもフィクションに見えてしまう。

 ただ、改めて、どうして「変わる」ことが、そんなに難しいのだろうか、と考えると、実はそれほど単純ではないことに気がつく。

強制

 誰でも、生まれて育って成長し、大人として、その社会に適合するために、すでに「変化」を強いられているはずだ。そのままで、社会とフィットすることが難しいのは、自分だけではない他の人間たちと一緒に社会が作られているからだと思う。

 だから、誰でも、「変化」という強制に、程度の差はあっても遭遇しているはずだ。

 日本の社会が「同調圧力」が強い、というのは常識になっていて、それは、おそらくは明治以来は、一丸となって西洋に追いつく、という基本方針が変わらない以上、その空気感は似ているのではないだろうか。

 それでも、その同調圧力の程度は、時代によって多少の変動はあって、例えば、求職者よりも求人数が多い場合は、薄まりそうだし、逆は強くなりそうだ。ただ、そうした合理的な法則とは別に、今と比べて、高度経済成長からバブル経済期までは、終身雇用が多いと言われていただけに、会社という組織への適合度への強制力は強かった印象がある。

 そのことを示すのが、その頃の新入社員の研修だと思う。

私は1979(昭和54)年に国家公務員試験に合格し、東京大学の事務職員になりました。当時の東京大学の事務部門は、新人を強く育てることに重点を置いてました。おそらく当時の人を強く育てるという考え方は、東京大学だけでなく、公務員すべて、いや日本社会すべての共通した認識でした。1986年からのバブル期へ突入する前です。社会全体が右肩上がりに堅実に成長し、人も金も余裕があった時代です。

組織では人が一番大切、精神的に強い人を育てることで、会社や社会が発展すると考えられていました。リストラはほとんどなく誰も考えていませんでした。この時代の人を育てるという概念は、厳しく育てることを意味します。忍耐強く先輩たちについていくための教育です。社会人は耐えて一人前、我慢こそが美徳という風潮でした。新人教育の中心は精神面を鍛えることでした。

(「官公庁で働く人たちの会計実務専門サイト」より)

 統計的な数字ではなく、こうして、その当時のことを知る人が、実感を残してくれているように、今では考えられないけれど、新人教育の最初である新人研修は、強制的な気配が強かった。

 お寺に行って座禅を組んだり、寒中水泳のようなことをしたり、駅前の人が多いところで大声で自己紹介をさせられたり、といった(それはもしかしたら、当時でも少数だったかもしれないけれど)新人研修があって、それは、とても嫌な光景だと昭和を生きる人間でさえ思っていた。

 そうした新人研修は、学生気分を洗い流し、社会人としての自覚を強制的に促すわけだから、一種の洗脳のように見えていて、私は、学生時代から怖かった。

 だから、最初に入った会社では研修がなく、すぐに現場で働けたのは、自分にとってはラッキーだったが、人によっては何も教えてくれないのは不親切だと感じていたのかもしれない、と今は思う。

 ただ、そういう私のような感覚はおそらくは少数派で、だからこそ、会社組織で働いたのも2社・3年しかなく、適応できなかった自覚はある。そんなささやかな経験と比べることはできないけれど、そうした組織への違和感を述べてくれている人もいる。

私は京都大学の経済学部を卒業してから、86年から88年まで住友銀行で働きました。それはちょうどバブルが始まった時期です。日本の銀行は伝統的に不動産を担保にとってお金を貸すのですが、元来はかなり慎重に資産価格を査定していました。ところが、バブルで値上がりが始まると、資産査定がどんどん甘くなっていったのです。また、お金を貸す相手の信用調査も、同様にいい加減になっていきました。それに対して疑問を差し挟もうとすると、上から横から下から蹴りが入る。それも、公にじゃなくて、テーブルの下で、にこやかに。大企業などの組織は、まさに人間を型にはめるシステムで、ものすごい力で、人々を同じ方向に走らせます。疑問の余地なんかなくなるし、思考できなくなる。そうやって「魂の植民地化」が起きていく現場を目の当たりにして、嫌になって、会社をやめました。

