「つもり」は伝わるのか?

よく、「〜したつもり」というワードを聞くことがある。

当人は、やっている「つもり」だろうけれど、果たしてそれは相手に伝わっているのだろうか?

わたしの好きなアーティストが、ここ最近「ツアーに来れなかった人の気持ちも受け止めているつもり」
「残念ながら参加を断念した人のことも分かっているつもり」

というようなことをSNS上で発言することが増えた。
(SNSやってないメンバーを除いて。そのメンバーは配信ライブで何かしら発言していたけれど)

最近、わたしは当該アーティストのSNSを見る頻度を減らしている。
理由は色々とあるけれど、やはり参加を控えざるをならない身としては付け回しているヲタク(害悪信者)のマウントを見たくないというのがある。
わたしの我儘でしかないことは承知だが、それでも嫌なものは嫌だ。

最も不快なのは、そういう連中は
「参加できないお前たち(微課金地方在住ヲタクや職業上参加をやむを得ず断念しているヲタク)の気持ちを背負って参加してやってるんだ!(ドヤァ)」
が強いのだ。
そして、567以前と同様にどこまでも付け回す。

そういう連中が、ヲタク代表の如く偉そうにマウントしている姿に疲れと呆れた気持ちが出た。
アーティストは好きだけど、ヲタクのせいで離れるというヲタクもいるがその気持ちが非常に分かるなと567になって痛感している。

アーティスト本人も、567で思うようにツアーに回れない中でも色々と考慮していることも重々承知している。
けれど、結局は信者しか喜ばすことができていないのではないか?
参加できない者は、当然蚊帳の外だし、同じヲタクな筈なのに分断され続けることにYESと言い続けるしかないのだ…567がおさまらない限り。

よく参加できていないのに、「つもり」発言をされて参加を断念したヲタク達は全肯定なコメントを残せるなとある意味感心する。

わたしは、それができない。
「つもり」は所詮、「つもり」でしかない。
相手に伝わることはないと思う。
少なくとも、567初期段階で壁を作られた身からすると…正直何を今更という感覚に陥っている。
好きなことは変わらないけれど、中途半端にアピールされればされる程、わたしのこころに傷が増えていく。

何故そこまでこちらが気を遣ってYESマンでいないといけないのだろうか。
分断され続けることにも慣れてきたけれど、「つもり」アピールを中途半端にするならば、逆に参加できないヲタクのことを完全無視したらいいのにとさえ思う。

「つもり」は、害悪信者のYESマンにしか伝わらないものなんだよね。
(と言いつつ、やっぱり会いたいし次のツアーは行く予定にしているけれども←)


自分がしている、言った「つもり」でも相手に伝わることはない。
だからこそ、やはり日頃から伝える努力は必要。
良い反面教師の例が、また1つ増えた。



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