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喉奥に刺さっている

私の場合、大抵の心の揺らぎや不調は、何もないのに起こる。取り立てて不幸な事件も驚くべきようなニュースも起こっていない。けれど私の心は翳る。「何かあったわけじゃないんだけど元気が足りていない」というのはかなりよくある状態で、この言い回しにもだいぶ馴染みがある。この「何かあったわけじゃないんだけど」というのは、噛み砕けば「あなたや世間から見ればきっとまったくもって大したことではなくて、わざわざ言うのも憚られるくらい些細なことだから、何も起こっていないも同然なんだけど、こんなちっちゃなことで躓いている私の方がおかしいんだけど」を省略したものだと自分では思っている。つまり「多くの人にとってみればなにも起こっていないも同然なんだけど、私にとってはきっかけが確かにあって、それによって元気が少し削られている」という意味で、何か特別なことが起こったわけじゃないんだけど、本当に何もなかったわけじゃない、という、意味だ。自分でもきちんと目を向けないと分からないくらいに僅かな段差、靴の中の小石、ささくれ。私の方が異常だから、私が傷つきやすすぎるだけだから、夕食を食べてシャワーを浴びて寝てしまえば忘れる、と思いもするのだけど、そう簡単にはいかない。翳りは長引く。深い穴の中にいる、というよりは、ただずっと薄く曇っているような、普通には元気だけど、それ以上は到底元気になれない。少し呼吸もしにくくなる。酷いと食事を抜いてしまったり、眠れなくて朝まで暗い部屋で見たくもないスマホの画面を眺めたり、過去の記憶を持ち出してきて泣きじゃくったりしてしまう。

こういう日が続くとどんどん不健康になりそうで怖くなったから、一時期、自分なりに訓練していた。一日の終わり、なんとなく疲れたな、なんとなく悲しいな、なんとなく傷ついた気がするな、と思ったら、赤ん坊を抱くようにぬいぐるみを胸に抱えて、精一杯あやすのだ。ちっちゃい子に話しかけるように、知らず知らずのうちに封じ込めてしまった5歳の自分に話しかけ、共感し、肯定してあげる。私が私の一番の味方でいてあげないと。一番の味方になってくれる人なんていないのだから。馬鹿みたいに思われるかもしれないけど、疲れたよね、今日も一日真面目に仕事してえらかったね、と抱いたぬいぐるみを撫でながら声を掛けていると、自分のその日の傷の原因が少しずつ見えてくる。頑張ったのに係長の言い方が強くてこわかったよね、もっと優しく言ってほしかったよね、でも泣いたり怒ったりしないでニコニコしてえらかったね、いつもがんばっててえらいね、という具合で。これがびっくりするほど癒される。ほっとする。これが心の中で自然とできるようになれば、普段から自分を認め愛する力も身につくのだと思うけど、私は訓練中だから、こうして「ごっこ」みたいにわかりやすくやらないと、自分を認めるというのはなかなか難しい。子供の頃、本当に傷ついた時に、そうやって気持ちを認めてもらった経験が少なすぎる。包まれた記憶が少なすぎる。だから、今、自分でやってあげるしかないのだ。私が私の母になる。

最近はわりと元気だったので忘れていたけど、note上である方とやりとりをして、思い出した。そんでもって、久しぶりに、今日、喉の奥の辺りがちょっとチクチクしている。自分では何が原因かまだわかっていないけど、ちょっとつつかれたらすぐにでも泣けそうだ。きっとなにかが思った通りにいかなかった。なにかが悲しかった。はずだ。今日帰ったら、気が済むまでぬいぐるみを、自分を、あやすことにする。

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