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昼夜逆転生活を極め、エヴァンゲリオンにハマっている。友達と通話をする回数が増え、やがて減った。いい加減、人間の生活がしたい。

さて、またも久しぶりの日記となった。
最近はすっかり昼夜逆転の生活が板についてしまって、毎日昼の12時に起きている。昼ご飯と朝ご飯を同時に食べるし、夜中は5時まで起きている。

正直なところ、早く寝る理由もなければ、早く起きる理由もない。それでも何とか毎日布団から出るのは、自分が人間で居たいからである。人に合わないので、必ず風呂に入る必要も、必ず髪をとかす必要もない。最初の方こそ、頻繁に色々な友達と電話していたが、生活リズムが崩れるに従って、通話の数も減ってきた。

人と関わらない時間が増えると、自分の社会的な外面に、確信が持てなくなってくる。今までの私は、人と関わるうちに芽生える見栄とか、周りの人達の思う常識に沿うことで、自分は大丈夫な人間だ、と自信を保っていた。

だけど春先は、色々な人と今までした事の無い話をして、結構真剣に相談したり、意見を言ったりすることが多かった。受験が終わった開放感から、人とぶつかる事がそんなに怖くなくなったのだと思う。

高校を卒業して間もない頃に遊んで、少しだけ連絡を取っていた友達がいる。こういう事が嫌いで、こういう事が好きだという事を、かなりはっきりと言う人だ。大学入学後、新しい街でまだ知り合いも多くなく、通話で恋愛のはなしとか、趣味のはなしなんかを取り留めなく話した。

好き嫌いをはっきり表に出す彼に反し、私は、こういう事が好き、という事は大声で言うが、こういう事が嫌い、という事はよくぼかす。二言目には「まあでも人それぞれだから」「私も悪いところあるし」などと言って、逃げるのだ。そうやって大人なふりをしている。

イケメンだとか、いい女だとか、大人な対応だとか、そういう言葉は、ただ都合が良く誰にでも低姿勢なだけの人に使われることがある。あの人は「大人な対応」をするから、手間がかからなくて良いわ、と思われているのである。私はきっと、その類の人だった。そして、その類の人に望んでなろうとしていた。

まあしかし、「俺は嫌いなものを持っている人の方が好きだなぁ」と彼は言っていた。そういう人も、世の中にはいるのだ。その後もその人は自分の性癖とか、嫌いなタイプの話などを色々と暴露してくれ、私はその話に爆笑したり、しっかり引いたりした。

陰湿過ぎるのはよくないが、「悪口はだめ」とか、「人は褒めるべき」などといった、主語が大きくて融通が効かず、いかにも正義!といった考え方は、私には多分肌に合ってない。きっとそんな正義に縛られなくとも、本当に大切にしたい人には自然と優しくなれるし、それで十分だと思う。

こういう、道徳に方程式を当てはめて「こうするべき」を徹底しようとする人って、一見心優しいように見えて、とても無機質だ。人間関係は、何もかもそう簡単に方程式に当てはめたりできない。「人は褒めるべき」が歪むと、「他人を褒めれないやつは人間じゃない!」というところまでいってしまう。そして、私は、きっとそこまでいってしまった人達からは嫌われるのだと思う。嫌われて然るべきだ。私もきっとその人達が嫌いだ。お互いきちんと人間だから。

実家に帰ってきてからは、私が家族と上手くいってなかった時なんかに相談にのってくれていた、高校の頃の親友とも通話をした。

卒業後こんな状況になってしまったのでなかなか会えないが、ずっと会いたいと言っている。あの子は私とはまるで違うし、私のひとつの答えみたいな人だ。

どういう流れだったか忘れたが、私は、ずっと人と深く関わることを避けてしまう、というような事を彼女にこぼした。私は正直、彼女も他の人と同じように、「何を言ってるの、貴方は全部上手くできるじゃない」と言うのだろうと思っていた。だから、「私は気付いていた」と言われて、本当に意外だったし、びっくりした。深い仲になることを避けていたことすら、気付かれているなどとは思ってなかった。

私が、分かり合う事を諦めていると見抜いていたあの子は、その事に気付くくらい、ずっと私と向き合ってくれていたのだ、と思う。
「LINEの既読なんか気にしなくていい、そんなことで誰も●●(私の名前)を嫌いになったりしない」
「会ってすぐに●●とは仲良くなれそうだと思ったよ、●●には他の人にはないオーラがあると思う。きっと●●を分かってくれる人がいる」
「●●が苦手だと思ってた人は、私も好きじゃなかったよ。気を使わずに、言ってくれて良かったんだよ」
などと言ってくれ、私は本当に、この子と分かり合おうとしてなかったのだ、と気付かされた。その子が、決して誰もかもを褒めたりお世辞を言ったりしない子だからこそ、私は本当にこの子の友達なんだ、と思った。

