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楽に生きていい。

楽に生きれたらとっくにそうしてるわ!
と怒られるかもしれない。
では、何故楽に生きることができないのだろうか。

その原因は人間関係が殆どであろう。
つまるところ自分がどう思われているか?
ということや、自分の社会的立ち位置を保持するために日々人間関係を気にしているということの窮屈さが楽に生きることのできない原因のひとつなのかもしれない。

まず考えなければならないのは、この人間関係の悩みというのは、衣食住がある程度の保証されている上に成り立っている高次の悩みであるということである。

発展途上国の衣食住が保証されない人たちは
衣食住が満たされているだけで幸せを感じるのだと思う。

わたし達の悩みというのは衣食住が満たされた前提での悩みが殆どであるということを押さえておいてほしい。

その上で人間は社会的な生き物のために、昔は社会的立場が悪くなると村八分にされ惨めな思いをさせられることがあったのだろう。
社会的な立場を保つことに非常に敏感にならざるを得ないように遺伝子レベルで感じているのかもしれない。

最近思うのが気を遣うことは疲弊するということである。人に気を遣うことを続けると人間が嫌いになるような気がする。精神がすり減って苦しくなる。

ここで私事にはなるのだが、最近転職をした。その職場では正直気を遣っていない。
職場には上司をおだてる人やうまく返答してコミュニケーションを取る人もいる。それはそれでいいのだ。
まずは自分がなるべく楽に働けるように関係性を作ることが大事だ。怠けるわけではない、無理をしないということだ。

合わない人とは割り切って
無理して関わらない。

わたしは前の職場ではスタートから無理をし過ぎた。無理をした自分で周りとの関係性を作ったのである。

今の私は、気を遣っていない分疲れない。
人間関係を甘く見ていると言われるかもしれないが逆なのである。自分の心地よい環境をなるべく作ることが穏やかなコミュニケーションに繋がるのである。
それが私らしいと気がついた。
わがままではない。できることはしようと心がけている。

そして、気の合う関係を築けた人と長く付き合って行きたいし、仕事だけの関係もほどほどにうまくやっていきたいと思う。

自分がどう思われているか?という所から少し離れることができると私は楽に生きれるようになったと実感するのである。

人間関係とは?という問いと向き合い考えることこそ楽に生きることの大きな一歩であると感じる今日このごろである。


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