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読書感想 『フィールダー』 小谷田奈月 「世界の解像度をあげる試み」

 図書館にはインターネットで予約できるシステムができていて、とても使いやすくなり、さらには、「今度、読もう」と思った書籍などを忘れないように、「お気に入り資料照会」というリストも作ることができて、気がついたら1000件を超えていた。

 様々なメディアや、いろいろな人からの情報で、読みたい本は増えていく。あまり増えていくと、本当にいつか読める日は来るのだろうか、と思ったり、この本を、どこで知ったのかも分からなくなる。

 今回も、そうした書籍だった。



(※ここから先は、内容に触れた文章もあります。未読の方で、何の情報もなく読みたい方はご注意ください。また、引用部分には、ややショッキングな描写もあると思いますので、その点でも気をつけてくだされば、ありがたく思います)。



『フィールダー』 小谷田奈月 

 抑えた無駄のない文章なのだけど、冒頭から静かな怒りのようなものを感じる。それは、第一人称で語っている主人公が抱えている「世界」への気持ちなのかもしれないが、例えば通勤中の出来事に対して、こうした表現をしている。

「人身事故」というのは、実際、婉曲表現だ。「フロントガラスに人がぶつかってきたため急停止しました」「目の前に人が横たわっています」「その人の体は真っ二つに切断されています」「レールの間が血の池です」などと言って従順な出勤者たちを目覚めさせないための。

 日常を暮らしていくには、「世界」の全てを知ったり見たりすることはできないし、それができたとしたら、おそらく処理能力が追いつかないし、その前に本当の意味での現実の厳しさを受け止めることが、多分不可能だと思う。

 そういうことをいったん忘れて、というよりは、最初から気がつかないようにしている方が、社会適応している、ということなのだろう。普段は薄々思いながらも、実は「世界」をはっきりと見ていないのではないか。

 読み進めていくと、そんなことを感じるのは、普段、それほど気にかけていないこと。もしくは、気になっていても、その価値判断などに対して固定観念を持ち、改めて考えようとしていないことが、実は想像よりも多いことも、思い知らされるような気持ちになるからだ。

 そして、何かに対して、解像度が急に上がるような場面は、あらゆることに及んでいく。

出版社

 主人公は総合出版社に勤めている。

 人権問題を中心に扱う雑誌もあれば、スキャンダルを追いかける週刊誌も売れているし、抗議をされがちな漫画雑誌や、差別やヘイトを撒き散らしていると言われてもおかしくない書籍も出版している。

 同じ出版社の取材活動を、同じ会社で、倫理に反していると批判する言説がある。そうした構造に対して、やっぱりおかしいのではないか、という視点が何度も提示される。

 この小説では、架空の出版社を舞台にしていているが、そうした構造と似ている総合出版社は実在しているし、こうした矛盾したあり方に対して、時折、疑問も起こるのだけど、稼がなければ正しいことも言えない、といった現場の論理といったことにかき消され、その度にそれほど盛り上がらないのは、他の現場でも似たことが行われているせいではないか。本当に他人事と思える人は、実は少ないと思えてくる。

 読み進めていくと、普段は目を背けていることまで、考えることを要求されているような気持ちにもなる。

ネコとの生活

 現在、ネコという存在はとても「強い」。

 飼われている数として、犬を抜いたというような統計も出ているはずだし、ネコ動画は、圧倒的な再生回数を稼いでいるはずだ。

 だけど、ポジティブなことばかりで語られがちな、そのネコとの関係に関しても、なんというか冷徹な視点がふいに突きつけられる気がする場面さえある。

猫とわたしは、たぶん永遠に理解し合えない。(中略)人間と動物の関係というのは、大きなヒントになると思うんです。差別はなくならないなんて、わたしには信じられません。それどころか、多くの人たちがすでにそれを克服しているとさえ感じます。種族の違い、言葉の違い、価値観の違い、そのほかあらゆる違いの壁を、もうとっくに乗り越えている。驚くほど多くの人たちが、猫とともに暮らすことで」

 ネコとの共生で、差別はなくなるかもしれない、という広く受け入れられそうな美しい言葉を語る編集者がいる。それに対して、「ある事件」をきっかけとして、自らの存在を賭けて、見えないふりをしていた、様々な問題点を突きつける存在となった児童福祉の専門家が反論できにくい言葉を返している。