(「東洋文化研究所」 安富歩 インタビュー より)

「楽しい時代」

 こうした「人間を型にはめるシステム」の中にいて、適合できた後は、もしかしたら、それほどの本質的な辛さが減ったと考えられるのは、ちょうどバブルの時代で、大変な思いをしたとしても、経済的な報酬に関しては、少なくとも21世紀の現在よりは恵まれていたからだと思う。

 さらには、労働者人口の多くが正社員であった時代で、しかも、会社への適合を果たした後であれば、極端な言い方をすれば、そこには同質の人間が多く、だから価値観も共有できたはずで、そうした組織にいるのは、「楽しい部分」も多かったのではないだろうか。

 男性中心で、家事や子育てはパートナーの女性に押し付けるように担当してもらい、同じような人ばかりが集まっている会社にいる。しかも、その組織への適合度が高い方が、おそらくは出世もしたはずだから、組織内で同じような地位にいる同士であれば、一緒につるんで、価値観を脅かされることも少なかっただろう。

 だから、昭和の会社にいる「適合者たち」にとっては、「楽しい時代」だったはずだ。

「時代遅れ」

 今はずっと下り坂の厳しい時代が続いていて、環境は変わってしまっているはずだけど、でも、その「楽しい時代」を通ってきた人が価値観を変えるのは難しいのは、わかる。

 それは、若い頃に、大げさに言えば、それまでの自分を壊すようにして、会社組織に適合し、そのことで自分の価値観を無理にでも一度変えてきた過去があるせいだろう。

 だけど、そういう「楽しい時代」を経て、会社で働き続け、上司になった人には、すでに「時代遅れ」の非難が押し寄せている。

 その非難を受けた人たちは、どうしているのだろうか。

 この記事を書いている私自身も、そのことと無縁ではないはずだけど、組織内で常勤で働いていないせいか、それほど、そうした言葉をまだ受けてはいない。

 それでも、「時代遅れ」という言葉で、自分の言動を批判された時、以前よりは、その言葉の強さが増しているから、その非難を向けられた人が黙ってしまう確率は高いと思う。

 ただ、その黙ってしまった人は、その「時代遅れ」という言葉を言われた意味を、本当に真剣に受け止めているだろうか。

 もちろん、「時代遅れ」という言葉には収まらないほどの、人を傷つけるようなひどい言動をしている人には、「時代遅れ」という言葉を投げかけてでも、とりあえず黙ってもらったり、止めてもらうことは適切な方法だと思う。

 だけど、もしも、その「時代遅れ」な人が、その後も変わっていく可能性を考えたら、「時代遅れ」という言葉を選択しない方がいいかもしれない。

 それは、誰でも生きていれば、そして長く生きれば生きるほど「時代遅れ」になる可能性は高まるし、そのときに「時代遅れ」という排除の響きが強い言葉をなげかけられれば、悲しくなり、ただ黙って恨みにつながるか、諦観を強めてしまうだけになりそうだからだ。

 今は若くても、未来の自分も「時代遅れ」になると考えるのならば、その「時代遅れ」という言葉だけではなく、もう少し届きやすい別の表現を考えてもいいのかもしれない。

「時代違い」

 その前の時代に正しかったことが、正しくなくなる。

 だけど、その前の時代の正しさを身につけてしまった人間は、次の時代の正しさに適合するように自分を変えることは難しい。

 天動説から地動説に変わったときに、それを受け入れるまでかなりの時間がかかった、と読んだことがある。それは、一世代分の年月が必要で、つまりは、地動説が正しいと証明されたとしても、天動説を信じてきた人は、それを変えることができず、その世代が死に絶え、生まれてから地動説を教わってきた、次の世代になった時にやっと天動説が、人類の「常識」になったらしい。

 天動説から地動説、という自分の生きている世界を丸ごと見方を変えさせられるような変化だったら、もうアップデートするのは難しい、ということだと思う。

 そこまでいかないとしても、現在の昭和生まれの(私もそうですが)「会社適合者」は、おそらくは「滅私奉公」で、長く会社にいた方が偉く、無意識のレベルで男尊女卑(もしかしたら女性であっても)で、学生時代は違う人間であっても、会社に入って、そうした「自分」に変化させて、会社の中を生きてきたはずだ。

