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恋人が”運命の人”ではない件について

私は、自己愛に満ちた人間だ。

目が大きくなくても、細い指と形の良い爪がある。才能はないけれど、自己満足できる程度に物を楽しめる。他人と自分を比べることもない。自分に合う化粧や服装を理解しているから”輝いている私”も演出し、自他ともに”私は幸福に満ちた人間なのだ”と思わせることができる。

これほど私を理解し、愛している人間は私の他にはいまい。
けれど、私があかの他人だったら私とは絶対に付き合わない。
脆く爆弾を抱えた人間だからだ。

幸福ではない家庭に育ち、問題を抱え、自暴自棄。
ちぐはぐで不安定。空虚が偽りを被って歩いている。それが私だ。

そんな私に恋し、さらにはそんな私に愛される。
神様仏様でさえ私を救えていないのに。なんてすごい奴。
と思う時もありますが、彼は”運命の人”からこれほどまでにかけ離れた人はいない、というほど私の”運命の人”ではない。

生きる希望や意味を見出せないと私が辛く苦しんで泣いていると「精神科の専門医に診てもらってください。良い医者はいると思うので諦めずに探してください。僕も自分のことで手一杯なんで付き合えません」と突き放す。
正論です。違う、欲しいのは正論じゃない、優しさの欠片よ。愛どころか血も涙もない。お前が落ち込んでる時とことん慰めてやってるのに、この仕打ちかい。鬼!

一緒に同棲していたけれど追い出されたことだってある。真夜中に恋人が失踪してもベッドでぬくぬく眠ってるような男だし、私が別れようと言えば、泣くけど肯くだろう(何度か経験あり)。

精神疾患を抱えている私が愛するべき相手ではない。
一緒にいて幸せになれるかと想像すれば、あまりにも道が険しくて頭痛がする。なんかもっとこう、普通に幸せになれる相手っていると思うのよ。無難に恋愛して無難に家族になれる人。

私に相応しいのは、もっと器が大きく忍耐力のある精神的に強い大人だ。
彼に相応しいのも、もっと器が大きく忍耐力のある精神的に強い大人だ。

そう、私たちは似た者同士であるがゆえに反発しあう存在だ。
それが30代にして交際5年にある婚約者(仮)。

周囲が勧めるように、彼とお別れして”運命の人”を探したほうが私はずっと早く簡単に幸せになれるのではないか?という悩みに定期的にぶつかる。

互いにふさわしくない存在だと気づいてもなお、未来をともに歩むことはできるのか?

恋愛をすれば、必ずぶつかる壁だ。


1.”運命の人”=私を救い出す者

恋愛の動機は「好き」に基づく。

もちろん生物学的な理由も大きいだろう。生き物である以上、より良い遺伝子を残すべく、自分の遺伝子との理想に叶う遺伝子の持ち主に惹かれるのは自然だ。

確かに、古今東西、王道の恋愛物語に描かれる”白馬の王子様”は美男だ。
どんな容姿であれ、共通点は他にもある。

”運命の人”は、永遠のロマンスを約束し、さらに永遠の安全を与えてくれる者だ。眠っていても試練を乗り越えてまで姫を自分のものにしようとやってくる男。死体であっても病原菌を恐れず口づけできる男。たった一度のダンスで血眼になり、金と権力と人員を使って国中からひとりの女を探し出す男。架空の物を贈れという無茶振りにすら、諦めず命落とさず勝ち上がってくる男……。

王道の恋愛物語で描かれる”運命の人”は恋愛勝者だ。
何にも挫けず、「私」を手に入れる勇者。
女の誇りを屈するに値する男こそ、姫を手にし祝福を受けられる。

白馬の王子様は、姫を救う勇者だ。
人生を変え、薔薇色の未来を確約する存在。

デミセクの私は、おそらく人と「好き」が少しばかり異なる。
それでも交際・恋愛経験はある。複数の国籍の人と付き合い、富豪の子もいればシングルマザーの子もいた。頭の良い人も頭の悪い人もいた。マザコンもいたしマフィアの弟もいた。無理心中に巻き込まれそうになった経験もある。

「時間をかけても何かを得られそうだ」という不純な動機から交際し、好きにならなかった人もいたが「好き」になる人もいた。今でもその人の写真を見れば、胸がじわりと温かくなる。好きだったという甘い思いとほろ苦さ。