さて、随分と脱線してしまったが、今日の日記に戻ろうと思う。
今日も12時頃に起き、朝食兼昼食を食べて、再びベッドに横になってうつらうつらしていると、若干床が揺れていることに気が付いた。多分、震度1か2の小さな地震だったのだと思う。私は所詮、地球の表面に家を建てて暮らしている、動物に過ぎない。今回の件もそうだし、何か災害が起こる度そのことを痛感する。何も起こらない日の方が、珍しい。

そういえば私はペットを飼ったことが無いので全く知らなかったが、犬に生理のようなものがあると知って、めちゃくちゃびっくりした。猫の発情期の仕組みも初めて知った。猫の交尾の様子も見たが、かなりヒトのそれを彷彿とさせて、衝撃だった。本当に、ヒトは猿だったのだ、と思った。それが愚かだとか、そんなことを言いたいのではなく、ただ、私達は動物なのだ。確かに、犬や猫と同じ命を持っているのだ、と思った。

命繋がりでいえば、最近はエヴァンゲリオンにハマっている。(興味ない人は※まで飛ばしてください)TSUTAYAで大人借りした新世紀エヴァンゲリオンを、使徒襲来から見返している。画質の荒さも、ポリゴンショック(目がチカチカして体調を崩すこと)すれすれの演出もすごく良い。何より登場人物の心理描写がエグくて、その都度泣いてしまう。

シンジくんのものの言い方や、あえて斜に構えている所が昔の自分にすごく重なるし、その分シンジくんが感情を剥き出しにするシーンが、痛いほど刺さる。作中にヤマアラシのジレンマ、とあるが、まさにその通りだと思う。誰かの温もりを感じたいけど、お互いの身体にある、棘が刺さることを恐れている。
そして、ミサトさんのような大人にもすごく覚えがある。共感能力が高くて、シンジくんに感情移入する一方で、シンジくんに目線を合わせようとはしないエゴイズムを持つ人。

エヴァンゲリオンを見るのは実は初めてではないのだが、昔以上にNERVにいる大人達がより身近に感じるようになった。それに、綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーを、同級生として見れなくもなった。あと、主題歌が美しい。

人類補完計画の詳細とか、渚カヲルの「渚」の字がが「シ者」と掛けてあることとか、後々になって初めて知ったこともあった。旧版の映画はかなりトラウマ級だと聞いて、まだ手を出せずにいる。エヴァンゲリオンに乗れるのが14歳の少年少女であること、戦いの記憶がもろに精神に影響してしまうことなど、設定がすごく魅力的で考えさせられる。神話になるのか…

さて、午後になって私の大好きなバンドPKshampooのボーカルヤマトさんが、YouTubeで配信を始めてくれ、本当に幸せな気持ちになった。PKshampooはそもそも曲が好きで、ヤマトさんの事も最初はあまり知らなかったが、ヤマトさんの人間性が本当に好きである。他にも何かと好きなバンドが大阪には多いので、私の大阪への憧れは尽きない。

私は行き当たりばったりで行動をした事が全然無いので、たまには無計画に衝動に任せて行動してみたいな、と思う。失敗を含め必ず何か得れそうだし。今は難しいのかもしれないが…

配信が始まってすぐに大学の映像授業がzoomで始まり、心残りながらそちらへ。生徒は皆消え入りそうな声で自己紹介するし、教授は謎の解説動画を延々と流すし、小画面に何人もの愛想笑いが見えるし、ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙…と思いながら授業を聴く。2時間の講義の後スマホをみたら配信はまだ続いていた。PKshampoo、同じ時代にリアルタイムで知れてよかった。

もう本当にぐだぐだと長い日記になってしまった…。今は実家に帰っているので、夕飯は家族で食べている。案の定父親はだんまりだし、妹はなぜか敬語でやたらと上から目線でアニメの話をしてくるので、めんどくさくなってぼうっと下斜め45°を眺めてご飯を食べた。食後に母親が部屋に入ってきて「●●が静かだったのって私のせいかな?私のせいかな?」とメンヘラモードで聞いてくるので本当にめんどくさくなってしまった。勘弁してくれ。何とかしてくれ。

と言っている間に現在時刻は3時14分である。もう遅いので明日上げます。人間で居たい。

眠れない夜に捧ぐ