 そして、それは収入を最大化するという意味でも正しかったのだと思う。

 そうした人たちに「時代遅れ」という言葉を投げかけても、まだ力があれば無視されるか。もしくは黙って孤立化する可能性も低くないと思えるのは、一度は無理やり変化させた自分を、再び変えるのは難しいからではないか、とはすでに述べた。

 だから、もしも、そうした人たちに変わることを促すのであれば、「時代遅れ」として、それまでを否定するのではなく、シンプルに「時代が変わったこと」つまりは「時代違い」になったということを、なるべく淡々と伝えた方が有効ではないだろうか。

 同時に、会社で働き出してから、それまでの自分を無理やりにでも変えて、適合してきたことに対して、さりげなく労うことができれば、その人は、これからの時代にも適合するエネルギーを得ることができるのかもしれない。

 もしも、今の「時代遅れ」になってしまった人たちに、ただいなくなってほしい、というだけではなく、少しでもこれからも一緒に生きていく、という気持ちがあれば、そんなことも考えてほしい。

 私も、年齢的には完全に「時代遅れ」のグループに入っているのに、そう思うのは、この記事を書いている自分自身を守っている可能性はある。

 それでも、今は若くても生きていれば年をとり、それでも「時代遅れ」として排除されないためにも、未来では、同じ時代を生きている人間が、年齢や性別などの、変えようがない違いや変化に関わらず、一緒に生きられるような時代にしていくためにも今からできることはあると思う。

 今後は、「時代遅れ」ではなく「時代違い」という少し冷静な批判を向け、単に「時代遅れ」と排除されないように方がした方がいい、と思うのですが、どうでしょうか?と提案をしたいです。

(繰り返しになりますが、人を傷つける言動をする人には、「時代遅れ」という言葉を向けても、すぐに止めた方がいいと思います)

「楽しい時代」の再検討

 さらに、ここからは、余計なお世話だと思いますが、自分自身も「時代遅れ」といわれる年齢層になっているので、もし、「時代遅れ」といわれていて、いろいろと考えている方が、どうしたらいいか?

 それについても、生意気かもしれませんが、自分にも言い聞かせるつもりで、少し伝えることを試みたいと思います。

 もしも、「時代遅れ」といわれ、そうは言っても、自分にも様々な都合があって、我慢も努力もしてきたのに、という気持ちになっても当然で、だけど、以前だったら「ふざけるな」と言っておけばいい場面であっても、今はパワハラといわれてしまう。だから、黙るしかない。

 そして、高度経済成長からバブル経済にかけて、ビジネスパーソンとして現役だったとしたら、もしかしたら「楽しい時代」で、あの頃は良かったという気持ちもあるかもしれない。

 だから、もし、その「楽しい時代」があって、その頃を共にした人たちと集まる機会もあって、幸いにも、これから先も会社で働けて、さらには定年後も生活に困窮しない程度の年金も受給されるはずだったら、もう変わる必要もないかもしれない。

 だけど、さらに仮定を重ねて申し訳ないのだけど、それでも、今後、これまで知り合った人たちだけでなく、これから巡り会う人たちや、自分よりもかなり若い世代、もしくは会社とは関係ない場所での付き合いも、できたら自分だけでなく相手も快適になれるコミュニケーションをしたいと思うのであれば、やはり、変わらなくてはいけないと思う。

 その場合は、やはり、自分にとっての「楽しい時代」の再検討は必要になるはずだ。

 景気が良かった時代に、確かに自分も頑張っていたし、成果も出したし、我慢もしてきたから、今がある。そして、その当時を生きてきた人たちは、自分と同じようにやってきたはずだし、多くの人にとって、少なくともバブル期までは「楽しい時代」だったはずだ。

 そんなことを思う人も、もしかしたらある世代以上は多いかもしれないけれど、もし、これからの時代にも適合して、現役として生きていくとしたら、そこを振り返る必要があるだろう。

