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noteを始めてから、1ヶ月が過ぎて、感じたこと、考えたこと、変わったこと。

 この投稿で、37日連続投稿になります。SNSというものに縁がなく、おそるおそる始めたのですが、1ヶ月と少しがたって、感じたこと、考えたこと、変わったこと、を忘れてしまわないうちに、書いておこうと思いました。


●書く意識が変わりました。

 それまで、自分で文章は書き続けていました。書くことはどこかでスポーツと一緒だから、何があっても毎日何か書く、ということはしていました。それで少なくとも書く技術はあがらないまでも、落ちないのではないか、と考えていました。その作業は、15年以上は続けていたのですが、思った以上に何にもなりませんでした。写経みたいことに近いのかもしれません。自己満足と言われたら、否定できないことでもありました。

  noteを始めて、「スキ」をしてもらって、最初はとまどいもあったのですが、そのうちに、読んでもらうことが前提で書く意識になりました。昔は、どこかの媒体に書いたとしても、その反応が直接あるのは稀なことですから、こうして読んでくれる人が直接反応してくれるようなシステムが新鮮で、そして、すごく反応が、気になるようになりました。そして、当然ですが、同時にとても励みにもなっています。


(始めたばかりの気持ちは、「初めて投稿して、初めて「スキ」してもらって、感じたこと、考えたこと、思い出したこと」に書いてあります。よろしかったら、クリックして読んでいただければ、ありがたく思います)。


 以前は、書くことは、自分の中に降りていって、自分という読者に向かって書くような作業でした。今も、その部分はあるのですが、noteを始めて、2週間をすぎる頃には、今までは誰もいない場所でボールを蹴っていたのが、いつも周囲に見ている人がいる前でトレーニングをしている意識になってきました。それは、人の目を意識する、ということが、嫌でもできてくる、ということだと思います。この意識の変わり方は、これまでSNSを一切やってこなかったから、よけいに強かったのかもしれません。プライバシーという概念が変わってきている、というのは、本当かもしれない、と今さらながらに、思いました。

 書く時間も増えました。書くことへの集中の質が少し変わったかもしれません。ただ、それが続くと、いつも気持ちがちょっと上ずっているような、呼吸が浅くなるような、意識が外へ向きすぎているような気持ちにもなってきて、どこか、これでいいのだろうか、と思う部分もあります。さらに気がついたら、書いていて、他のことをする時間が少なくなっている、という焦りもあります。

 こうして、読んでもらえる嬉しさと共に、どうしても人の目を意識しすぎてしまう怖さみたいなものを、最近になって考えるようになり、文章を書く時の内省的な部分と、どうやって両立させていくのか、といったことも考えるようになりました。それは今後の課題でもあるのだと思います。毎日、今日は何を書こうと思うのは楽しみでもあり、毎日書くと決めたので、締め切りに追われるような苦しさもあるような日々になりました。


●数字を意識するようになりました

 「ダッシュボード」というものに気がついたのは、始めてから、しばらくたってからだと思います。たぶん、今も、システムの全てをきちんと使いこなせていないと思うのですが、こうしてすべての数字が詳細に、しかも簡単にわかるなんて、すごいことだと思いました。SNSなどを利用している方々から見たら、当然のことなのだとも思います。ただ、私にとっては、自分の行為が数値化されることが、これまで、ほとんどなかったので、最初はそうでもなかったのですが、数字が増えるたびに、やっぱりうれしくなり、どうすれば増えやすいのか、を考えたりもしました。最初は何もしてなかったプロフィールにも、文章も画像も入れたりしました。背景の写真も入れました。
 自分の記事の下に、他の記事のリンクもするようになったり、ハッシュタグをつけるようになったのは、以前、菅本裕子氏(ゆうこす)の本を読んだ影響です。ただ、読んだことをきちんとできているかどうかは自信がありません。

(この本は、正しく工夫して、努力すること。そして、「モテ」というのが、表面的なちやほやではなく、自分の存在そのものを認めてもらうこと、を書いているのでは、と思いました。)

