目標を失った私が次に向かう目標。

目標を失ったというと語弊があるかもしれないが、厳密には目標を達成したということなのである。

長年目標としてきたものを達成したというのは喜びのように感じるかもしれないが、目標達成による高揚感か達成感は束の間で、その次には「目標の喪失」という問題に直面する。

ここでは具体的な内容を避けさせてもらうが、子供の頃から抱えていたコンプレックスをある程度克服したと自分が思えた時に私は
目標を達成したと同時に喪失したのであろう。

目標を達成できたのだから喜ぶべきなのだろう。しかしこれから生きる上での目標がなくなってしまったのだ。

今その状況に自分自身が思った以上に困っている。コンプレックス克服という強い動機のもとに生きてきた人間にとってそれが達成されてしまうと正直やることがないのである。

ただ生きるだけなのである。

戦争もない日本に生まれ、食べたい時に食べたいものが食べられる。満たされている。
しかしどこまでも退屈である。

燃え尽き症候群かとも考えた。似たようなものだろうなとは思う。

今までの目標に匹敵するぐらいの熱量を持つことのできる目標をこの先持つことができるのだろうかと不安に思う。

今まで好きだった音楽にも食べ物にも面白さを見いだせない。マンネリが原因なのか?

新しいことをしてみる?何をしたらいいのかよくわからない。

目標の場所がないと何をして良いのかも分からない。迷い子のようになってしまった。

ここでは次の目標を考えるとしたい。
私は次にどこへ進みたいのだろう。

自分に正直な行動がこれからできると思う。
嫌な場所からはちゃんと逃げられる自分になったし自分のことも受け入れることができていると思う。

そのように考えると今はまた新しい目標に向かう充電期間のようにも思える。

割と何もすることがないというのは退屈であると一緒に、今まで経験したことのないくらいコンプレックスに支配されていない状況なのかもしれない。

この15年くらいはずっと有意義な何かしないとという強迫観念に支配されてきた。しかし今はいかに時間を潰すか?みたいなその場をやり過ごすことを考えている。

なので最近中高生ぶりにゲームを始めた。
ポケモンとマリオをした。

考え方がガラリと変わったのかもしれない。

今の自分には目標は必要ないのかもしれないとも思う。

ただその日にやりたいと思ったことをやる。
そんな生き方してみたかった。

そんな生活をしてみると気づいたことは、考え事をしなくていいので、脳が軽いのである。びっくりするくらい。

今はまだやることがないという日常に体が慣れていないけど、時期に慣れてくると思う。

感覚的に両手に持ち物がなく脳の容量を空けてもしやりたいと強く思えるものができた時に備えようと思う。

今はまだ充電期間。
静かに日常を生きる。一生これでもいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?