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規制・罰則よりも予防、知る機会を作ることがセーフティネットを形成する

事件が起きた → じゃあ規制しよう

事故が増えた → じゃあ罰則を強化しよう

そんな対策ばかりが目立つが根本的には解決されない。

罰則を科したところで事故は起きている。被害者が生まれている。

加害者を罰したところで被害者や遺族たちの気持ちは一時的におさまるかもしれないが、その傷が消えることはない。

それよりも、加害者がそういう状況や心理に至らないよう、予防が必要。

それは単に心に余裕を持って日々を過ごせるようなればいいだけなのかもしれない。時間や仕事に追われることなく、穏やかな生活サイクルを形成していくことが自分にとっても、他者にとっても良い影響が生まれる。

匿名で正義のバッシングしているような人達も、何かの拍子にそっち側に行ってしまうかもしれない。そういうことのないよう、自前のセーフティネットを日々備えておいた方がいい。公的な制度や団体ではなく、「生涯の趣味を持とう」というようなフレーズを目にしたことがあるが、仕事と家庭以外の居場所を作っておくだけでも違うと思う。

仕事(学校)と家庭以外に多様な繋がりがあると、いろんな人がいることを知れる。その感覚が拡張されると、社会や世界に対しても想像できるようになる(大げさな言い方だが)。

閉じたコミュニティしか持っていないと、外部の世界は特定の機能をもった装置のような扱いになるように感じる。

例えば「運送業者は時間通りに荷物を持ってきて当然だ」とすると、それが役目だし、自分達はそこにお金を払っているからだ。単なる「指定通りに荷物を運ぶシステム」と捉えてしまうと、相手に対して人間的な感情がわかない。わいてくるとしたら、自分が不利益を被った時の怒りだけだ。

多少の不手際があろうと、相手だって頑張っている、苦労している、ということに想像が至ると対応も変わってくる。「遅いじゃないか!」ではなく「大変ですね」とひと声かけるだけで、相手の気持ちは少し軽くなるかもしれない。小さなことだが、そういうことの積み重ねがあれば荷物を蹴るようなこともないと思う。

運送業界の限界が達し、そのシステムに不具合が出始めたころ、クレームは増えたが、配送員の苦労や運送業界の状況が度々ニュースに取り上げられるようになると、次第に「遅れることもあるよね」という声が聞こえるようなった。(当然そこに人間がいることは明らかなのだが)これは「相手がいる」「相手も人間だ」とことが、生の声を聞いて実感できたからだと思う。

もし、業界に友人がいて、普段から事情を知っていれば、今の状況になる前から理解はあっただろう。繋がりをいたるところに持つのは難しいが、複数持つことで他の世界に対してもある程度想像して考えることはできるようになるのではないか。要はそういうことだ。

知る・つながることによってストレスを溜めることは減るし、それによって相手もストレスを受けることが減る。その知る機会を得るためには閉じたコミュニティ以外で、いろんな人や考えに触れることができる場所が、結果として、自分も相手も事件に至るのを未然に防ぐセーフティネットのような役割になる。直接そういうことを目的としたコミュニティでなくても、良い影響はあると思う。

加害者がどうだとか、被害者がどうだとか、いろんな感情は沸き立つが、当事者ではない他人の立場である自分から、少しでもプラスにできることは……と思った。

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