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人は幸せになるようには設計されていない。

最近「ストレス脳」という本を読んだ。
物質的に満たされた現代において何故多くの人が精神的な病気にかかり心療内科へ通うことになっているのか?という問いに対して筆者の見解を述べていた。

簡潔に話すと、先祖が不安になることを利用して生き延びてきた名残で必要以上に私達は不安を感じるということである。

詳しく話すと人類は、狩猟時代が長く続き稲作文化ができコメを貯蔵し安定して作物を育て飢餓にある程度の苦しまなくなるまでには膨大な時間を要したということをまず押さえて欲しい。

生き延びて子孫を残してきた人間というのは、危機管理能力が高い人間ということである。

狩猟時代に、草むらで音がすればライオンがいるのではないかと警戒しすぐに逃げる人間と、大丈夫と心配せずにいる人間はどちらが生き残るであろう。普通に考えると前者である。

不安というのは、生存戦略として人間にとってなくてはならない感情であったということが推察される。

狩猟時代というのは、現代の飢餓に苦しむことがほぼなくなった近代の時代よりも圧倒的に長い期間続いており、その間に人間に遺伝子レベルで不安というものは刻まれていても不思議ではない。生きる残るために不安は必要であったのだ。

つまりは、狩猟時代に生き残るために必要であった不安が遺伝子レベルで名残として残っており飢餓に苦しむリスクが減った上でも不安になってしまっているということである。

頭では飢餓に苦しむリスクはないことは分かっているけど、遺伝子レベルで私達の脳では分かっていないのであろう。

そういう理解の下、私が思ったことは、
「じゃあこの不安は自然なものなんだなぁ」ということである。
いままで何故こんなことで不安になるのだろうという経験を多くしてきた。そして、場数を踏むことで徐々に不安になることは減ってきたものの、根底に根強く残っているこの不安は何なのだろうと考えていた。
その答えが先祖の名残であったという考えを聞いて安心した。

じゃあこの不安ってしょうがないもので、自分でどうこうできる問題じゃないのだなと。遺伝子レベルのことを何とかすることは困難である。
不安を受容する意味でとても納得する話であった。

これからも私は、この遺伝子レベルでの不安と付き合って生きていこうと思う。
私が生まれたのはこの不安のおかげなのだと
たまに思いながら。

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