 その一方で、そういうことばかりを意識しては、何かにコントロールされてしまうことになるのではないか、という謎の危機感も芽生えてきた部分もあります。1日に何度か「ダッシュボード」を見ている時に、このままいったら、依存状態みたいになってしまうのではないか、と思いました。数字で出ることの、大げさに言えば、魔力みたいなものにも触れて、揺れているのが現状です。

●写真を撮るようになりました

 最初は、記事の冒頭に写真を入れるやりかたすらわかりませんでした。ただ、見出し写真を入れたほうがいいですよ、というアドバイスがいつも表示されていることもあって、写真を入れるために、久しぶりにカメラを使うようになりました。もう10年以上前に、人からいただいたデジタルカメラで、SDカードが2ギガのものしか使えないものです。たぶん、古い感覚だと思うのですが、ファインダーからのぞけるので、撮影しようとしていることと、近い気がしているから、使っています。

 買い物に行く時も、今はほぼ外出をしなくなっているのですが、たまに電車に乗る時も、カメラを持っていって、撮影するようになりました。こんなに使うようになることは、面倒くさがりな自分にとって、意外でした。しかも、撮影していると、自分の視点みたいなものに改めて気がついたりもしました。
 それでも、あ、きれいだ、と素直に思って撮った写真を、「みんなのフォトギャラリー」にあげさせてもらったら、使ってくれる人がいたときは、やっぱりうれしく感じました。それで、よけいに、撮影することが、楽しくなったと思っています。

●本当に世界とつながっていると、実感できるようになりました。

 最初は、本当に誰も読んでくれないのではないかと思っていました。だから「スキ」をつけてくれる人がいることは、新鮮でした。コメントまでしてもらうと、やっぱり素直にうれしく思っていました。フォローまでしてもらえる人がいると、なんだかすごくありがたくて、その人のことを意識して書く部分は出てきましたが、そういう変な媚びみたいなものは、逆に失礼ではないかとも思い、何しろ書きたいことを書く、ということを、改めて意識するようになりました。その時点で、不自然さは入ってきてしまうのですが、そんな揺れは、今でもあります。
 
 だんだんビュー数が増えていくのが、ありがたくもあって、だけど、どこか慣れている自分もいて、そこに自分の浅ましさみたいなものも感じますが、それでも、何しろ書き続けよう、などと、また気持ちが揺れつつ、1ヶ月がたつ頃、自分にとっては意外な出来事がありました。

 本の感想を「読書感想」として何本か書いているのですが、そのうちの1本に、著者の方ご本人が「スキ」をしてくれていました。敬意を持っている人だけに、すごくうれしく思いました。それは、どこか過剰な思い込みですが、うれしく思いました。
 その時間帯に、やけにその記事が読まれることに気づいて、ツイッターを見たら、著者の方が、リツイートまでしてくれていました。本当に影響力があるんだという気持ちと、せっかく多くの人が見てくれているから、と、その記事に、自分の他の記事をあわててリンクしたりと、浅ましくバタバタしてしまいましたが、そのバブルな時間はそんなに続きませんでした。それでも、その記事のビュー数だけ、200以上増えました。何かお礼をするべきなのか、などと、SNSの「礼儀」を知らないこともあり、さらに恥ずかしいことも考えましたが、これからもその著者の本を読んで、そして、機会があれば、こうして感想を書いていけばいいんだと思って、ちょっと落ち着きました。

 ただ、家にいて書いているだけなのに、そこから、世界につながっていると改めて実感できました。

「スキ」をしてくれた人の記事は、なるべく読ませてもらって、そして、本当にいろいろな人が書いていて、普段だったら、縁を持つことが難しそうな様々な年齢層、職業、立場の方々の考えや感覚に触れることができるのは、貴重な経験でもあることに変わりがありません。noteを読んでいる時間は、気がついたら、かなり増えていました。

