最近の記事

Z世代の生き方や幸せについて

27歳Z世代にギリギリに当てはまる私だがZ世代の生き方や幸せについて考えてみたい。 私が生まれた時代にはバブルという高度経済成長期というものは終わっており、すでに日本経済は停滞しているという状態であった。私の家庭もリーマンショックなどの世界恐慌にも見舞われ経済的にしんどい時期を経験した。社会に対して私は恐怖感を持っていたし、会社に使い込まれて精神的に追い詰められてしまわないかどうかも働く前から考えていた。 なので、経済的に困窮しないある程度蓄えのある状態がキープできてたま

    • 目標を失った私が次に向かう目標。

      目標を失ったというと語弊があるかもしれないが、厳密には目標を達成したということなのである。 長年目標としてきたものを達成したというのは喜びのように感じるかもしれないが、目標達成による高揚感か達成感は束の間で、その次には「目標の喪失」という問題に直面する。 ここでは具体的な内容を避けさせてもらうが、子供の頃から抱えていたコンプレックスをある程度克服したと自分が思えた時に私は 目標を達成したと同時に喪失したのであろう。 目標を達成できたのだから喜ぶべきなのだろう。しかしこれ

      • ドライブ・マイ・カーを観て

        注目されていた映画は時間をおいて観る性分で自分のタイミングでしか観る気が起きない。 やっとドライブ・マイ・カーを観る気分になった。そのきっかけはオッドタクシーを見て車繋がりで何となく見たくなった。 大した感想は私には書くことができない。しかしこの作品は私にとっていい作品であったと思う。 自分が弱さゆえに愛する人への怒りを押し留めて相手との関係を保とうとしたり、自分も向き合おうとしなかったりそういう経験はないだろうか。 心では悲しかったり、怒っていたりでも感情的になるこ

        • オッドタクシーを観て スクールカーストという呪い

          久々に手の込んだ面白いアニメを観た。 登場人物が全て動物かつ街の風景がとても丁寧に描かれていた。 何より表層に出てくる行動の心理的背景を普通のアニメの二段階は深く踏み込んでいたように感じる。 今どきの若者の悩みや、共依存関係、根源的な問いを可愛い動物たちを介することにより重くなりすぎない世界観をうまく形成していた。 一番納得したのは、スクールカーストによる劣等感を植え付けられた人間の思考回路がどうなるのか?ということだ。 よくある題材なのだろうが、自分の周りにも学生時代

        Z世代の生き方や幸せについて

          仕事以外のアイデンティティとは?

          youtubeで成田悠輔のインタビューの切り抜きを見た。 アメリカに住み現地の価値観を知っている人間から日本の人々の価値観を見ると、日本ではほとんどの人が仕事をアイデンティティとしており、仕事がなくなると自分自身の存在価値を感じなくなってしまうという。 確かに、定年退職した高齢者が自宅でやることがなく途方に暮れているということも聞いたことがあるし、失業すると自分の存在価値が揺らぐという経験は少なからず私にもある。 そこで成田さんは仕事以外のアイデンティティを持つことが重

          仕事以外のアイデンティティとは?

          私がnoteを書く理由

          私がnoteを書く理由は決まっている。 私が私を肯定するためにそしてこの世の中と折り合いをつけて生きるために書いている。 自分の正当性を主張したくなる文章を書きたくなるときもあるが、なるべくそれはしないようにしている。 自分の正当性を主張する文章は、攻撃性が出やすく人を傷つけるリスクがあると思うからだ。 人の為に書いているかと言われると自分のために書いている。それがたまたま人の励みになるようなものであれば幸いだ。 私は頭が硬いので、柔軟な考えができなくなる。それを自覚

          私がnoteを書く理由

          人はなぜ病気になるまで働くのか?

          私は激務に追われ突然仕事に来れなくなってしまった人や復帰したがまた休んでしまう人、ドクターストップが出るまで働き続けてしまう人達を知っている。 その人たちは全員真面目な人たちであった。全員に自分としての軸があったように思うが、断ることが苦手であったように感じる。 なぜ心を病んでまで働かなければいけないのか?をこれから自分なりに考えてみる。 心を病むというのは、その前に体調に変化が現れるものである。食欲の減少増加が顕著に出たり、睡眠の変化等にも出てくる。 しんどいという感

          人はなぜ病気になるまで働くのか?

