見出し画像

ドライブ・マイ・カーを観て

注目されていた映画は時間をおいて観る性分で自分のタイミングでしか観る気が起きない。

やっとドライブ・マイ・カーを観る気分になった。そのきっかけはオッドタクシーを見て車繋がりで何となく見たくなった。

大した感想は私には書くことができない。しかしこの作品は私にとっていい作品であったと思う。

自分が弱さゆえに愛する人への怒りを押し留めて相手との関係を保とうとしたり、自分も向き合おうとしなかったりそういう経験はないだろうか。

心では悲しかったり、怒っていたりでも感情的になることで相手との関係が絶たれてしまう。であれば、自分が我慢すれば丸く収まる。

そういう気持ちって自分の心のなかに溜まっていく。どこかにしまっておいても顔をのぞかせている。その気持ちは相手にも分かっていることだってある。

何が正解か分からない。ちゃんと相手に自分の気持ちを伝えていれば良かったのか?
自分の気持ちに正直になって行動することがすべて正解とは限らない。衝動的な行動が後悔を生むこともある。

この世の中にはどうしようもないことがある。親しい人の死、突然の別れ。
苦しいこと救いのないこと「なんで?なんで?なんで?」っていう理屈じゃ絶対に説明できない苦しみ。

苦しみばかりの人生だと気が狂いそうになる。そんな毎日を超えて寿命が来るまで生き
こんなに苦しみましたよと伝えそこでゆっくりしましょうと。

生きるとは苦しみなのかもしれない。
その受け入れがたい事実に翻弄されながら寿命が来るまで生きてみよう。

絶望を知ってる人にしかこの映画は響かないのではないか?

こういうちゃんと作品を誰かに届けようとする作品がこの世にあってくれて良かった。

映画に私は楽しさよりも救いをどうしても求めてしまう人間なので、とても刺さった。

今のタイミングで観ることができてよかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?