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読書感想 『「テレビは見ない」というけれど エンタメコンテンツをフェミニズム・ジェンダーから読む 』。  「テレビが見たくなる批評」。

 ずっとテレビは見てきた。
 今も見ている。
 
 テレビが隆盛を極めた時代でも、「テレビは見ない」という人はいた。それは、テレビを見ることが「愚かな行為」として考えられていた部分もあったし、テレビはNHKしか見せない、という家庭もあった。

 だから、全面的にテレビ視聴が讃えられたことは歴史的には一度もないのかもしれない。
 
 そのうち、今はインターネットや、配信や動画などがあって、地上波のテレビは「見ない」という意志よりも、自然に「見ない」ものになっているようだ。

 このまま、テレビは一時期の勢いがウソのように、長めの下り坂を、ただ下がるだけのメディアになっていくような気配まである。

 それは、いつの間にか、私もそうだけれど、テレビは高い年齢の視聴者ばかりになっているせいもあるのかもしれない。


『「テレビは見ない」というけれど   エンタメコンテンツをフェミニズム・ジェンダーから読む 』  西森路代 清田隆之 松岡宗嗣 武田砂鉄 前川直哉 佐藤結 岩根彰子 鈴木みのり 


 この本を読んで、改めて、見るのであれば、真剣に、さらに丁寧にテレビを視聴しようと思えた。

 この作品には、「エンタムコンテンツをフェミニズム・ジェンダーから読む」というサブタイトルがあり、その点については、私がどこまで理解できているかは自信はないが、様々な著者の見方に触れることで、さらに新しい視点で見ることができそうだし、全体として「テレビの魅力」のようなものに、改めて気づかされた気持ちになれた。

変化の過程の時代

 第1章は、西森路代氏が、「第七世代が浮き彫りにするテレビの問題点」というタイトルのもとに書いている文章で、「テレビの問題点」だけに留まらず、「社会の問題」にまで広げて考えられそうなことだった。

「暴力」は人間、特に男性や芸人には必要不可欠なもので、芸人はそれを表現しないといけないものだと考え、「優しさ」や「品行方正」のほうに向かうと「暴力性」を失っているように感じて、芸人にあるまじき姿だという気がしてしまう者もいるのではないか。
「暴力」や「毒」を抜かれることを過剰に恐れるこのような態度は、社会にも存在している。

 この指摘は、確かに「ジェンダー」の視点があってこそだとも思うが、これは、「第七世代」の登場によって、明確になりつつあるし、こうして言葉として形にしたことで、それが問題であるのが、さらにはっきりと分かるようなことでもあると思う。

 さらに、この論考は、深まっていく。

 世の中には、ポリティカルコレクトネスに「従ったように見える」行動が、自らの身体から出た嘘がない行動である人もいるのではないか。他人のために「善」で行動することと嘘があまりにも強く結び付けられているし、逆に自身の利己的な部分に嘘をつかず、自分のなかの「悪」に目を向けることこそがリアルであるとされすぎているのではないか。もちろん、表現として「悪」を突き詰められればそれはリアルになるが、単に「悪」をちらつかせて自己満足をするだけではリアルにはほど遠い。

 これは、主に芸人に対しての指摘でもあるのだけど、広く社会一般、特に「男性社会」に当てはまることでもあり、この恥ずかしさと、有害さと、幼さみたいなものに気づかなくてはいけないのだろう、といったことまで考えさせてくれる。

 ただ、まだ変化の時代でもあり、それは変化の過程でもあるとは思う。そして、他人事ではないが、この変化に取り残されざるを得ない人も少なくないはずだ。

バイキング・小峠英二の「歴史的」な言葉

 その変化について、前出の西森氏は、こう指摘している。

 むしろいまは、テレビのために協力させられ、思ってもいないことを言わされる役割を担わされていることに対して、異を唱えるほうの「本音」が重要なのである。

 それが形になった一場面が「ロンドンハーツ」であった。

 以前は、女性タレントを集め、「格付け」と称し、争わせることを笑いに変えていた番組だったから、こうした変化にとても遠そうな番組だったのが、明らかに、この2年ほどで変化をしてきたと視聴者でも感じている。

 その変化の象徴のピークが、この企画でのバイキング・小峠の言葉だったことを、こうして言葉として記録されることで、改めて気がつかされた。(気がつかされてばかりだけど)。

 それは、パンサー・向井慧が、悩みを相談するという形から始まる。自分が、心から賛同できないのに、人に意地悪なあおりを要求されるけれど、それをどうしたらいいのか?といった内容だった。

「ベースがそういう人間じゃない奴が意地悪なことやっても、そんなに面白くないんじゃない?って思うんだよね」と答える。「本当にいやがるとかさ、本当に怒るとかさ、本当にびびるとかじゃないとさ、俺やっぱ面白くないと思うんだよね。それはやっぱテレビ通してさ、見てる人に伝わると思うんだよね。無理する必要はない。じゃ無理して変な空気になったところでさ、誰が責任とってくれるかって言うと、誰も責任も責任とってくれないからさ。それは自分の嗅覚を信じてやるしかない。嘘はやっぱり面白くないよ」と語ると、向井は泣きそうになってその場を立つのだった。 

 これは、「テレビの変化の証言」として、その変化を加速させるような意味合いとして、大げさに言えば、「歴史的な言葉」かもしれず、それが分かったのは、こうして丁寧に文章として残してくれたからだと思う。
 
 それにしても、このシーンを見た時に、バイキング・小峠は、優しい人間なんだと思った。同時に、確か、長い下積みがあった芸人のはずで、そういう「売れない」という存在が時としてどれだけひどい目に遭う可能性があるのか。ということは、全く別のジャンルで個人的な経験に過ぎないけれど、「売れないライター」をしていた事もあるので、少しは想像ができる。

 だけど、そうした「嫌な思い」を多分たくさんしてきたはずなのに、それを、同じような形で他人にぶつけるのではなく、その「嫌な思い」をさせないために思考が動いて、言葉になるのは、すごいことでもあるし、それは、どうしてなのか。元々の性格なのか、何かの経験のせいなのか、といった興味はあるが、それはまた別のテーマになるのだと思う。

テレビの批評の意味

 今も、視聴率のことは話題になる。
 そして、番組の評価に大きく関わる。
 それだけが評価の基準になるのは、おかしいのではないか。

 そうした指摘を聞いてから、たぶん、30年以上になると思うけれど、「ドラマ満足度ランキング」という「基準」はできている。まだ視聴率までの影響力は持っていないが、それでも、こうした「基準」が登場する意味は大きいと思う。

 今回、紹介した「テレビ批評」も、同様の意味があるはずと、読んだ後は余計に思うようになった。

「テレビは見ない」という人にこそ

 個人的には、少なくともテレビドラマやバラエティーを見る解像度が少しでも上がった気もしますし、これから、この書籍に執筆しているプロの書き手の方々だけでなく、自分のような人間でも、メディアのことについて書くことに意味があるかもしれない、と改めて思えるようにもなりました。


 今回、紹介したのは、私の限られた視点によるものなので、人によっては、また違う感想を持てる幅の広さがある書籍だと思います。特に、私が引用したのも一人の書き手の文章だけになってしまいましたので、かなりの偏りがあると思います。

 それだからこそ、テレビ好きな人にも、そして、できれば、「テレビは見ない」という人にこそ、直接、全編を通して、読む事をオススメしたい、と思っています。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


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