その結果に気づくわけである。
私の”運命の人”は、私を守ってくれる強さを持つ人だ。
あるいは、私を求め甘く依存する人

ステータス値はそれほど関係ない。私というアイデンティティに触れるのは、顔の造形でも経済力でもない。私の弱さを包んでくれるアイデンティティを持つ人なのだ。

ロマンティックである反面、これは「兄ほど母に愛されない」という呪いだ。

私は、母にとって兄を劣る存在にし、夫の愛情を奪う憎むべき敵でもあった。授業参観にも来ないような母でも、兄がいじめられれば学校に乗り込んで抗議した。私はいじめられても「自分で戦いなさい」と言われ、男の子と殴り合いをし、いじめっ子グループを怒鳴りつけ、やめるまで話をした。

痴漢にあえば「バカみたいな胸のせい」とAサイズのブラを渡された。ストーカーに連れ回されても、頭に浮かぶのは自分でなんとかしようとする考えだけ。母は私が弱いことを許さなかった。叩かれて泣き声をあげれば黙るように叩かれ、泣くなと言われれば涙も出なくなった。可愛くないからなおさら激しく叩かれた。

女は強くないと痛い目をみる。
だから強くなるように教えているのよ。

母の理想通り、私は口答えせず、自分で自分の面倒をみる強い女の子に育った。勉強も運動も兄に劣ったことはなかったけれど、親からの愛情という面では一度も勝ったことなどない。落第した兄のために合格した志望校すら譲った。兄とは別々になった大学の入学式・卒業式・修了式、いずれも親は来なかったけれど、兄の卒業式には両親揃って出席し、1週間の3人旅行さえ行った。それでも当時の私は文句も泣き言ひとつこぼさなかった。

どうでもいい問題だったからだ。
母に兄のように愛されたいという問題に比べれば。
母に守ってほしかった。
砂糖のように甘やかされたかった。

なぜ兄ほど愛されないのかわからなかった。頑張れば頑張るほど、他人には好かれても母の愛は遠ざかる。

親に愛を望む私は”弱い”。
親から得られなかったものを、私は他人に求めている。
それを得られるのなら私の心と体を捧げよう。

私の痛みを理解し、包み込んで癒し、守れる男。
まあ、いるわけがない。

一番好きになった人は、私につきまとうストーカーを穏便ではない方法で遠ざけてくれた人だった。少女漫画のヒーローみたいだ。頭もよく皮肉が上手い。いつもどこか冷めていて人と距離を置いているのに、目も手も温かくてハスキーな低い声をしていた。私の名前をよく呼び、するりと手を握る。私の痛みに寄り添い、いつも別れ際は寂しそうにし、何度か無理心中に巻き込まれそうにさえなった。

私を守る力を持ち、私に依存し、砂糖のように甘い。

そういう少し危うい人と出会ってさえ、私を守り切れる確約がとれないとわかれば、私にかかった恋の魔法は呆気なく切れてしまう。

”運命の人”になるには、恋だけでは足りないのだ。
私を幸せにできなければ、その人は”運命の人”なんかじゃない。

人生を託す分、乙女のジャッジはたいへん厳しいのだ。


2.”宿命の男”

大人になり、私は恋愛に興味がなくなった。

父の不貞と兄による性暴力で家庭崩壊した私の20代は暗黒の時代だ。文字通り色彩がわからなくなり、感情の起伏がなく、笑顔を貼り付けて社会生活を送る毎日。生きているのか死んでいるのか、自分でさえわからない歳月。

そんなある日。
知人から日本人のように日本語を話す外国人男性を紹介された。第一印象は最悪で遠ざけていたところ、声をかけられた2回目の印象はさらにひどいもので「コイツとは絶対に友人になれないゾ★」と決心するほどだった。

それほどの嫌悪感に一切気づかない彼の鈍感さは筋金入りで、私を何十回も自宅の鍋パに誘う。そして何十回断られようがめげない。知人に面倒をみるように頼まれていた手前、彼から相談に乗ってほしいと言われて一緒にランチを食べに行くと、印象は変わり、やがてランチに行く回数は増えて面白い人だと興味を持つようになった。

が、近しい存在になるかは別だ。
鍋パ攻防戦は1年にも渡り、やがて”社会見学”の誘いも加わるようになった。先に音をあげたのは私だ。2度目の春が過ぎ去り、彼のしつこさは本物だと思い知らされた。

相変わらず下ネタ含めておかしな話ばかりしてくるのだから、私を女としては見ていないだろう。1度行けばもう誘われなくなるだろう…と、たった1度だけ、一緒に出かけることにしたのだ。

どうも私は彼と同じほど鈍い人間だったらしい。
一緒に出かけた先で過去完了の告白を受けた。過去完了は昔から不得意だ。終わったものなんだよね、うん。という都合のいい解釈をして帰ったその日から、彼から毎日、ほぼ毎時間メッセージが来るようになり、1週間もすればGPS機能のあるアプリのメールを送られてきた。