●日記は、積極的に書くようになりました。

 私がnoteを始めたのは、2020年3月14日なのですが、それからの1ヶ月で、本当に世の中の状況が変わっていきました。そんな中で、社会の片隅で生きているような自分の書く日記みたいな文章にも、意味があると思えるようになりました。今の世の中の変化に関して、どんな風に思っていたのかは、あとになったら、自分自身でも忘れてしまうような、消えてしまうようなことだと気がつきました。おおげさですが、こういう「いつもと違う」時に書く日記みたいなものは、歴史を残していくことだと思うようになりました。それは、もちろん、自分だけでは成立しなくて、他の人たちも、その日のことを書いていくことによって、その蓄積によって、それはあとから見たら「歴史」の一つになるのではないか、と思うようになってから、日記みたいな記事も、とてもささやかなことですが、積極的に書くようになりました。

●収入につなげることを本気で考え始めました。

 外出をなるべく減らしたいと思っています。それは、家族にぜんそくの持病を持っている人間がいるので、可能な限りは、感染の確率を下げたい思いもあります。もっと大変な方々もいらっしゃると思うのですが、今の状況を見ると、「自分の身は自分で守るしかない」ような、考えたら、悲しいような状態で、そうなると、仕事を増やして外出も増えるのは、かなり怖いように思っています。それは、勝手にびくびくしていることなのかもしれませんが、まず、命を守ることを優先させることにしたいと思うようになりました。ただ、今の収入はとても低いままで、貯金を切り崩すしかなく、このままだと、あとどのくらい持つのだろう、という怖さもあります。収入を少しでも増やしておかないと、それこそ生きていくのが厳しくなる。だけど、外出するような仕事を増やすのは、こわい、という現状です。

 貧乏なのは仕方がないのですが、それでもなんとか生き残る確率は増やしたいとも思っています。そんな時に、noteを始めて、いろいろな方の「成功例」も読ませてもらうようになり、もしかしたら、収入を得ることも可能ではないか、と思うようにもなりました。

 どこかで、今の自分の書く文章が、お金を払って読むほどの価値があるのだろうか。という思いはずっとあります。これから、さらに書き続けていくことで、文章の質も量もあげて、そういう価値をつけることができるのだろうかという、不安や、後ろめたいような気持ちもあります。これは、古い感覚なのだとも思いますし、ただびくついているだけだとも感じているのですが、まだ、そういう恐さの前で足踏みしてしまっていて、たとえば、まず一本でも、自分の記事を有料化して様子を見る、という最初を、踏み出せないままです。

 これは、noteを始めるまで、いろいろと悩んで、始めるまで半年かかったのと似ている感覚のようにも思います。

 ただ、この場所で、価値があるものを書いて、それが必要とされ、少しでも収入にまでつながる、という、できたら自然な流れを生み出すことが、家族も含めて、この状況を生き残っていくためには、必要なことだとも思っていますので、なんとかしたいと思っています。すでに自然に収入にもつなげる方々から見れば、とても未熟で、馬鹿馬鹿しい段階だとは思うのですが、そんなふうに悩み始めています。

 以上が、SNSを一切やっていなくて、初めてnoteに投稿を始めて、連続投稿を続けて1ヶ月が過ぎた人間の、現時点での考えてること、感じていることです。
 読んでいただき、ありがとうございました。

 ただ、1ヶ月前と比べると、外側からは、わからないと思いますが、自分の意識は相当変わったと思います。それは、ある意味、おおげさですが、あともどりできない変化なので、これからも、毎日、書き続けて、また変わっていければいいなとも思っています。

 今日は、いい天気でした。


(他にも、いろいろと書いています↓。ご興味があれば、クリックして読んでいただければ、うれしく思います。)

「90日連続投稿達成! 本当にすごい!」というバッジをもらい、感じたこと。考えたこと。

いつもじゃない図書館へ行って、帰ってくるまでのこと。

数学が縁遠くなった、遠い思い出。「無理」と「どうかしている」と「天才だから」

スマホも携帯も持ったことがない人間が、見ている景色

読書感想 『デッドライン 』 千葉雅也 「思考することの、さわやかさ」


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