 本当に、みんなにとって「楽しい時代」だったのだろうか。

他の人たち

 2020年代の現在は、細かいことにうるさくなった。コンプラというようなものに気を使って、言いたいことも言えなくなった。昔は良かった。言いたいことを言えたおかげで、分かり合えた。

 そんなふうに思っている人も、もしかしたら想像以上に多いのかもしれないけれど、でも、未来に生きていくことを考えたら、この前提は疑ってもいい。

 その「楽しい時代」でも、勢いがあって、景気が良くて、頑張れば報われて、細かいことを気にしなくても楽しかったのは、間違いなく全員ではない。

 そういう時代の中で傷ついたり、隅っこに追いやられたり、不当に低く評価されたりした人も少なくなかったと思う。そして、そのことに知らないうちに加担している可能性も低くない。

 理不尽な残酷さを少しでも減らすために、ポリティカル・コレクトネスがあるはずだし、コンプライアンスの遵守があるのだから、それは、過去の再検討と反省によって、生まれてきたことのはずだ。

 だから、今から自分の振る舞いによって傷つけた可能性のある人たちに謝罪するのは無理としても、(こんな文章を書いている私自身にも同じことはあると思うけれど)、自分が景気のいい時代に適合していたから「楽しい時代」になったのは、自分だけの手柄ではない。
 確かに会社で働き始める時に、自分に無茶な負荷をかけて、自分を変えてきた辛さはあったかもしれない。それに、働いている時に、下げたくない頭を下げる機会も数限りなくあったとは想像もできる。だけど、無理をしたとしても適合できたのは、自分自身の素質のおかげが大きいはずだ。

 どう頑張っても、その時代に合わせることができず、とても辛い目にあった人たちも少なくないはずで、「楽しい時代」に、自分の努力や工夫だけではどうしようもできなかった「他の人たち」もいた。と(本気で)想像をしようとするだけで、おそらくは、これからの時代にも、どの場所でも生きていかれる可能性の(小さくても)一歩を踏み出しているのだと思う。

具体的な方法

 ここから先は、場合によっては、気持ちの負荷が大きく、もしくは、それこそ偉そうになったら、すみませんが、「時代遅れ」を本当にどうにかしたい、切実に思う方に試してもらいたいことがあります。

 あまり決めつけてはいけませんが、好景気から「バブル時代」を通して「楽しい時代」だった人は、男性の場合が多いようです。だから、その前提で話を続けたいと思います。

 もし、結婚していて、幸いにも長く結婚生活を続けることができていて、その間も、振り返れば会社に勤めていた頃は「楽しい時代」だとすれば、配偶者の方も同様だと考えがちですが、そこを確かめてもらった方がいい。

 現在の、自分よりも若い世代に真剣なトーンで「時代遅れ」と非難されるようにいわれた場合であれば、もしかしたら、配偶者の方にとっては、あなたとの生活が「楽しくなかった」可能性もある。

 そのことを、きちんと話し合えれば、もしかしたら、思いもしないほどのことを告げられる可能性もあるけれど、それでも、毎日が、辛くないのか、つまらなくないのか、楽しいのか、幸せなのか、どうして欲しいのか、どうして欲しくないのか。

 そうしたことは、本来は日常的にさりげなく話せればいいのだけど、それができていなかったとすれば、そうした機会を改めて持つことは、あなたにとって大変な経験になるかもしれないけれど、これからのためには、大事な時間になるのではないか、とも思う。

 最も身近な人が、あなたが「楽しい時代」のとき、その楽しさを支えるための、言葉は悪いけれど犠牲になっているかもしれず、そういうことを本当の意味で知ることができれば、同時に、それに対してできる限り誠実に対応することができれば、それはもう「時代遅れ」ではなくなっていると思う。

 
 私も他人事ではないのですが、そんなことを、控えめに提案したいと考えています。

 今回は以上です。

 特に終盤は、ちょっとあちこち行って迷走しているとは思いますが、現時点での精一杯なので、疑問点、ご意見などありましたら、お聞かせ願えるとありがたいです。

 よろしくお願いします。









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