「我々は交際しているのだろうか」と確認。
「え、その認識でいたけど?」という返事。

会って確認しようと翌日にランチ。すると、彼は告白してきた側にもかかわらず条件を提示してきたのだ。なんでだよ、OKしてもいないぞこっちは。何様なんだお前は。

「まず第一に、僕は結婚しない。古臭い制度だし、法で縛るのは間違っている。ドイツの若い世代では僕のような考え方は一般的で(以下略)。
第二に、僕は経済的に自立していない女が嫌い。以前にそういう女と付き合ってトラウマになった。専業主婦?僕には奴隷としか思えな(以下略)。
そして第三。僕は子どもを持ちたくない。そもそも嫌いだし、自由を失いたくないし(以下略)」

私としては、そもそも交際すらスタートした覚えもない。それなのに、なぜこいつはこうも偉そうに私に三箇条をつきつけているのだ。告白したのはお前だぞ、私はお前に「好き」の「す」の字すら言ってない。過去完了の告白に「ありがとう」と礼を述べたまでだ。

すると彼は携帯を見て「悪いけど行かなくちゃいけないから。君はそのままランチを楽しんで。じゃ」と自分の食事代を置いて去っていった。

こんなことってある?
私は一度もありませんでしたよ。

なんなんだ、お前は??????

過去完了の告白からすると、彼が1年を越えて誘い続けてきたのには下心があったわけだ。それも相当の。毎日毎時間のメッセージも、なんというか念願叶った喜びの表れだろう。
が、これである。予測不可能な言動もさることながら、告白しておいて将来の期待はさせないと高らかに宣言する、不誠実に感じられる誠実さ

帰宅すると、母の容赦のないいつも通りのプレッシャーが始まる。
お前は自立できない。家事もまともにできないなら嫁にもらってもらえない。お前が恋愛もしないせいで周囲からは奇怪な目で見られていて親は恥ずかしい。自信があるんだろうが歳をとれば結婚も妊娠もできなくなる……

「先週、告白された」
「え?誰、どんな人」
「外国人。ドイツ出身」
「白人?金髪?」
「白人。暗い金髪」
「なんでもいいから付き合いなさいよ!」
「女にだらしなさそうな人で、結婚も専業主婦も子どもも嫌いらしい」
「なんでもいいのよ!とにかく付き合いなさい。結婚なんて外人としなくても、大手企業に務める真面目な日本人でいいんだから。踏み台にして恋愛しなさい」

親にとって私の恋愛は、世間体のためでもある。白人崇拝をしながら外国人を差別する矛盾。さすがだ。父の不貞、兄の妹への性暴力にも目を瞑っただけある。私は、ただ大企業に勤務する男性と結婚して子どもを産めば幸せになると信じてやまない、純粋な親。

ふと恐ろしいことを思い立った。

両親に復讐できるんじゃないか?と。

そうだ。母にせっつかれて、好きでもない男と付き合う。大企業に勤めていた経験はあっても、今では自由気ままな男。母がもっとも嫌がりそうなタイプなのに、母にとっては見栄えのする白人。ジレンマの塊だ。挙げ句の果てに、結婚と子どもが嫌だときた。母の思い描く幸福からこれほど遠い男はいるだろうか?

幸いにして、私はこの人を好きになる要素が非常に薄い。
男に夢など見ない。結婚?子ども?その不幸を背負って生きている私が、親が望ように結婚して子どもを産むとでも?

ほの暗い喜びのようなものを感じた。

そう、彼は私にとって”宿命の男”なのだ。
私は知っている。おかしなことに、私は母に愛を求めているけれど、両親は私を愛していることも知っている。ただ私が求めるよりもずっと未熟な形をしているだけ。だから、私が不幸になることこそ、両親への最大の復讐になる……


私は、それほど不幸だった。
世界は文字通りモノクロにしか見えなかった。一時期は食事も喉を通らず拒食症のようなものにさえなっていた。ボロボロで起き上がることもできず、救いの言葉を求めれば頬を叩かれ、責められた。

私に、二度と幸福は訪れないと思っていた。
だって、何も感じられないのだから。

私は彼を復讐の道具にしようとした。
そのために価値観の真逆な彼と交際し、彼の求めるままに体も預けた。彼はあちこちに私を連れて出かけた。私の生きている世界はこんなに広いのだと初めて気がついた。彼は拙い字でラブレターを贈ってくれた。私が花が好きだと知れば花も贈ってくれた。私に対する彼の思いを受け取ると胸が高鳴った。彼が与えてくれるもの、見せてくれるものは色鮮やかで美しかった。いつの間にか、私のモノクロの世界は色彩に溢れる輝く世界になっていた。