「驚くほど多くの人たちが猫と共存できているのは猫がかわいいからだよね。理解し合えない上にかわいくなかったら、さすがに、一緒には暮らさないよね。かわいいか、かわいくないか。外見・匂い・触り心地が、そばにいて許せる範囲か。そういう差別的で一方的な判断から始まった関係だったことは棚に上げて、家族だの、理想の共同体だの、あなたなかなかの詭弁の使い手だわね。ごめんなさい、そんな顔しないで。すごい技術なのは確かなんだから。出発点と正反対の結論に道筋をつけるなんて、誰にでもできることじゃない」

 その編集者はどんな顔をしているのだろう。そして、読者にもネコを愛する人たちは少なくないはずだから、どんな気持ちになるのだろう、と思う。

「世界」には様々な出来事と、関係性があるが、ネコとの関係まで、ここまで明確に、考えるべきことを突きつけるように表現してくるのは、やっぱりすごいと思う。

 あらゆることの解像度を上げようとする著者は、容赦がない。

小児性愛

 おそらく、21世紀の現代で「絶対悪」のように扱われているのが「小児性愛」という印象がある。だから、ここで、この作品を通してはいえ、この「小児性愛」について触れるのさえ、ちょっとした怖さがある。

「説明させて。あなた誤解してる」
「解釈の問題じゃないよね」宮田は開いた手で壁を作った。「小児性愛は病気で、犯罪」

 ある場面に対して、このような断定がある。そうした今の社会の見方に対して、「小児性愛」かどうかを分けるものは何なのか。そんな注意深く、繊細な論点について、読む側が考えてしまうように話は展開していく。

「プライベートゾーンって言葉も知らないの?

「プライベートゾーンというのは、子どもを性暴力の被害者や加害者にさせないために守らせようというものです。親子間のスキンシップや病院での診察まで拒ませるものではありません」 


「十歳の女の子に、黒岩は一生消えないトラウマを与えたかもしれないんだ」
「はい、あるいは、一生支えになる癒しか」

 実は、こうした「病気で犯罪」といった世間の見方は、少し前のセクシャルマイノリティに対する視線と似ていないだろうか。という思いがよぎれば、もちろん、そのこととイコールではないにしても、今後、必要なのは、「小児性愛」に対する理解によって、「小児性愛」=「犯罪」を少しでも減らせる可能性はないか、と考えることではないか、といったことまで、思いが及ぶ瞬間がある。

「未成熟」であることで「アイドル」として人気を集めるような、日本という国であれば、より、そのことを考える必然もあるのではないだろうか。そんなことまで考えさせられるほど、この小説の解像度は高い。

単純さと複雑さ

 その他にも、「世界」の様々なことに関して、急激に焦点があう場面がある。

 主人公がリアルな世界よりも大切にしているであろうスマホゲームの世界での出来事や、それに対するゲーム障害などと表現する社会の視線

 児童虐待の支援に対しての、愛情があるがゆえに見失う可能性のあること。

「かわいい」という力の持つ(あまり語られない)恐ろしさ。

「一年と30万字要る。この件を記事にするのに」
「今は冗談に付き合う気になれない」
「一年と三十万字だよ。百瀬さん。それより削れば人が死ぬ。心当たりあるんじゃない。一年かけるべきところを一週間で済ませて、三十万字かけるべきところを3千字で済ませて、でも真実は百瀬さんが切り捨てた部分にこそあると知っていた人が------」
「一本の記事に一年と三十万字費やすのは、週刊誌の仕事じゃない」
「じゃすっこんでてくれよ!」乾いた喉から、かすれて声量のない吠え声が出る。「紙幅なんだ。全ては紙幅なんだ。言葉が全然足りないんだよ。複雑なことを複雑なまま伝えないから自殺や差別がなくならない。人間は、本当は、単純さに耐えられる生き物じゃないんだ」

 ふと、この書籍自体が「一年と三〇万字」かもしれないと思うが、それよりも、実は、「世界のこと」は、どんな事であっても、考えるには、語るには、検討するには、それだけの複雑さと時間が必要なのではないか、と本当に思えてくる。

おすすめしたい人

 この作品は、今の生活や、世界や、生き方に対して、少しでも違和感があるすべての方におすすめできると思います。

 そういった人であれば、大げさな言い方に感じるかもしれませんが、この小説の解像度に反応して、自分の感覚自体を、取り戻すきっかけになる可能性もあります。

 少し時間があって、比較的元気な時に読むことも、同時におすすめします。ただのエンターテイメントではなく、もう少し気持ちや意識が揺さぶられると思うからです。


(こちら↑は電子書籍版です)。



(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。






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