見出し画像

落ちてこないで

たまに隕石が落ちてくるのを想像してとてもこわくなる。これって結構馬鹿なことだと思う。

頭の中の世界では改札口が人でごった返していて、茜色の空に鱗雲が広がっている。きっとTwitterではそんな空の写真とか最後の晩餐のラーメンとかポエムとかが目まぐるしく更新されているのだろう。わたしは必死にスマホを握りしめながら電車へと走る。

でも実際、隕石が落ちてくるとなれば最新技術によって落ちる予定日、時刻、場所、そして軌道とかまで全部が推測されるだろうから、突然に後数時間でお前らは死にますみたいな状況にはならない。どちらにせよ当日はきっと世紀末状態だろうし、どちらにせよわたしはスマホを握りしめているだろうけれど、茜色の空なんかじゃなく普通の青空が広がっていそうな気がする。

隣の国ミサイルならどうだろう。教室、授業中にみんなのスマホがけたたましく鳴りだす。Jアラートの音って絶対に今からなんか落ちてくるだろみたいな音をしている。でもきっと実感は湧かない。多分「めっちゃアラートなってる ガチ?」とかってツイートするんだろうな。誰かが死ぬまで実感できない状態って超危険だと思う。遠くの国の戦争のニュースが全くの他人事だと思ってる人が多すぎる。日本だって某クソデカ国と領土争いをしているのに。たしかにこんなクソみたいな社会で生きているのだから日々の身近な戦いの方が自分にとってデカい問題ではある。本当は隕石もミサイルも怖がっている時間なんかなくて、もはやそういう非日常の脅威を無意識に求めてしまっている。日常の脅威である学校とか会社とか嫌な奴らを吹き飛ばしてくれる救世主みたいに思ってしまう。ドラえもんがネズミ1匹を殺すために地球破壊爆弾を持ち出してくるあの気持ち、めっちゃわかるんだよな。なのに全部がシュークリーム1個で解決したりもする。甘いものってすごい。好きなものってすごい。

こうやって好きなものに目を向け出した瞬間に非日常の脅威は日常の脅威に成り代わる。人、音楽、小説、漫画、映画、食べ物、匂い、感触、色、声、形、思い出。全てが人質になってしまったような心地がする。わたしはなんやかんやまだ死にたくないし、こんなの傲慢だってわかっているけれど生きていて欲しい人も数人いるし。電車でヘッドフォンつけて爆音で音楽聴くの好きだし、熱々の小籠包食べて舌火傷するの嫌いじゃないし、友達からグミ1個だけ貰ったりもしたい。あの子の髪色が変わるのも見たいしな〜。猛烈に日常でいたい。(ときめく非日常なら可)

だからたまに隕石が落ちて来るのを想像してとてもこわくなる。これって結構馬鹿なことだと思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?