飲み会に私に好意を寄せる男性がいると知れば、彼はわざわざ迎えにきた。私が仕事中でも押しかけるほど強引だった。彼は純粋な人で、自分が他人に利用されていることにも気づかない人だった。そのうちに私は独占欲を知った。他の女性とデートしないでほしいと初めて喧嘩をした。

喧嘩をする度に私たちは互いを傷つけ、苦しんだけれど、やがて歩み寄るようになった。私たちは真逆の価値観から出発し、やがて似た者同士になっていた。互いの長所も短所も知り尽くし、触れ合うことで心地よさや信頼、安心感も感じられるようになった。ついに私は、憎むべき男であり、復讐の道具だったはずの彼に恋をしたのだ。


3.”運命の人”は私自身だ

さて。
続く人生に「ハッピーエンド」なんてない。
死んで初めて訪れるのがエンディングだ。

冒頭に戻ろう。

”宿命の男”と出会い、恋に落ち、私は孤独を知った。
己の人生さえ親の復讐のために不幸にできる女が、幸福を知ったがために孤独を覚えたのだ。彼と出会わない方がかえって気楽だったとさえ思うほど、私は彼を愛している。

三箇条を抱えた男を愛し続けて未来を歩むことの難しさよ…。

孤独に苛む私に”宿命の男”は、いつだって正論をつきつける。
「僕も自分のことで手一杯なんで(あなた個人の弱さと問題には)付き合えません」と。

ガクリと私は頭を垂れる。
彼は私に甘い言葉を吐かない。家では大きな子どものように甘えるくせに外では滅多に手を繋がない。神経質で潔癖なのでバカップルには期間限定で時間制限がある。何よりも彼は私よりも豆腐メンタルで、自然世界と仲良くない体で、大抵は頭痛がするだとか目が痛い、やれ鬱っぽいだの、やれイライラするだの、とにかく”生きづらさ”を抱えた肉体をしている。

不幸な家庭環境に育ち、心理的な”生きづらさ”を抱える私。
幸福な家庭環境に育ち、肉体的な”生きづらさ”を抱える彼。

弱さと弱さを掛け合わせたところで、弱さしか残らない。

そう。
彼と共に人生を歩むことは、私に強靭な精神を求めるのだ。
何せ、彼に甘えることはできないのだから。

孤独だと泣いてもどこ吹く風。
いや、彼なりに慰めようとはし、失敗したのでヘソを曲げ、体調を崩す。
泣いていた私が明るい声で彼を励ます始末。
泣きべそを垂れてる場合ではない。

彼はやはり私にとって”宿命の男”なのだ。
私を成長させるために目の前に現れた厄介な存在。

親への復讐は上々だ。ずいぶん悩まされているようだ。
私だって悩まされている。

彼を愛するには、私は”自分”と向き合わざるを得ない。
弱いままでは、他人を愛することはできない。
彼は容赦なく弱さを拒絶し、抗うからだ。


彼は私の思い通りにならない。
なぜなら、彼は”運命の人”は自分自身だということをつきつける男だからだ。

私の運命を握っているのは私自身だ。
どんな理由にせよ、決断し、後ろにも前にも進むのは私。
舵をとり、進路を決めて船を漕ぐのは私自身だ。

彼は、私の船の隣を流れる船で悠々とのんびりしている。
船に穴があいていると教えてやっても、肩を竦めるだけ。
沈没しかかって慌てて修理する。
その重りをどかしてはどうか?と声をかければ、ふくれてそっぽを向く。

きっと彼も同じように私の問題だらけの船をもどかしく思っているのだろう。


互いにきっと、もっと容易に気楽に幸せになれる人はいるのだろう。
それでも、私たちは私たちの「相性」なるものをつくってきた。私の一部は彼となり、不思議と離れていても同じことを考えるほどに繋がっている。

だから、彼は”運命の人”そのものだ。
己の人生を己で切り開き、何者の支配も許さない。
私を自身の運命の主にさせる、容赦のない人。

生きる希望も意味もないと私は泣くけれど、彼の少し子どもじみた声を聞き、どこか甘ったれた様子を見てこっそり笑う。彼の弱さに悩まされながら、彼の弱さに救われている。

安堵するのだ。
まだ成長したいと思える私がいることに。
私を”明日”へ繋げてくれている彼に感謝したい。

恋人は”運命の人”ではないと悩まされている。
けれど、私に明日をもたらす彼は、いつかきっと私の”運命の人”になる。


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