「フリーター / フリーランス / ライター」………この言葉の「歴史」と「変化」を振り返る。
コロナ禍で収入が減り、その補償のことも討論されているが、どうやら首相が「フリーター」と「フリーランス」の違いが分かっていないのではないか、ということが、以前、話題になった。
それは、政治家としては、国民一人一人の「生活」や「仕事」への関心も知識もないことが露わになるという意味でも、責められても仕方がない。ただ、「フリーター」と「フリーランス」という言葉の歴史や定着の仕方を考えると、70歳を超える人が(政治家でなかったら)間違えても仕方がないかもしれない、とも思う。
フリーのアルバイター
最初に「フリーのアルバイター」という言葉を聞いた時のことは覚えている。
1980年代前半。私自身が大学生の頃、同級生の演劇部の女性が、何かの拍子に、私に向かってではないが、大きい声で言ったのが聞こえてきた。
「わたし、フリーのアルバイター、だから」。
その頃、その同級生の女性も大学生だから、厳密に言えば違うのだけど、そのころは、「アルバイト」というのが一般的だから、やっぱり「演劇部」だけに、どこか人と違うことを言うのだろうと思っていた。
だけど、そのころの、特に若い人間にとっては「フリー」という響きは、「自由」だったから、恥ずかしくもあこがれみたいな部分があって、ただの「アルバイト」というよりは、印象が上がる、ということだったのかもしれない。
どちらにしても、ちょっと恥ずかしさのようなものと一緒に記憶されている。
「フリーター」という言葉
当時、新聞・雑誌・テレビなどでも頻繁に使われるようになっていた「フリーアルバイター」いう言葉を「フリーター」と略して、FromA創刊5周年記念映画のタイトルに冠したのが、その起源。
それが1987年だというので、こんなにはっきりと「起源」が明らかな言葉だと改めて知ったし、採用業界の意図も、たっぷりと入っている言葉でもあるようだった。
この仕事の形態を重視するのであれば、「フリーアルバイター」の中の、「アルバイト」の方をより多く残したいところなのに、バブル期には、「働き方」よりも、そのイメージの方が優先されていたから、「フリーター」になったのかもしれない。
「フリーター」は、仕事としては、なんだか分からない。だけど、「フリー」だから、「自由」なんですよ。いいでしょ。みたいな意図があったような気もする。それは、そんな「気分」が通るような浮かれていた時代だったし、「フリーター」でも十分に生きていけるような錯覚がある時期でもあった。
ただ、「フリーのアルバイター」がたくさんいる状況は、後になってみて、経済状況が厳しくなった時には、「正社員」を雇うよりも、企業にとっては都合がいいから、「フリーター」という言葉が「製造」された頃から、そんな思惑があったのではないか、と思えるようにもなった。
そこまで考えていたかは定かではないが、「フリーアルバイター」は自然発生的とはいえ、「フリーター」は、採用業界が作った「人工的な用語」だったのは確かだった。(コピーライターが考えたのかもしれない)。
個人的には、「フリーアルバイター」はまだしも、「フリーター」には馴染めていなかった。
その後、経済状況が悪化すると、「フリーター」は、厳しい経済状況を表す言葉にもなっていったと思えるので、誕生当初とは、全くイメージが違ってきた言葉の一つのように思う。
フリーライター / コピーライター / フリーター
(ここからは個人的な事情と記憶が混じってくるので、少しややこしいのですが、なるべく正確にお伝えしたいと思います)。
1980年代末に、私はライターとなり、細々と仕事をしていた。
その頃、仕事を問われて、「ライターです」というと、マスコミ業界以外の人だったら、70%くらいの確率で「コピーライターですか?」と言われて、「いえ、違います。ライターです」という会話をしていた記憶がある。
それくらい「コピーライター」が世の中に知られていた時代だった。
同じような状況で、所属を聞かれて「フリーのライターです」と伝えたときは、「フリーター」と間違えられるようにもなった。その時は、「フリーですけど、ライター、書く仕事をしています」みたいなことを答えていたと思う。
どちらが個人的に嫌だったかと言えば、「コピーライター」に間違えられる方が嫌だった。私は、取材をして書くこと、今で言えば、ノンフィクションライター(この言葉もまだ定着していなかった)のような仕事をしていたので、広告で使われるような言葉を書いている人とは、全く違うと思っていたからだった。
