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「近くに感じる」や「遠く感じる」とは、どういうことなのだろう?

 玄関が開く音がして、見に行ったら、妻が出かけるところだった。
 近くのコンビニに行くから、と言われ、あ、あそこなら近いから、となんだか安心する気持ちになった。

 どうして、近くに感じたのだろう。そして、なんで勝手に安心したのだろう。

近くに感じる

 それまで、ウチから近いのは小さめのスーパーだった。そのうちに、近くの駐車場で工事が始まり、またマンションが建つとしたら、反対運動が始まるのだろうか、自分も関係しなくてはいけないのだろうか、といった焦りのようなものまで感じたが、そこにできたのはコンビニだった。

 すでに、同じコンビニが駅に行くまでのルートにあるから、どうして、また同じコンビニができるのだろう、と思ったが、それは私にはよくわからない「マーケティング戦略」を元にしているようだけど、なんだか納得はできなかった。

 どちらにしても、ウチから道路に出ると、その4畳半はあるようなコンビニの大きい看板が見えるほどの近さになった。

 だから、まずは「視覚的に近い。大きく見える」というのが、人間が「近くに感じる」ための要素なのは間違いない。

歩数を測る

 周囲が田んぼや畑や、小さい森を通り抜けるような道を歩いて通っていた小学校は、1学年1クラスしかないような小規模で、人口が少ない場所にあった。

 小学4年生くらいの時に、突然、宿題が出された。

 明日、学校へ来るときに、家から何歩で着くかを、数えてくるように。

 今なら、その目的はすぐに分かるけれど、その教師はその宿題だけを伝えて、翌日、生徒から歩数を聞いて、たちまちその距離を出していった。一番近いのは、のちに甲子園球児となったガソリンスタンドを経営する家の子どもで、小学校が国道沿いにあって、その道を渡ったところだった。

 私は、田んぼの真ん中に建っているようにも見える4階建の鉄筋のアパートで、それは、父親の勤める会社の社宅だった。そこは、1時間に1本くらいしか電車は走っていないとはいえ、駅からは近かったが、小学校までは子どもの頃は遠く感じた。

 教師によれば、私の住んでいる場所から、学校までは、だいたい2キロのようだった。毎日、30分くらいかけて歩いていたから、そんなものだろうと思い、クラスの中では、遠い方だったと思う。

 歩数が分かれば、距離も明らかになる。

 その時は、自分が愚かなせいもあるけれど、教師のやったことが、ちょっとした魔法のようにも思っていた。

近い歩数 遠い歩数

 今住んでいる自宅から、一番近くのコンビニは、その敷地までは、65歩だった。
 飲むヨーグルトが安いので、ここで買っている。65歩は、駐車場までだから、店内に入るまでは、まだ距離があったけれど、まずは、それを基準とする。

 近くの小さいスーパーまでは、うちから180歩。
 ここは、入口が道路のそばなので、店内までも、だいたい一緒だった。低脂肪牛乳が安いので、ここでよく購入している。ペットボトルのドリンクも、新しいものが出たら、ここで手に入れているが、そのために100円以上する飲み物を高いと思ってしまうようになった。

 駅の近くの大きめのスーパーまでは、ウチからだと517歩
 こうなると、出かける、という意識はなかなり強くなる。

 自分の生活圏内での距離感を考えると、100歩以内だと「近く感じ」、部屋にいる時と同じ格好で、気持ちまでウチの延長のように出かけられるようだった。

 それ以上だと、少し出かけるための決意のようなものが必要になり、500歩を超えると、最近は自転車を使うことも多くなった。

 もちろん、人によって、住む地域によって、距離感の違いはある。

 地域によっては「すぐ近く」は、クルマが基準になっているから、歩くと、とても遠いことがある。そういう話もよく聞くから、厳密に考えると、「近く感じたり、遠くに思える」のは、個別性が強すぎて、一概にはいえないけれど、自分の感覚的には「100歩以内は近い」というのは、なんとなく納得できた。

 そして、さらに個人的なことなのだけど、図書館まで歩くときに、住宅街をかなり真っ直ぐ通り抜けていく道があって、そこはその端の部分に立った時に、その突き当たりの部分までが見える。

 すごく遠くに思えるが、その直線の道路の歩数が737歩

 少し意外だったのは、ウチから駅前のスーパーまでが、517歩だったのだけど、体感的には、その直線の方が圧倒的に遠く感じたのに、その差が200歩くらいしかないことだった。気持ち的には、倍くらい遠いと思っていた。

 スーパーに行くまでは、道を曲がったりして、先まで見通せる部分がそれほどない。それに比べて、遠い直線は、そのゴールまで見ることができる。遠くに小さく、目標が視界に入ってくることで、歩く前にその遠さを実感し、気持ちが少しやられていたのかもしれない。

成人の歩幅はおおよそ70センチといわれています

 これで計算すると、100歩は70メートルくらい。
 遠くに感じる直線が、737歩なので、約515メートルになる。
 
 個人的には、500メートルを超えると、「遠く感じる」ようだ。


(歩数計も販売しているオムロンのホームページには、さらに厳密な歩幅の長さが示してある)。

歩幅の目安は「身長×0.45」です。
正確な歩幅を知るには、10歩歩いた合計距離を歩数(10歩)で割ります。
歩幅は「つま先からつま先までの長さ」です。


なじみがある風景

 月に1度、片道30分歩いていく場所がある。

 最初は、途中にやはりとても「遠く感じる」直線があって、最初は、図書館への直線より長く感じ、ちょっと気が遠くなるような気持ちもしたのだけど、毎月、通っているうちに、それほどの「遠さ」を感じなくなった。

 それは、どこかへ出かける時に、行きは遠く感じるけれど、帰りは近く思える、といったことと同様に、慣れると距離感は変わる、ということなのだろう。

 「遠く感じる」というのは、なじみのなさによって、人に不安を起こさせ、それは歩くことの肉体的疲労に加えて、精神的な疲労感につながってしまうから、距離にも慣れてくる、というのは、人間の適応なのかもしれない。

 100歩くらいの距離だと、もしかしたら、クルマの運転の時の「車両感覚」のように、体の感覚が拡張されて、どこかで、ウチからコンビニまで、ひとつながりの空間のように感じて、だから近くて安心しているような気がする。

 そうであれば、いつも歩いているような場所は、なじみが深くなることによって、その空間自体も、どこか自分と関係があって、だから物理的な「遠さ」は変わらないとしても、気持ちとしては「近く」なり、安心感も増えるので、そのことで距離自体も「近く」感じるようになるのかもしれない。

 私は普段、それほど長く歩く習慣もないので、せいぜい100歩圏内が「近く」感じるようなレベルだけれども、いつも長く歩いている人の「近さ」や「遠さ」に関する感覚は、やっぱり全く違うレベルだと思う。




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