          40代特有のパワハラ気質

          今40代の世代には、努力すれば何とかなるとか努力が足りないとか熱血指導、強く言われるのは当たり前みたいなマインドが残っているような気がする。 40代の人たちが上の世代に受けてきた教育の形なのであろう。しかし現代は違う。 人間性の話と目の前で起こっている事実は切り離して指摘しなければならない。 それができなければパワハラの時代なのである。 昔は「使えねーな」とか「どんくさいな」とかいう言葉が当たり前のように職場で飛びかっていたのかもしれない。 何故一昔前には使われていた言

          40代特有のパワハラ気質

          私が苦手な人

          私には苦手な人がいる。 自分の自慢や自分の話ばかりをしたり、他人の間違いを徹底的に指摘する人間である。 こういう人間は、自分の視点でしか話ができない。他人には興味がない人間である。 こういう人と会話してると自分が話を聞く道具にされているように感じる。 相手に自分ばかり話しすぎたという反省はないようだ。いつだって自分が主体である。 平気で人の会話を食べ、自分の話題にすり替える。人の手柄も自分の手柄のように無意識に奪い取る。 この人は、今までどうやって育ってきたのだろうか。

          私が苦手な人

          離れてみないと物事はよく見えない

          27歳になって初めて分かったことがある。 それは、離れてみないと物事はよく見えないということである。 私は学生時代部活は運動部であり、仕事もリハビリをする仕事をしており身体を使う仕事をしてきた。困っている患者さんの助けになることにやりがいを感じていた。 しかし、リハビリ以外の業務や負担が多くなり一度リハビリの仕事から離れてみたいと思うようになった。 挑戦の意味合いも込めて、IT方向の企業に就職した。就職するまでにjavasilverという資格や基本情報技術者試験という試

          離れてみないと物事はよく見えない

          人は幸せになるようには設計されていない。

          最近「ストレス脳」という本を読んだ。 物質的に満たされた現代において何故多くの人が精神的な病気にかかり心療内科へ通うことになっているのか?という問いに対して筆者の見解を述べていた。 簡潔に話すと、先祖が不安になることを利用して生き延びてきた名残で必要以上に私達は不安を感じるということである。 詳しく話すと人類は、狩猟時代が長く続き稲作文化ができコメを貯蔵し安定して作物を育て飢餓にある程度の苦しまなくなるまでには膨大な時間を要したということをまず押さえて欲しい。 生き延び

          人は幸せになるようには設計されていない。

          砂漠の真ん中で泣いてるんだろう。

          ここは砂漠、オアシスはどこだ。目視できる場所には見当たらない。 涙を流してみたら、心の傷は癒えるのか。 一滴も無駄にできない水分それでも流れた。 必要なものは分かっている。夜を越える温もり、物理的なものだけじゃない目には見えない温かさ。 食料はある。着るものもある。家もある。 だが休まる場所はないのだろうか、贅沢病が蔓延る世間は自分のことばかり考える。 景色は歩いても同じ、季節は巡るのに。 心を満たす水は何なのだろうか。 ふと考える。 ここは砂漠。1人佇む。 不思議と

          砂漠の真ん中で泣いてるんだろう。

          ぼちぼちいこか。

          最近の私の口癖だ。 割と自分に言い聞かせている気がする。 元々感情のコントロールは苦手で、すぐに表情に出るタイプであったが、後天的になりたい自分になれるように努力してきたおかげもあって、落ち着いた口調や物腰の柔らかさを人に言われるようになった。 だって 落ち着いた大人ってかっこいいじゃん。 でも最近思う。我慢して落ち着いている風を装っているのって落ち着いてないよねって。 それって感情を抑え込んでるだけじゃんって思うようになった。 そういう大人が多いし、そういう人が我

          ぼちぼちいこか。

          楽に生きていい。

          楽に生きれたらとっくにそうしてるわ! と怒られるかもしれない。 では、何故楽に生きることができないのだろうか。 その原因は人間関係が殆どであろう。 つまるところ自分がどう思われているか? ということや、自分の社会的立ち位置を保持するために日々人間関係を気にしているということの窮屈さが楽に生きることのできない原因のひとつなのかもしれない。 まず考えなければならないのは、この人間関係の悩みというのは、衣食住がある程度の保証されている上に成り立っている高次の悩みであるということ

          楽に生きていい。

          自分と生きていく。

          日常は本当に色々ある。  腹が立つこと、納得できないこと、不安なこと。  いつも心が穏やかにいたいとは思うが、現実問題それは難しい。 昔は自分に腹が立たないようにしよう、不安にならないようにしようと自分に言い聞かせていた。つまりは無理矢理に感情を押さえつけていた。ということだ。 感情を押さえつけると一時的には、その場を何とかやり過ごすことができる。しかし、ふとした時に押さえつけた感情が表に出てくる。 過去に押さえつけた感情というのは、どこかで振り返りその感情と向き合わなけれ

          自分と生きていく。

          希死念慮との向き合い方

          若者の4割は死にたいと本気で考える希死念慮を持った経験があるという。 その半分ほどは誰にも相談したことがないという。 これだけ多く希死念慮を持つ人間がいるのに、そのような感情は人には話さないのだ。 話してはいけないと思っているのか、そのようなことを話す相手がいないのか、話すまでもないのか。 人間関係がうまくいかず悩み、人には相談できない。あの人に自分はどう思われているのか、嫌われてはいないだろうかと考える。 相談相手がいれば、自分の気持ちも整理できるが相談相手が必ずし

          希死念慮との向き合い方