それは、その華やさに見えるところに対して、嫉妬のようなものもあったせいだと思う。
仕事がなければ無職。という意味では「フリーター」の方が近いと思っていた。
フリーランス
私は20世紀の終わりまでは「フリーライター」をしていた。
そのころは、「フリー」という言い方の方が一般的で、「フリーランス」という表現は、もっとベテランだったり、能力がある人が使うものだという意識があったので、個人的には「フリーランス」は使いにくかった。
この語源は、中世ヨーロッパ時代まで遡ります。
中世ヨーロッパの王や貴族は、戦争が起こる度に、傭兵団と契約して戦争に臨む文化がありました。
その兵士たちの中に、傭兵団に所属する事なく、個人として契約して戦場に臨む者たちが現れるようになり、彼らは「フリーランサー(free lancer)」と呼ばれるようになりました。
私にとっては、この語源から来るように「フリーランス」と名乗るには、誰が見てもわかる「専門性の高さ」が必要だから、いわゆる「売れていない」ライターでは、名乗ってはいけないのではないか、と思っていた。
フリーター / フリーランス
そして、21世紀になり、気がついたら、特に2010年代からは、「フリーランス」は一般的になり、だから使うときに「恥ずかしさ」を伴うことは少なくなっているように見えていた。
いろいろな意味で厳しい状況になっているので、「フリー」と名乗っているよりは「フリーランス」という名称の方が、「専門職」という意味合いが強く伝わりそうで、「フリーランス」の方が使われるようになったのではないだろうか。
ここで大事なのは、もしかしたら「ランス」の方で、「フリー」は自由とはいっても、どちらかといえば不安定の要素の方が強く感じられる時代になっているのかもしれない。
そういう意味では「フリーター」の、「フリー」の部分の価値は、この30年で随分と変わってきた、と思う。
現在の「ライター」
今の時代に「ライター」と言っても、「コピーライター」と間違えられなくなったと思う。それは、コピーライターが、以前ほど、輝かしい仕事のように見えなくなった、という背景もあるだろうし、「ライター」の仕事の場所は「紙媒体」は激減したが、インターネットという場所ができたので、今は「ライター」と言ったら、「Webライターですか?」と言われる確率が増えたのだろうか(想像なので、この呼ばれ方が違っていたら、すみません)。
ただ、現在の「ライター」は、読み方は一緒でも、以前の「ライター」とは、かなり違っているかもしれないことを、こうした書籍↓で知るようになった。
ライターとして生き残るためには、といった類いの講座もあちこちで開かれていて、その模様をまとめた記事に目を通すと、ライターに必要なのは「共感力」と書かれ、補足説明として「文章力・企画力・構成力…よりも先に、必要なスキル」(WEBサイト「エレキホーダン」)と添えられている。「『仕事を発注したくなる』ライターの要素は?」には「メディアらしさを考え、提案したり、提案をさらに提案で返してくれる」「クライエントの収益モデル、弱み・強みを理解し、コミュニケーション」などの項目が並ぶ。PR記事をクライアントの指示通りに仕上げるライターからすれば、腹の底に渦巻く邪念を汲み上げるように原稿を書く自分のようなライターこそ外道なのかもしれないが、ライターが誰かとの共感への近道ばかりを探っているならば呆れ果てる。
著者の武田砂鉄氏は、「ライター」と名乗り、これからも「作家」という名称は極力、名乗らないような、個人的には、現代を代表する「ライター」だと思っているのだけど、そう思う私自体も、知らないうちにすでに「外道な読者」なのだろうか。
「ライター」は一般的になったけれど、この武田氏の見立てによれば、現代の「ライター」は、1980年代の「コピーライター」ほどの「経済的規模」はないとしても、「褒める」という「広告的な作業」をしているようなものだから、知らないうちに「ライター」は、「コピーライター」に近い仕事になってしまっていたのだろうか、と思った。
この変化は、まだ素直に飲み込めないから、それ自体が、私自身の「古さ」の可能性もある。高齢の政治家と、そんなに変わらないのかもしれない。
(他にもいろいろなことを書いています↓。よろしければ、読んでいただければ、うれしいです)。
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