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「川中島」で、つい思ってしまったこと。

 かなり昔、長野オリンピックの前だから、もう30年近く前のことになると思うと、そんなに時間が経ったことに、ちょっとゾッとするけれど、比較的、近くの出来事に感じる。

 最近、買ってきたスイーツのシュークリームがあって、その白桃の産地が「川中島」と知って、あっという間にその時のことを思い出した。


川中島

 まだ、ライターをしていたころ、長野オリンピック関連の仕事を発注してもらって、フォトグラファーと二人で、長野県を少し回ったことがあった。

 その途中で、今になったら、どうして寄ったのか覚えていないのだけど、川中島を訪れた。それは、私のような、特に歴史に興味がない人間でも知っている「川中島の合戦」の場所だった。

 武田信玄と、上杉謙信。

 武田信玄は、とても強い軍隊を率いていた、というエピソードは、歴史の授業以外でも何度も聞かされたし、ドラマなどでも見た記憶があるし、その武田軍を相手に、何度も何度も合戦を繰り返したのが上杉謙信で、どうしてそんなに何度も戦ったのかは、よく分からないのだけど、何しろ、その合戦の場所が、川中島だった。

 だから、川中島に来たときに、誰にも促されず、ただ地名だけで、それだけのことを思い出せたのだから、それが「有名」と、いうことだと思う。

観光ガイド

 そこには、合戦を表す銅像のようなものがあって、立派だ、と思っていると、そこに10数人くらいの集団がやってきた。年齢はやや高めだった。

 観光客のようだった。

 その先頭に、中年の女性がいて、とても大きな声でしゃべっている。

 それは、観光ガイドのようだった。それも、どうやらボランティアで、もしかしたら、地元の人で、しかも、ベテランのようで、とてもスムーズで、言葉も流れるように出てきていた。

 なんだかすごかった。

執念の石

 この場所には、他にも遺跡のようなものがあって、その中に、穴が開いているような岩があって、まつられていた。

 それは、「執念の石」というものらしい。

武田・上杉両軍が3万余の死闘を展開した永禄4年(1561)の川中島合戦。上杉軍は車懸かりの戦法をとり、武田軍本陣の信玄めがけ上杉謙信が切り込んできた。謙信の鋭い太刀に、信玄は手にした軍配団扇で受け止めたが、腕に傷を負った。
 
 急を見て信玄のもとに駆けつけた家臣の原大隅守虎胤※(はらおおすみのかみとらたね)は傍らにあった信玄の槍で馬上の謙信を突いた。しかし、槍先ははずれ、拍子で驚いた馬が立ち上がり、一目散に走り去った。主君の危急を救いながらも、謙信を取り逃がした原大隅が、その無念さから傍らの石を槍で突き通したと伝えられるのが、この執念の石である。 

(『長野市「信州・風林火山」特設サイト』より)

 こうした歴史的な「出来事」に関しても、その観光ガイドの女性は、大きな通る声で、スムーズに、しかも、こうした文章よりも、その感情を込めて語っているように思えた。

 観光客のグループの人たちは、うなずいて、そして、近くの人たちと一緒に何かを話したりもしていた。

 それは、感心が形になっているようで、やっぱり、すごいことだと思った。

つい思ってしまったこと

 その観光ガイドの話し方や、その「執念の石」に穴が開いていることに、そうした理由づけがされていることなどに対して、こうして歴史が蓄積されているのだと感じただけど、その一方で、つい思ってしまったことがあった。

 どうして、この槍の使い手の武士は、「本番」で力を出し切らなかったのだろう?

 この話が本当だとして、この、とても頑丈そうな石に槍で穴を開けることなんて、それは、とてもすごい力だし、ある意味では、とんでもない技術でもあるのは間違いない。

 ただ、そんな力があるのならば、最初に、謙信を突いた時に、その全てを出すべきで、だから戦いが終わった後にどれだけ「力」を見せたとしても、それは、あまり意味がないから、この「執念の石」の話は、実は、感心する話ではないのではないか。

本番で力を出し切ることについて

 そんなことを思ってしまったのは、その頃、スポーツの取材をしていたせいもあると思う。

 たとえば、サッカーの練習時間は、できれば、実際の試合の時間と同じく90分程度がいい。それは、3時間も、4時間も、技術を習得する際には、必要になる場合もあるかもしれないけれど、ずっと長時間の練習をしていると、その3時間、耐えられるような力の配分をするような体質になってしまって、実際の試合の90分に全力を出し尽くせなくなってしまうから、といった話を聞くようになったからだった。

 だから、自分の考え方自体も、影響を受け、変わりつつあった頃かもしれない

 その後、いかに「本番」で全力を出すか?の重要性に関しては、それからも随分と聞くことになったし、そのためか、どこまで実現できたかは別としても、個人の心がけだけに頼らず、どうやって、そういう環境を作るべきか。そうした考え方も常識として根付かせることができるようになるのか。といったように考えるようになったと思う。

記憶

 だから、「川中島」という単語を目にしただけでも、その観光ガイドの通る声での解説のことと、同時に、もしかしたら、「川中島」の現場で、言葉にしたら怒られそうなことを、つい思ってしまったことも、同時に思い出す。

 それから随分と年月が経ってしまって、大事な時に、少なくとも現在の全力を出せるかどうかについては、どこまで自分自身が実現できたかどうか、と考えると、その達成度の低さに、ちょっと恥ずかしくはなる。

 それでも、何かをするときは、これが最後かもしれない、と自分に言い聞かせる習慣は、秘かに続けている。



(見出し写真は、この書籍↓から引用しました。20世紀の戦争まで豊富な図解で紹介されています)。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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